第106話:夜の整理と昔話
夜は、そのまま何事もなく過ぎた。
妙な物音も、
気配も、
異変もない。
静かなまま、
時間だけが過ぎていく。
「……」
目を開けたまま、
天井を見る。
眠る気はなかった。
ユーリスも、
寝る気はないらしい。
椅子に座ったまま、
時折視線を動かしている。
「……眠いなら寝てていいぞ」
一応、言う。
ユーリスはすぐに首を振った。
「寝ません」
間髪入れずだった。
「今日は……その」
少しだけ言葉を選ぶ。
「何かあるかもしれませんし」
「そうか」
短く返す。
それでも、
ユーリスは続けた。
「寝るまで起きてます。
だから、その間にもう少し整理しませんか?」
椅子に座ったまま、
こちらを見る。
「白服。
別勢力。
学院の構造。
あと……」
少しだけ間。
「エアが今、一番嫌だと思ってること」
「最後はいらん」
「いると思います」
「いらん」
「いります」
即答だった。
俺は思わず眉を寄せる。
「……お前な」
「考えるの苦手ですよね?」
またそれを言う。
「本当に腹が立つな」
「当たってますね」
「……黙れ」
ユーリスが小さく笑う。
その笑い声が、
静かな部屋に落ちた。
――少しして。
ユーリスが、姿勢を正す。
「……まず、白服です」
声の調子が変わる。
「中央側。神格派とも呼ばれている正統光火教。
エアは、そこから勧誘されてる」
確認するように言う。
「表向きは保護。
でも実際は……」
少しだけ言葉を探す。
「エアの力の管理、ですよね」
「だろうな」
「はい」
ユーリスは頷く。
「中央に入れば」
「周りの連中をだしに、少なくとも“外からは触られにくくなる”なんて言ってはいたが……」
「でも」
視線がこちらに向く。
「中に入ったら、今度は逃げられないですね」
「……そうなる」
短く返す。
ユーリスは少しだけ息を吐く。
「次に――エアが今気にしている別勢力ですね」
ここで少しだけ曖昧になる。
「これは……正直、分かりません」
「だろうな」
「はい。別の教会絡みかと思いましたが、
それならもっと違う形で行動に出てくるはずです」
ユーリスは腕を組んで頭を傾ける。
「でも、カイナの話が本当なら」
視線が細くなる。
「学院の中にも、
中央とは別の動きをしてる何かがいる可能性がある」
断定はしない。
あくまで仮定。
「それが何かは分かりませんけど……」
少しだけ間。
「エアを見てるのが、
中央だけじゃない可能性はたしかにあるかと」
沈黙。
「つまり」
ゆっくり言う。
「白服に入れば、一方は避けられる」
「でも、もう一方は分からない……ですね」
視線がぶつかる。
「だけど……入らなければ、両方から来る可能性がある」
「……面倒だな」
「はい。かなり」
少しだけ笑う。
それから。
ほんの少しだけ、
間を置いて。
「で」
ユーリスが言う。
「エアは、どうしたいんですか?」
沈黙。
ユーリスの視線は、
逸れない。
俺は少しだけ考えて――
「……白服には入らん」
それだけ言う。
ユーリスは、少しだけ目を細める。
「理由は?」
「気に食わない」
即答。
「……それだけですか」
「それで十分だ」
間。
「囲われるのも、
中で何か決められるのも面倒だ」
視線を外す。
「あと」
少しだけ間。
「中に入った時点で、
“そっち側”になる」
ユーリスが、わずかに息を止める。
「……あぁ、それは確かに」
理解した顔だった。
「逃げ道、なくなりますね」
「そうだ」
短く返す。
「なら」
ユーリスが続ける。
「外にいる以上、
両方から来る可能性は残ります」
「来るなら来ればいい」
即答だ。
それしか浮かばない。
ユーリスが少しだけ苦笑する。
「……やっぱりそうなりますよね」
「避けられるなら避ける」
「でも、避けられなければ?」
「潰す」
間を置かず言う。
部屋が静かになる。
ユーリスは少しだけ目を伏せた。
それから。
「……槍は?」
ぽつりと聞く。
俺は、わずかに視線を動かす。
「取る」
短く言う。
「理由は?」
「必要だからだ」
それ以上は言わない。
ユーリスも、
