第117話:表に出ないもの
それから、俺達は四人で町を歩いた。
屋台の喧騒は少しずつ遠ざかり、人の流れも緩やかになっていく。
気づけば――
空が、染まり始めていた。
ゆっくりと、街全体が夕日と同じ色に包まれて、建物の影が伸びる。
通りの端で、子どもが笑っている。
誰かが店を畳み始める音。
「……」
何も言わず、歩く。
ユーリスと、ミリカ。
それから――カイナもいる。
妙な並びだ。
だが、誰もそれを言わない。
(……)
視線を少しだけ前に向ける。
歩きながら、考える。
カイナの様子。
あの反応。
あの言葉。
(……違うな)
少なくとも――
ミリカを攫ったのは、“白服”ではない。
セレスとの戦闘……。
記憶の仮面と重ねる。
あの系統の動きじゃない。
(だが……)
完全に切れるわけでもない。
あの槍。
詠唱のない火。
“似ている”。
似ているが――同じではない。
「……」
考えがまとまらない。
一つだけ分かるのは――
まだ、何も分かっていないということだけだ。
「エア?」
横から声。
ユーリスだった。
少しだけこちらを覗き込んでいる。
「……何か、考えてますね」
柔らかい声。
だが、外れてはいない。
エアは一瞬だけ止まる。
それから――
「……少しな」
短く返す。
ユーリスはそれ以上踏み込まない。
「そうですか」
小さく頷く。
「無理に聞きませんけど……」
少しだけ間。
「一人で抱え込まないでくださいね」
それだけ言う。
「ああ……大したことじゃない」
本当かどうかは、自分でも分からない。
だが――
今は、それでいい。
「帰るぞ」
短く言う。
足を止めずに、そのまま学院へ向かう。
夕焼けの中。
影が、四つ。
長く伸びていた。
―――――
学院の門を抜け、寮へ向かう道。
夕焼けはすでに消えかかり、空には星が見え始めている。
人の気配も、もうほとんどない。
カイナともさっき別れ、部屋に向かう。
「……」
ふと。
足が、止まりかける。
「……?」
ユーリスが振り返る。
「どうしました?」
ただ、視線だけ動かす。
(……気のせいか?)
今、何か――気配がした。
ほんの一瞬。
だがもう、どこにもない。
風が抜ける。
何もない。
「……いや」
小さく首を振る。
気のせいか。
……いや、違う。
たしかに一瞬だけ、気配があった。
(掴めない)
追えない。
位置も、特定できない。
「……」
少しだけ目を細める。
(今のままじゃ、無理だな)
少なくとも――
“正体の分からない何か”を相手にするには、情報が足りない。
学院側はすでに動いている。
ガレスも、あの件をそのままにする事はないはずだ。
だが――
(進展がない)
ここまで何も出てこないのは、逆におかしい。
掲示板に警告が張り出されただけ……。
見つからないのか。
見えていないのか。
あるいは――
そもそも、探し方が違うのか。
「……」
視線だけで周囲をなぞる。
さっきの気配。
一瞬だけだったが、確かに“あった”。
それも――学院の中で。
(……妙だな)
ここは学院だ。
結界も、監視もある。
なのに、何故だ……。
それを抜けて、“何かがいる”。
「エア?」
「何?……」
「いや、なんでもない」
考えを切る。
今ここで立ち止まっても、何も掴めない。
そのまま歩き出す。
寮の前。
ユーリスとミリカを送り届ける。
二人が中に入るのを確認してから、足を止め、振り返る。
夜の学院は静かだった。
灯りはある。
だが、どこかにさっき感じたものがまだ残っている。
(……白服じゃない)
少なくとも、あれは違う。
だが――
(じゃあ、何だ)
答えは出ない。
だからこそ、一人で考えても意味がない。
「……」
小さく息を吐く。
方向を変える。
寮から離れる。
向かう先は一つ。
小研究塔。
ノクシアのいる場所だ。
学院側が掴んでいる情報。
現状の調査。
それと――
自分が感じた“違和感”。
全部、まとめてぶつける。
(あいつなら……何か知ってるか…)
あるいは――
何も知らないと、はっきり分かる。
それでもいい。
今は、それが必要だ。
夜の廊下を、一人で進む。
