第102話:ざらつきの朝
夜の自室。
灯りは落としたまま、
壁にもたれて座る。
静かだ。
だが――
頭の中は、やけにうるさい。
「……俺もつくづく馬鹿だな」
ぽつりと落とす。
天井を見上げる。
「少し、軽率すぎた……」
あの時。
あそこで引いていれば、
火を見せなければ。
レイヴァルトに負けていれば――
今よりは、ずっと静かに過ごせたはずだ。
「……分かっていたはずだがな」
小さく息を吐く。
気に食わなかった。
それだけだ。
だから見せた。
押し潰した。
結果――
面倒なものを引き寄せた。
「……くだらん」
自分に向けて、吐き捨てる。
目を閉じる。
だが――
あの時の視線。
あの“測る目”が、
頭から離れない。
(……まあいい)
ゆっくりと息を吐く。
「来るなら来い」
誰に向けたわけでもない。
ただ、落とす。
静かな部屋に、
その声だけが残る。
「やることは昔と同じだ……。
……来るのなら全部、燃やす」
それだけ言って、
目を閉じた。
―――――
――夢を見た。
音がない。
色も、薄い。
ただ――
静かな場所。
「……」
立っている。
どこか分からない。
だが、
嫌な感じはしない。
むしろ――
少しだけ、
落ち着く。
「……?」
気配。
後ろ。
振り向く。
――誰かいる。
小さい。
細い。
だが、
はっきりとは見えない。
輪郭が、
ぼやけている。
「……」
声をかけようとして――
やめた。
理由は分からない。
だが、
名前を呼べば、
消える気がした。
だから、
何も言わない。
ただ、見る。
相手も――
動かない。
逃げない。
近づかない。
ただ、
そこにいる。
「……」
一歩、近づく。
相手は動かない。
距離が、
少しだけ縮まる。
その瞬間――
胸の奥が、
妙に静かになる。
さっきまで残ってた、ざらついた感覚……。
視線。
違和感。
苛立ち。
それが――
消える。
「……」
もう一歩。
近づく。
今度は、
はっきり分かった。
緑。
細い手。
見覚えのある形。
だが――
顔が、
見えない。
ぼやけている。
それでも。
分かる。
(……ルゥ)
声には出さない。
出せない。
ただ、
そう思った。
その瞬間――
相手の気配が、
ほんの少しだけ揺れた。
応えるように。
「……」
手を伸ばす。
触れられる距離。
あと少し。
だが――
触れる直前で、
止まる。
怖いわけじゃない。
だが、
壊れる気がした。
触れたら、
消える。
そんな感覚。
「……」
代わりに――
わずかに、
距離を詰める。
触れていない。
だが、
近い。
その距離で――
胸の奥が、
妙に落ち着く。
満ちるような、
感覚。
(……なんだ、これは)
分からない。
だが――
離れる気には、
ならなかった。
その時。
遠くで、
何かが揺れた。
ざわ、と。
あの感じ。
さっきの――
視線に似ている。
空間が、
わずかに歪む。
「……」
目の前の気配が、
少しだけ薄くなる。
「……行くなッ」
無意識に、
一歩踏み出す。
追う。
だが――
届かない。
「……」
もう一度、
距離が開く。
そのまま――
消える。
何もなかったみたいに。
「……ルゥ」
その瞬間。
視界が、
割れる。
―――――
――コン、コン。
音。
現実の音だ。
「……っ」
意識が引き戻される。
目が開く。
暗い天井。
一瞬、どこにいるのか分からない。
「エア、起きてますか?」
扉の向こう。
ユーリスの声。
「……」
短く息を吐く。
体を起こす。
妙に重い。
頭が、少しだけ鈍い。
「あぁ……起きてる」
低く返す。
立ち上がる。
そのまま、適当に制服を掴む。
袖を通す。
留める。
整えない。
雑だが――気にしない。
そのまま扉へ向かい、
開ける。
「おはようございま――」
言いかけて、
ユーリスの言葉が止まる。
「……え?」
目が、少しだけ見開かれる。
俺は眉を寄せる。
「どうした」
ユーリスはすぐには答えない。
視線が、
俺の顔に止まっている。
じっと。
「……エア」
少しだけ声が低くなる。
「大丈夫ですか?」
「何がだ?」
即答する。
ユーリスが一歩、近づく。
迷いながらも、
はっきりと言う。
「……泣いてました?」
「……は?」
理解が追いつかない。
ユーリスが指を少しだけ上げる。
「目と……その、頬……」
言われて、
初めて気づく。
頬に触れる。
乾いている。
だが――
確かに、跡がある。
「……」
言葉が止まる。
夢の最後が、
一瞬だけ蘇る。
(……ルゥ)
「……いや、なんでもない」
俺はそのまま歩き出し、ユーリスは深く聞かずについてきた。
寮の共同の広間を抜ける。
朝の光が、広い空間に差し込んでいる。
人の気配はまばらだ。
行き交う声も、まだ少ない。
「……」
階段を降りる。
ユーリスが横を歩く。
「今日はまだ、食堂も空いていると思います」
「だろうな」
短く返す。
そのまま出口へ向かう――
「……」
足が、わずかに止まる。
そこにいた。
マリス。
