第120話:図書塔の警告
午前の授業が終わる。
椅子の音。
話し声。
窓の外から入る風。
いつもと同じなのに、妙な胸騒ぎがする……。
「……」
俺は立ち上がる。
(どうにも昼飯に向かう気にはなれない……)
横には、ユーリス。
視線を上げる。
「ユーリス、図書塔に行く。少し手伝ってくれるか?」
「はい!」
大きく頷く。
「昨日の件もありますし……、
私も少し整理したいこともあるので!」
「そうか」
教室を出る。
廊下はいつも通り。
人の流れ。
昼前のざわめき。
特に変わらない。
だが――
校舎を出たところで、壁際に寄りかかっている影が見えた。
「……いた」
ミリカだ。
こちらに気づくと、すぐに身体を起こす。
「待ってた」
短く。
当然のように言う。
「なんでだ」
「エア、強い……」
「それが何だ?」
「それが理由……」
ユーリスが笑う。
「一緒に行くんですね」
「行く」
即答。
迷いがない。
「……好きにしろ」
そのまま歩き出す。
ミリカが横に並ぶ。
ユーリスも反対側に来る。
三人で歩く。
学院の敷地内は、昼の光で明るかった。
その途中――
向こうから、白服が二人歩いてきた。
自然にすれ違うだけの距離。
視線が、こちらに止まる。
俺を見る。
ほんの一瞬。
それでも、足がわずかに止まりかけたのが見えた。
「……」
白服の片方が目を細め、
もう片方も何も言わないまま視線だけを残す。
だが、すぐに視線は切れる。
気配は完全には落ち着いていない……。
(なんだ……?)
違和感があった。
……敵意とは他に、別の感覚が伝わった。
(恐怖?)
そのまま通り過ぎていく。
何も起きない。
「……感じ悪い」
ミリカがぼそりと落とす。
「いつもよりも、な……」
ユーリスは後ろを見てから、前に向き直る。
「エアのこと、見てましたね……」
「ああ」
気にせず、そのまま進む。
石畳。
影。
吹き抜ける風。
その中で――
「……でも」
ミリカがぽつりと言う。
「エアは、強い」
視線は前。
歩きながら、当たり前みたいに続ける。
「人間なのに、変なくらい強い」
「褒めてるのか?」
「褒めてる」
即答だった。
間。
「オルドは狼族。あれでエアが立ってるの、おかしい」
「そうですね」
今度はユーリスも頷く。
「冒険者の頃も……そういうの、ありました」
視線を向ける。
ユーリスが懐かしそうに目を細める。
「大型の魔物がいた時です」
「魔物?」
息を吸う。
「正面から振り下ろしてきた腕を、
エアさん……普通に押し返しました」
「あ~……あったな」
短く返す。
ミリカが横を見る。
「押し返す?」
「はい」
ユーリスが頷く。
言葉に熱が乗る。
「あれは普通は避けるんです。
真正面で受けるだけでも危ないのに……」
さらに続ける。
「槍を横に構えて、
そのまま止めて……押し返してました」
ミリカが止まる。
真顔だった。
「いい……」
「何がだ!?」
思わず声が出る。
ミリカは首を傾げる。
「押し返すの、いい……」
「意味が分からん……」
息を吐く。
ユーリスがくすりと笑う。
「でも本当にすごいことなんですよ?」
「そうか?」
「そうです!」
即答だった。
身を乗り出す。
「戦士の方でも、あのサイズの魔物の一撃を力で止めるなんて聞いたことないですね」
言いながら、考えるように視線を落とす。
「……やっぱりおかしいです」
「おい、お前まで……」
「褒めてます!」
すぐに言い直す。
「ですが、理屈が合わないというか……」
「理屈か……」
考える。
記憶を辿る。
森。
匂い。
血。
骨。
「……そういえば」
ぽつりと落とす。
「昔、角グマを倒してからだな」
ユーリスが反応する。
「角グマ?……ですか?」
「ああ」
頷く。
「それ以降、力が上がった気がする」
ミリカが耳を動かす。
「倒して、強くなった?」
「……そういう感覚はある。あ、他にもあったな」
はっきりとは分からない。
だが、違和感はない。
ユーリスが止まる。
それから――