足音だけが、静かに響いていた。
―――――
小研究塔。
そこのとある一室。
扉の前で一度だけ止まる。
明かりが中から漏れ、中から微かに音がする。
ガラスの触れ合う音。
紙をめくる音。
「俺だ」
軽くノックする。
「開いてるわよ」
気の抜けた声。
いつも通りだった。
扉を開ける。
中は見事なものだった。
散らかった机。
開きっぱなしの書物。
隠す気もない酒瓶。
その中心で――
ノクシアが椅子に沈んでいる。
「……珍しいわね」
グラスを揺らしながら、こちらを見る。
「あんたが一人でこんな時間に来るなんて」
エアは中に入り、扉を閉める。
「少し聞きたいことがある」
短く言う。
ノクシアは肩をすくめる。
「面倒な顔ね」
それでも、追い返さない。
「で?」
ノクシアに促され、改めて現状を話す。
襲撃のこと。
詠唱のない火。
槍。
それから――
学院内で感じた、あの一瞬の気配。
「……」
話が終わる。
ノクシアはすぐには答えない。
グラスを傾ける。
一口。
それから――
手が、わずかに止まった。
ほんの一瞬。
だが、確かに止まった。
「……へぇ」
何事もなかったように、グラスを戻す。
「それ、本当に白服?」
軽く言う。
エアは答えない。
「似せてるだけに聞こえるわね」
淡々と続ける。
「詠唱なしの火。
槍型の魔装」
指で空中をなぞる。
「理屈としては成立する。
でも――どこか噛み合ってない」
そして、指が途中で止まる。
「中央の連中は嫌いだけど、そこまで雑じゃないわよ」
それは、俺の感覚とも一致していた。
「……なら、何だ」
低く聞く。
ノクシアは答えない。
少しだけ視線を外す。
「さあね?」
軽く言う。
「そういうのは、あんまり首突っ込まない方がいいわよ」
曖昧な言い方。
だが……分かる。
(何か……知ってるな)
ユーリスも絡む話で、ノクシアがこんな顔をする時点で分かる。
ノクシアは続ける。
「学院は……いえ、このアルケシアはね」
ぽつりと落とす。
「表に出てるものだけじゃない」
それ以上は言わない。
言わないまま、酒を飲む。
「……そうか」
言葉にしない方が、はっきり分かる。
カイナも言っていたが……学院内部に、何かある。
「……俺を消す気だと思うか?」
短く聞く。
ノクシアは少しだけ笑う。
「知らないわよ」
即答。
だが――
否定ではない。
「ただ」
グラスを軽く揺らす。
「気をつけなさい」
その声だけ、ほんの少しだけ真面目だった。
「今回はあんたみたいに、枠の外かもしれない」
数秒の沈黙。
(枠の外……か)
それはつまり――
「……分かった」
短く返す。
それ以上は聞かない。
聞いても、答えは出ない。
ノクシアもそれを分かっている。
「まあ」
気の抜けた声が戻る。
「死なない程度にやりなさいよ」
いつもの調子だった。
何も言わず背を向け、扉へ向かう。
「エア」
呼び止められ、足を止める。
振り返らない。
「……運が悪いわね、あんた」
ぽつりと落ちる。
そのまま扉を開け、夜の廊下に戻る。
静かだった。
だが――
さっきまでとは違う。
(……なるほどな)
小さく目を細める。
学院は動いている。
ガレスも、何もしていないわけじゃない。
だが――
(騒いでいない)
掲示板の警告。
それだけだ。
本来なら、もっと大きく動くはずの案件だ。
生徒が襲われた。
しかも学院内で。
それなのに――
(抑えてる)
外に出さないようにしている。
あるいは……出せない。
「……」
視線を落とす。
ノクシアの言葉。
“表に出てるものだけじゃない”
(……繋がるな)
内部に何かある。
それを知っているから、学院は大きく動かない。
「……」
ガレスの顔がよぎる。
あの男は、嘘をつくタイプじゃない。
だが――
(全部は話してないな)
確信に近い。
隠している。
意図的に。
「……まあいい」
小さく吐く。
今はまだ、切る必要はない。
だが――信用はしない。
それだけ決める。
廊下を進む。
足音だけが、静かに響く。
学院は静かだ。
だが、その静けさは…もう、さっきまでと同じ意味ではなかった。




