第112話:聖杭杖槍
「――跪け!」
セレスの声が落ちた瞬間。
床が、光った。
次の瞬間――
白い杭が、突き上がる。
一直線。
迷いもなく、
足を狙ってきた。
「……」
半歩、ずらす。
だが、
それで終わらない。
二本目。
三本目。
間を詰めるように、
連続で突き上がる。
逃がさない軌道。
(……なんだこれは)
火には見えない……。
だが――
触れた床が、
焼ける音を立てている。
目を細める。
白い。
揺れない。
流れない。
ただ形を保ったまま、
貫こうとしてくる。
(……ただの火じゃない)
圧縮されて、固められている。
「……」
一瞬だけ、
腕を下げる。
次の杭に触れる。
瞬間――
その重さが走る。
焼ける前に、
押し潰されるような感覚。
(こんな扱い方もあるのか……だが)
縛るための火。
固定する火。
押さえつける火。
杭がさらに増える。
床から。
壁から。
角度を変えて、
足を潰しにくる。
逃げ場を消してくる。
しかし、結局は……火だ。
「……よくここまで制御できてる」
感心しながら、小さく吐く。
そして、そのまま一歩、
前に出た。
避けるのをやめる。
迫る白杭を、
腕で払う。
触れた瞬間。
白い火が、
皮膚に絡みつき――
ほどけた。
固定されていた形が崩れ、
流れに戻る。
本来の火のように、
揺れる。
「……」
セレスの動きが、
止まった。
ほんの一瞬。
だが、
確かに止まった。
白杭の制御が、
わずかに遅れる。
周囲の白服たちも、
息を呑む。
「……あり、得ない……」
その空気だけが、
場に広がる。
セレスは目を細める。
理解しようとしている。
だが――
追いつかない。
「……なぜだ」
低く、漏れる。
問いではない。
自分の中で、
整合が取れない音だった。
白杭は、
圧縮された火。
術式によって固定された、
“形を持った熱”。
それがセレスの魔法。
だが俺が触れれば、
……ただの火だ。
「……崩れた? だと……?」
ほんのわずかに、
声が落ちる。
俺はそのまま腕を振る。
残っていた白い火が、
完全に消えた。
「面白い」
短く言う。
「俺はこんなふうに、火を扱ったことがなかった」
「……」
セレスは動かない。
だが――
思考だけが、明らかに加速していた。
視線が揺れない。
「……術式の崩壊ではない」
低く、言葉を選ぶ。
「干渉……侵食……いや、違う」
わずかに首を振る。
「……同調でもない」
止まる。
一瞬。
そして――
「……違う」
否定。
切り捨てる。
思考を放棄するように言葉を絞り出す。
「……あってはならない」
小さく、確信に近い声。
セレスの言葉に周囲の白服がざわつく。
「あり得ない……」
一歩、踏み込む。
さっきまでとは違う……、
明確な“殺し”の構えになった。
「……貴様」
声が低くなる。
「何者だ」
「さあな」
短く返す。
次の瞬間――
セレスが踏み込んだ。
速い。
さっきまでとは違う。
一直線に詰めてくる。
同時に――
口元が、わずかに動いた。
(……詠唱か)
声は聞こえない。
音にもならない。
だが、
確かに動いている。
短い。
削られている。
実戦用の詠唱。
(……隠している?)
内容を悟らせないための、省略。
面と向かって、魔術師と戦うのはこれが初めてだ。
(これが魔術師の戦い方か……)
セレスは……手練れだ。
「……ッ」
「……ほう」
見事な間合いで、槍杖が振られる。
横薙ぎ。
ただの斬撃じゃない。
軌道に沿って、
白い線が残る。
足を止めるための一撃。
身体を引く。
かすめる。
その背後で――
空気が、歪んだ。
「……!」
床じゃない。
空中。
何もない場所から、
白杭が“生えた”。
(上か)
同時。
前後左右。
視界の外から、
挟み込む。
(詠唱と連動してる)
タイミングが上手い。
一つの術じゃない。
組み合わせている。
「……無駄だ」
あえて一歩、踏み込む。
逃げるのをやめ、槍の内側へ。
セレスの目が、
わずかに細くなる。
想定外の距離。
だが止まらない。
口元が、また動く。
(次が来るな)
槍が突き出される。
正面。
それに合わせて――
足元が光る。
遅れて杭が来る。
(段差を作ってる)
わざと時間差を作って、
動きを縛る。
「……悪くない考えだ。だが」
そのまま、
突きを横に流す。
杭が迫る。
杭の先端が触れた瞬間、
白い線が崩れる。
同時に、
足元の杭も形を失う。
セレスの口元が、
一瞬だけ止まった。
「火は俺に従う」
それでも――
次の詠唱に入っている。
止まらない。
止めない。
セレスは必要以上に間を詰めず、距離を調整しながら詠唱する。
槍と術の同時展開。
「なるほど、お前らはそうやって戦うのか」
そのまま、さらに一歩踏み込む。
距離を潰す。
逃さない。
「いいな、それ」
真正面。
