第118話:夜の襲撃
小研究塔を出て、俺は寮に向かう。
塔から続く途中で他の棟へと繋がる、連絡路。
灯りは点いているが、人の気配はほとんどない。
「……」
通路は開けていて、広場と吹き抜けになっている。
月明かりが、そのまま石床に落ちていた。
影が、伸びる。
足音だけが、規則的に響く。
「……」
一瞬の違和感を感じる。
その瞬間に、灯りが揺れた。
壁際に設置された火。
風はない。
それでも、不自然に傾く。
「ッ!?」
反射で視線を上げ、火がなびく先を見る。
開けた広場。
月明かりの中に、一瞬だけ……人影が見えた。
次の瞬間、赤い閃光が目の奥を貫く。
そして轟音とともに、圧縮された熱の塊。
巨大な火球が、一直線にこちらへ放たれ、視界が白に塗り潰される。
同じ量の火をぶつけて防ぐ時間はなかった。
――爆裂。
遅れて、音が追いつく。
通路ごと、吹き飛ぶような衝撃。
石が砕ける音。
天井のレンガが崩れ、瓦礫が降る。
そして、凄まじい熱量。
だが――俺は焼けない。
「……」
反射的に腕を前に出して目を守り、その場に立っている。
服が焼け、吹き飛び、腕の肌が見える。
一切の傷はない。
足元で、火がまだ揺れている。
落ちた石が、音を立てて転がる。
ゆっくりと、腕を下ろす。
「……今のは」
短く、落とす。
視線を上げる。
煙の向こう側。
広場を越えた反対側の通路。
そこに、三つ。
仮面の人物。
「……」
止まっている。
こちらを見ている。
次の瞬間、一人が走り出し、後に二人が続く。
即座に後退、逃走。
「……」
燃え残った布が地面に落ち、足元でゆっくりと崩れる。
「あ……」
視線はそのまま、仮面の消えた先に残している。
「……」
火を放つには遠いが、追えない距離じゃない。
だが――
「流石に……全裸はな……」
ゆっくりと周囲を見る。
崩れた通路。
焼けた石。
残る火。
学院の中とは思えない光景。
火の揺れが、少しずつ弱まっていく。
崩れた石の間から、煙がゆっくりと上がる。
静寂……。
そして――
「何事だ!!」
足音。
一直線に近づいてくる。
視線を向ける前に、気配で分かる。
ガレスだ。
瓦礫を踏み越え、ほとんど減速せずに飛び込んでくる。
「無事か!? これはどういう事だ!?」
だが、目は全体を見ている。
通路。
焼け跡。
残火。
「仮面の不審者に襲撃された」
ガレスの視線が、一瞬だけ止まる。
「……なんだと?」
それだけ言う。
だが次の瞬間には、周囲へと意識が散っている。
「状況は? 何があった?」
命令口調。
迷いがない。
「広場の向こう、待ち伏せだ」
簡潔に言う。
「三人。仮面を着けていた」
ガレスの目が、わずかに細くなる。
「三人? 前回と同じ者か?」
「わからん」
短く返す。
それ以上は言わない。
「……そうか」
一言で切る。
その時――
さらに足音。
複数。
「こっちだ!」
他の教師たちが駆け込んでくる。
数人。
術式を展開しながら、周囲の火を抑えにかかる。
「これは……」
一人が言葉を失う。
崩れた通路。
焼けた石。
明らかな戦闘痕。
「何だこれは!?」
別の教師が声を上げる。
ガレスが前に出る。
「詳細報告は後だ」
一言で制す。
「まず消火と安全確保を優先しろ」
即座に指示が飛ぶ。
全員が動く。
無駄がない。
火が抑えられ、瓦礫の処理が始まる。
だが――空気は重い。
ガレスが横に並ぶ。
「……怪我はないな」
確認だけ。
「ない」
短く返す。
ガレスは頷き、そのまま小さく息を吐く。
「……一応、調書は取る」
事務的な声。
「後で来い」
「分かった」
そう言ってガレスは無言で自分のマントを俺に手渡し、すぐに離れ、指示に戻る。
「……」
マントを腰に巻いて、辺りを見回す。
崩れた通路。
残る熱。
教師たち。
そして――ガレスの背を見る。
動いている。
それは確かだ。
だが――
(……怪しい)
小さく息を吐く。
視線を外す。
「……」
一度だけ、崩れた通路を見る。
さっきまでの静けさ。
今の光景。
その差だけが、やけに残る。
「……全部、信用できんな」
火はほぼ消え、瓦礫の処理だけが残る。
背を向け、崩れた通路から外れる。
足音が、少しだけ静かになる。
そのとき、背後に気配がした。
一瞬、手に火を宿しかけたが、必要はなかった。
「エア」
聞き慣れた声。
「……」
視線を向ける。
ミリカが立っていた。
「……ミリカ?