それ以上は聞かない。
少しだけ間。
「……じゃあ」
ユーリスが言う。
「今は――」
言葉を選ぶ。
「どこにも属さずに、
来るものに対処しながら、
槍を取りに行く……ってことですか?」
「そうなるな」
静かに答える。
ユーリスは、
ゆっくり頷いた。
「……無茶ですね」
「まぁ、わかってはいる」
「でも」
少しだけ笑う。
「エアらしいです」
沈黙。
静かな夜が、
また戻る。
ユーリスが、少しだけためらって口を開く。
「そういえば……一つ、聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「神話に出てくる、“リウゥ”って……」
少しだけ間。
「たぶん、ルゥさん……ですよね?」
「あぁ、リウゥか……」
小さく繰り返す。
「たぶん……それも、違う」
ユーリスが目を瞬かせる。
「違う、んですか?」
「混ざってる」
短く言う。
「リルとルゥが、混ざってるな」
「……リル?」
「ルゥの連れだ」
沈黙。
ユーリスは考えるように視線を落とす。
「でも、神話だと……」
「太陽だの月のどうこうのやつだろ」
適当に言う。
「そんな綺麗なもんじゃないさ」
ユーリスが顔を上げる。
「……というと?」
少しだけ間。
「最初な? ルゥのやつは、普通に俺の頭割りに来たぞ」
「……え?」
ユーリスが固まる。
「いきなり石持ってな」
淡々と言う。
「肉焼いて背を向けてたら、狙ってきた」
「……は?」
「外でゴブ食……草の魔物?。そいつに食われて死にかけてたの拾ったら、次にそれだ」
ユーリスの思考が止まる。
「いや……ちょ、ちょっと待ってください!」
「待たん」
即答。
「腹減ってたんだろうな」
「いや、そういう問題じゃなくて……!」
ユーリスが混乱している。
「神話では、もっとこう……」
「あれは、盛ってるだけだ」
短く切る。
「火を受け継いで、もたらしただの」
少しだけ視線を逸らす。
「そんな大層なもんじゃねぇ」
沈黙。
「火、怖がってたしな」
ぽつりと落とす。
「でも、近づいてきた」
それだけ言う。
ユーリスは、言葉を失っていた。
神話と、今聞いた話が、
まるで噛み合っていない。
「……じゃあ」
やっと声を出す。
「神話の“リウゥ”って……」
「例のごとく、作られた話だ」
「……」
ユーリスは黙る。
理解しようとしている。
「人間は、そういうの好きだからなぁ」
静かに言う。
「分からんもんを、まとめて綺麗にする」
部屋が静かになる。
ユーリスは、しばらく何も言わなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「……でも」
視線が上がる。
「それでも、その人がいなかったら」
少しだけ間。
「今の神話も、ないですよね」
「だろうな」
短く返す。
「全部……そこからだ……」
沈黙。
静かな夜が、また流れる。
「昔話はここまで……寝ろ」
ぽつりと言う。
ユーリスが小さく頷いた。
「……はい」
小さく返事をする。
ユーリスはしばらく動かなかった。
座ったまま、
少しだけ俯いている。
「……ベッドで寝ろ」
「え!?……でも……」
何かを考えている顔だ。
「俺もあとで寝るから先に寝てろ」
ユーリスは少し遠慮しながら、そのままベッドのはじにくるまった。
「……エア」
「なんだ?」
布団から少し頭を出す。
「さっきの話」
少しだけ間。
「……もっと、聞いてもいいですか?」
「欲張りだな……」
少しだけ間。
「……まぁ、いい」
それだけ言う。
ユーリスは、小さく頷いた。
布が擦れる音。
「……そうだな、なら」
それから、くだらなかったことからダックが生まれたときのことを話した。
ユーリスは熱心に聞き入っていたが。
しばらくして。
ゆっくりした呼吸が聞こえた。
「……」
寝たな。
俺は天井を見たまま、
目を閉じる。
――さっきの話。
口に出したのは、
いつぶりだったか。
少しだけ、頭の奥が軽い。
「……なつかしいな」
そう思って――
少しだけ、息を吐く。
静かな夜は、
そのまま朝まで続いた。