間合いに入る。
セレスは下がらない。
下がらないまま、
半歩だけ角度を変える。
真正面を外す。
(……逃げないか)
口元が、また動く。
さらに短い。
削り切った詠唱。
(来る)
槍杖が、消えた。
(下か)
――速い。
セレスは槍杖の矛先近くまで瞬時に握り直し、
真下から突きを出した。
だが、それだけじゃない。
軌道に沿って、
白い“面”が展開する。
線じゃない。
面。
視界が、白で塗り潰される。
「……っ!」
一瞬。
何も見えない。
(目眩ましか)
次の瞬間――
奥から気配。
来る。
視界のさらに奥。
気配だけが先に届いた。
横じゃない。
上でもない。
真正面。
「……!」
身体を捻る。
大きく。
強引に。
白い面を突き抜けるように――
飛ぶ。
遅れて。
槍が、通る。
さっきまでいた位置を、
正確に貫いていた。
(……速いな)
そのまま、
後ろへ跳ぶ。
距離を取る。
だが――
着地する前に、
理解する。
(逃げ場がない)
背後。
壁。
「……っ」
空中で姿勢を変える。
だが遅い。
セレスが、
既に踏み込んでいる。
槍が来る。
追撃。
躊躇がない。
一直線。
「――ッッ」
避けきれない。
「ッく!」
ガシッ。
掴む。
白羽取り。
槍杖の穂先が届く寸前、
なんとか止めた。
「……掴んだか」
セレスの目が、
わずかに開く。
そのまま、
力で押し合う。
距離、ゼロ。
だが簡単には押し返せない。
「……お前」
小さく言う。
「強いな」
素直な感想だった。
セレスの瞳が、
揺れる。
ほんの一瞬。
だが、
すぐに戻る。
さらに力が乗る。
押し切るつもりだ。
力なら、俺は角グマとも互角の自信はある。
なのに……矛先が離れない。
(すごい力だ……。これは……)
その瞬間。
壁際、燭台の火が――
揺れた。
いや。
“立ち上がった”。
細い炎が、
一瞬だけ、
明確な意思を持つように伸びる。
空気が変わる。
熱が、
ほんのわずかに濃くなる。
(……少しだけ、やるか)
そう思った瞬間。
――バンッ!!
扉が、
乱暴に開いた。
空気が裂ける。
「何をしている」
低く、強い声。
ガレスだった。
その後ろ。
マリスの姿があった。
室内の空気が、
一瞬で変わる。
白服たちが、
一斉に振り向く。
セレスも、
わずかに視線をずらす。
ほんの一瞬。
その隙。
俺は力を抜く。
槍を押し返し、
一歩だけ下がる。
距離が切れる。
「……」
ガレスの視線が、
全体を見渡す。
床の刻印。
白杭の残滓。
構えたままのセレス。
そして――俺。
「……説明しろ」
低く。
抑えた声。
だが、
怒気は隠れていない。
沈黙。
張り詰める。
誰も、
すぐには口を開かない。
その中で――
セレスが、
ゆっくりと槍杖を下ろした。
だが、
構えは解いていない。
視線だけが、
ガレスへ向く。
「……異端を処理していただけだ」
静かに言う。
それが、
この場の空気をさらに冷やした。
「……処理、だと?」
ガレスの声は低い。
感情は乗っていない。
だが、
確実に温度が下がる。
一歩、踏み込む。
「ここは学院だ」
短く言う。
「処理という言葉は、
ここでは使われない」
セレスは動かない。
視線だけで応じる。
「中央の法において、
教義への虚偽告発は異端に該当する」
淡々と。
「その場での拘束および執行は、
聖杭槍杖に認められた権限だ」
「……そうか」
ガレスは否定しない。
一度、受ける。
その上で――
「だが、それは中央の話だ」
わずかに間。
「ここはアルケシアだ」
空気が、わずかに軋む。
白服たちが動く。
だがセレスは揺れない。
「……場所は関係ない」
「関係はある」
即答だった。
短い。
だが、
一切の揺れがない。
セレスの目が、
わずかに細くなる。
「……どう関係する」
「ここはアルケシアだ」
ガレスは繰り返す。
変えない。
「学院は白塔同盟の管轄にある。
中央の執行権は、その外だ」
静寂。
白服たちの空気が、
明確に変わる。
一段、硬くなる。
セレスは動かない。
だが――
「……つまり」
ゆっくりと口を開く。
「中央の権威を、
この場で制限する、と」
「違うな」
ガレスは首を振る。
「線の話だ」
淡々と。
「踏み越えるなら、
話は変わる」
空気が、さらに冷える。
誰も動かない。
誰も息を荒げない。
だが、
一歩踏み違えれば終わる位置。
セレスの槍杖が、
わずかに持ち上がる。
ほんの数センチ。
それだけで、
場が緊張する。
「……踏み越える、か」
小さく呟く。
「ならば問う」
視線が鋭くなる。
「中央の執行官が、
教義に基づき異端を処理することが」
ほんのわずかに間。
「“越境”だと?」
「そうなるな」
迷いなく返す。
ガレスは一歩も動かない。
「生徒ではなく、中央の信徒として、
学院の許可なく手を出した時点で」