……なんでここにいる?」
「音、聞いた」
短く。
それだけ。
視線が、一瞬だけ崩れた通路へ向く。
「……夜は一人で出歩くな」
そのまま続ける。
淡々と。
「この前のこともある」
視線は外さない。
「また巻き込まれるかもしれん」
ミリカは少しだけ黙る。
「……」
それから、
「別に……いい……」
小さく言って、そのまま動く。
一歩踏み出し、横に並ぶ。
距離が近い。
「良くはないだろ」
ミリカは何も言わない。
近い距離のまま、こちらを見ていた。
だが、帰る気はあるらしい。
「……何だ?」
少しだけ視線を向ける。
「帰る。もう遅い」
短く、当然のように。
「ああ……」
歩き出す。
ミリカも動く。
並ぶ距離は変わらず、やけに近い。
「……」
しばらく無言。
足音だけが続く。
「……エア」
ミリカが小さく言う。
「一人で動くの、やめた方がいい」
前を見たまま言う。
「俺は、別にいい」
「良くない……」
ミリカは立ち止まって、そう言った。
いつもより声が重い。
「死んだら、終わり……」
当たり前の言葉。
でもそれは、とても大事なことだ。
俺はあの時に、守ると約束した。
「だから、終わらせないように動く」
だが、もしも……。
「それでも無理なら――」
言葉を切る。
「俺の全てで終わらせるだけだ」
それだけだった。
「……」
ミリカは動かなかったが、少しうつむいた。
「……ダメ」
小さく落とす。
次の瞬間――
腕が引かれる。
「……?」
そのまま、距離が詰まる。
抱きつかれる形になる。
「おい――」
「ダメ……」
顔は見えない。
胸元に押し付けられている。
「それ、ダメなやつ……」
強くはない。
だが、離れない。
「勝手に終わるな……」
少しだけ息を吐く。
「……離れろ」
「やだ……」
即答だった。
「強いの、いい……」
ぽつりと落とす。
「生き残れる……」
さらに一歩。
抱きつく力が、少しだけ強くなる。
「子も、残せる……にゃ」
「……は?」
思わず声が出る。
間を置かずに、ミリカは続ける。
「消えるなら、その前に残せばいい……」
「何を言ってる」
「子供」
迷いがない。
「エアの」
「……はあ!?」
今度は、はっきり声が出た。
ミリカは顔を上げる。
近い。
距離が、やけに近い。
「嫌?」
真顔で聞いてくる。
俺は額を手で覆った。
「そういう話じゃない」
即答する。
「じゃあ、いい」
だが、意味が通っていない。
「よくない」
即座に否定する。
「……」
ミリカは少しだけ首を傾げる。
本気で分かっていない顔だ。
「……とりあえず離れろ」
「やだ」
また即答。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
「……帰るぞ」
それだけ言う。
ミリカは少しだけ間を置いてから――
「……ん」
頷く。
腕を引き剥がそうとするが、力は抜けない。
「……はぁ」
諦めて、そのまま歩く。
夜の通路。
さっきまでの騒ぎが嘘みたいに静かだった。
足音だけが、また規則的に響く。
「……」
視線を少しだけ横に向ける。
ミリカは何も言わない。
離れない。
腕はそのまま。
仕方なく放置して、前を見る。
(……面倒なことになった)
もはや振りほどく気力もない。
寮の明かりが、少しずつ近づいてくる。
夜は深く、静かだ。
何も起きていないように見える。
だが――
「……」
さっきの火球。
仮面。
そして今の状況。
どれも繋がっているはずなのに……。
(何一つ分からない)
考えるのをやめる。
今はいい。
答えは出ない。
それよりも――
「……」
腕に残る感触。
視線を落とす。
(……どう対処したものか)
そう思った、が。
「……分からん」
小さく吐き出す。
「なにが?」
「……知らん」
短く返すついでに――
「……にゃ?」
小さく漏れる声。
「っにゃ!?」
今度はミリカが反応する。
「真似するにゃ!」
「してにゃい……」
少しだけ不満そうな声。
それでも離れない。
「……うぐぐぐ」
(厄介だ……)
果たして……俺はこの子をどう扱えばいいのか……。
それだけが分からない。