「……それ、神話にあります」
静かに言う。
ミリカの耳が反応する。
「古い伝承の中に、“敵を倒した神は、その力の一部を得た”という話があります」
言葉を選びながら続ける。
「ただし、それは象徴的な意味合いで……
実際にそうなる、という話は聞いたことないですね」
視線がこちらに向く。
そして、少しためらいながら続ける。
「でも……エアは」
言葉を濁す。
「実際に……」
ミリカがじっとこちらを見る。
「神話……?」
ぽつりと呟く。
「なんでもない」
「ふ〜ん……でも強い……」
「それはさっきから聞いてる」
「いい……」
「だから何がだ!」
ユーリスが思わず吹き出す。
「ふふ……」
笑う。
空気が少しだけ緩む。
そのまま歩く。
石畳の上、三人の足音が重なる。
「まあ、俺のこれは……誰のせいかは分からなくもないが……」
ユーリスとミリカは首を傾げる。
図書塔が見えてくる。
高い建物。
窓は細く、中の様子は外からは分かりにくい。
近づくほどに、周囲の音が落ちていく。
人の話し声も、足音も、遠くなる。
「……静かだな」
呟く。
「図書塔は、基本的に騒ぐと注意されますから」
ユーリスが答える。
「司書の方、結構厳しいんですよ?」
「そうなのか」
「はい。前にパコダさんが――」
言いかけて、笑う。
「まあ、想像通りです」
「想像つくな」
ミリカが横でぽつり。
「パコダ、うるさい……」
「否定できん」
入口に近づく。
重い扉。
人の出入りはあるが、どこか抑えられている。
開ける――空気が変わる。
外の風が切れる。
代わりに、紙とインクの匂いが広がる。
「……」
中は広い。
視界の先まで、本棚が並んでいる。
上を見上げると、天井はかなり高い。
光は柔らかい。
静かだ。
だが――完全な無音ではない。
ページをめくる音。
椅子がわずかに軋む音。
小さな足音。
それらが、均等に散らばっている。
「……なんか」
ミリカが言う。
「違う……」
「何がだ?」
「空気……」
それだけ。
だが、間違ってはいない。
「……そうかもな」
ユーリスも頷く。
「ここは外と、切り離されてる感じがします」
そのまま歩く。
床は石だが、足音はあまり響かない。
吸われるような感覚。
視線を動かす。
読んでいる人間。
立って探している者。
机で書き写している者。
――そして、
一瞬だけ。
こちらを見た目があった。
すぐに逸れる。
「……」
気にするほどではない。
だが、完全に無関心でもない。
「エア?」
ユーリスが声をかける。
「いや、なんでもない」
「……?」
完全には納得していない顔だが、それ以上は聞かない。
「奥、行く……?」
ミリカが言う。
「適当でいい」
「じゃあ奥……」
本棚の間に入る。
通路は狭い。
視界が区切られる。
左右は本。
上も本。
外の気配は完全に消える。
「……」
足音だけが残る。
三人分。
そのときだった。
「……エア」
低い声。
背後。
振り向く。
「カイナ?」
白服。
いつも通りの姿。
だが――
違う。
「……話がある」
短い。
「なんだ?」
カイナは答えない。
視線が横へ流れる。
周囲を確認する。
その動き自体が、異常だった。
「……どうした?」
言うと、カイナは言葉を止める。
選んでいる。
呼吸が深くなる。
ユーリスも気づく。
「カイナさん……?」
止まる。
ミリカも同じだ。
耳が揺れる。
「……」
図書塔は静かだ。
音が遠くなる。
「……」
カイナがこちらを見る。
真正面から。
外れない。
それだけで分かる。
軽い話じゃない。
「……外に出るか?」
カイナは首を振る。
「時間がない」
それだけで、十分だった。
ユーリスの顔が固まる。
「時間が……?」
ミリカは黙ったまま。
カイナを見ている。
「……」
一歩近づく。
距離が変わる。
空気が変わる。
「……」
言いかけて止まる。
言葉を選んでいる。
「……」
待つ。
カイナは視線を落とさない。
息を吸う。
決めた。
そう分かる。
そして――
「……逃げろ」