短く。
「越えている」
完全に断定。
白服の一人が、
わずかに動く。
だが、
誰も口を挟まない。
セレスは黙る。
思考ではない。
測っている。
その上で――
「……では」
ゆっくりと、
言葉を選ぶ。
「ここで退けと?」
視線がわずかに鋭くなる。
「中央が、虚偽告発を見逃した形になる」
「そうはならない」
ガレスは即答する。
「引き取る」
「……?」
セレスの目が、
初めてわずかに動く。
「学院で不審者が現れた。そいつはその目撃者だ」
淡々と。
「特徴は聖杭槍杖と類似点が多い」
静かに落ちる。
それだけで、
場の意味が変わった。
セレスの目が、
わずかに細まる。
「……類似点、だと」
「詠唱のない火。
槍型の魔装」
ガレスは一つずつ並べる。
声は低いまま。
「学院内で一名が攫われた。
保護されたのは昨夜だ」
白服たちの空気が、
また変わる。
ざわめきはしない。
だが、
沈黙の質が変わった。
セレスは俺を見た。
次に、
床に残る白杭の残滓を見る。
そして、
もう一度ガレスへ視線を戻す。
「……だから見逃せと?」
「違うな。そもそもそいつは触れ回ってなどいない。
調査のための事実の確認をしに来た。私の指示だ」
ガレスと視線が合う。
合わせろとでも言いたげな目だ。
俺は肩をすくめ、頷いた。
「やり方は自由にしていいと言われたからな」
ガレスは否定しない。
セレスの目が、
わずかに細まった。
「……随分と都合がいいな」
「事実だ。だがやり方が雑すぎた」
ガレスは短く返す。
「学院として公式に謝罪する」
静かに。
だが、
はっきりと言った。
その一言で、
場の空気がわずかに変わる。
白服たちの視線が動く。
セレスは黙ったまま、
ガレスを見る。
ガレスは続ける。
「中央の位階を、
確認もなく名指しした」
短く。
「それ自体は学院側の不手際だ」
俺を見るでもなく、
事実だけを置く。
「その点については、
こちらで責任を持つ。……だが」
声が落ちる。
「それと、お前がここで執行に踏み切ったことは別だ」
空気が、
また引き締まる。
セレスの目が、
わずかに細くなる。
「謝罪しながら、なお止めるか」
「そうだ」
即答だった。
「学院の責任は学院で取る。
中央の越権は、ここでは認めない」
沈黙。
誰も口を挟まない。
ガレスは一歩も引かない。
「つまり」
セレスが静かに言う。
「学院側は非を認めながら、
処理権だけは渡さない」
「そうだ」
短い返答。
「お前たちにとって不快でも、
それが我々の境界だ」
白服たちの空気が、
さらに硬くなる。
セレスはしばらく黙った。
測っている。
押し切れるか。
ここで折れるべきか。
それとも、持ち帰るべきか。
やがて。
「……レイヴァルト」
低い声。
「は」
「記録しろ」
短い命令。
「学院側は、中央位階への不適切な言及を認め、
公式に謝罪の意を示した」
鋭く冷たい目つきになる。
「その上で、対象を学院預かりとした」
レイヴァルトが小さく頷く。
「承知しました」
セレスはさらに続ける。
「加えて」
視線が、
俺へ向く。
「対象は中央の監視下に置く」
静かに。
だが、
拒否を許さない響き。
「学院外で問題を起こした場合、
次は学院規則ではなく、中央法で裁く」
ガレスは即答しない。
数秒。
その沈黙ごと受けてから。
「この件は学院側も残す。それで構わないな?」
「……いいだろう」
それで決まった。
折れたわけじゃない。
勝ったわけでもない。
ただ――
両者が、ここで止まると決めただけだ。
セレスは槍杖を完全に下ろした。
床に残っていた白い刻印が、
ゆっくりと消えていく。
「……今回は、学院の顔を立てる」
淡々と告げる。
「次はない」
それだけ言って、
踵を返す。
白服たちが、
整然と後に続く。
レイヴァルトだけが、
去り際に一度だけこちらを見た。
何か言いかけて――
結局、何も言わない。
「行くぞ」
ガレスに呼ばれ、俺は外に出ていった。
―――――
扉が閉まる。
ようやく、
空気が動いた。
ガレスは小さく息を吐く。
「……面倒なことをしたな」
低い声。
俺は肩をすくめる。
「そうか?」
「そうだ」
即答だった。
「……お前は何をしている?」
「調査、だろ?」
そう返すと、
ガレスが一瞬だけ黙った。
目が、
わずかに丸くなる。
本当にわずかに。
だが、
確かに止まった。
「……」
その顔のまま、
数秒。
それから、
深く息を吐く。
「……調子に乗るな」
低く言う。
怒鳴りもしない。
ただ、
疲れた声だった。
「事実確認に来た、まではいい」
再びため息を吐く。
「……やり方を考えろ」
こめかみを押さえながら、
渋い顔をする。
「相手が相手だ」
廊下の空気は静かだった。
さっきまでの張り詰めた空気が、
扉の向こうにまだ残っている。