柱の影に寄るように立っている。
静かだ。
動かない。
ただ――
こちらを見ている。
ユーリスが気づく。
「あ、マリスさん」
少しだけ声を上げる。
「おはようございます」
マリスは一拍置いてから、
「……おはよう」
小さく返す。
視線は、少しだけこちらに残る。
ユーリスがそのまま言う。
「今から食堂に行くところなんですけど……一緒にどうですか?」
マリスはすぐには答えない。
ほんのわずかに、間。
それから――
「……いいよ」
短く頷く。
それだけ。
並ぶ。
三人で歩き出す。
静かな足音。
その途中。
「……エア」
マリスが呼ぶ。
俺は少しだけ視線を向ける。
「なんだ」
マリスは一瞬だけ迷う。
それから、
「……顔色が悪い」
淡々と言う。
心配というより、
ただ事実を確認するような言い方。
「問題ない」
即答する。
「そう」
それ以上は言わない。
だが――
視線が、一瞬だけ残る。
測るようなものではない。
だが、何かを確認するような目。
「……」
違和感。
わずかに引っかかる。
(なんだ……今のは)
覚えのある感覚。
だが――
思考が続かない。
頭が、まだ鈍い。
夢の余韻が、
抜けきっていない。
「……」
そのまま歩く。
――少しして。
食堂の入口が見えてくる。
ざわめき。
人の気配。
朝の匂い。
いつもの音だ。
「……」
そのまま中に入る――
「っよ!」
後ろから腕が回る。
がしっと。
乱暴に。
「朝から女連れとは――」
パコダ。
そのまま肩に腕を乗せたまま、
顔を覗き込んでくる。
「……」
一瞬。
パコダの動きが止まる。
笑いが、消える。
「……おい」
声が少し低くなる。
「なんだ、その顔……」
「なんだ?」
パコダは腕を離す。
一歩、引く。
視線が変わっている。
軽さが消えている。
「……なんかあったのか?」
ザハクが近づく。
一度だけ、空気を吸う。
眉がわずかに動く。
「……妙だな、気配が違う」
ミリカも近づく。
じっと見る。
「……濁ってる」
オルドが腕を組む。
「寝不足じゃねぇな……」
ユーリスがあたふたして、戸惑いながら俺の顔と周りを見合わせる。
俺は少しだけ眉を寄せる。
「……そんなに酷いか?」
パコダが即答する。
「あぁ」
間を置かずに。
「いっつも仏頂面だけどよ、おまえのそんな顔……始めて見たぞ?」
空気が少しだけ重くなる。
ユーリスが不安そうにこちらを見る。
「エア……本当に大丈夫ですか?」
少し深呼吸をした。
「いや……、……ダメだな」
ぽつりと落とす。
全員の動きが一瞬止まる。
俺はそのまま視線を外す。
「わるい……今日はやめておく」
短く言う。
このままじゃ、皆の朝が台無しだ。
「少し、頭が回らん」
理由をつけて、
踵を返す。
出口の方へ歩き出す。
「あ、おい」
パコダが声をかける。
だが止まらない。
「……」
その時。
ぐいっ。
腕が引かれる。
「……?」
視線を向ける。
ミリカだ。
無言で、
俺の手首を掴んでいる。
細い指。
だが、しっかりと力がこもっている。
「……ダメ」
ぽつり。
「飯、食べる」
乱暴に引く。
そのまま。
躊躇なく。
「……今はそんな気分じゃ――」
返すが、ミリカは遮って止まらない。
「関係ない」
即答。
「お腹すくの、よくない」
パコダがそこで吹き出す。
「理由それかよ!」
だが、すぐに頷く。
「でも正解だな」
ザハクも続く。
「体が鈍ってる時ほど、食え」
オルドが肩をすくめる。
「倒れられる方が面倒だ」
ユーリスも小さく言う。
「……少しでもいいので、食べたほうがいいですよ」
「……同意」
全員が見ている。
逃がす気がない目。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
「いらん……」
そのまま一歩、動こうとした瞬間。
「行く」
ミリカがもう一度引く。
強い。
その一瞬。
左右から影が動いた。
「駄々をこねるな」
ザハク。
「諦めろ」
オルド。
両腕を掴まれる。
「お、おい」
言う間もなく。
ぐい、と。
そのまま持ち上げられる。
「は?」
足が浮く。
完全に。
「運ぶぞ」
ザハクが平然と言う。
「軽いな」
オルドが笑う。
「お前ら――」
抵抗する気にはならない。
だが、雑だ。
「おい、ちょっ――」
そのまま数歩。
席まで運ばれる。
「よし」
「ここだな」
どさっ。
椅子に落とされる。
「……っ」
軽く衝撃。
パコダが腹を抱えて笑う。
「ははは! 強制執行完了!」
ミリカが頷く。
「成功」
ユーリスが慌てる。
「ちょ、ちょっと乱暴すぎませんか……!?」
ザハクが肩をすくめる。
「これが一番早い」
オルドが笑う。
「文句あるか?」
「あるに決まって――」
言いながらも。
気づけば――
目の前に、皿が置かれている。
肉。
パン。
湯気。
水。
「ほら、食えよ」
パコダが顎で示す。
ミリカがじっと見る。
「食べる」
ザハクが短く言う。
「精をつけろ」
オルドが腕を組む。
「戻るまでな」
ユーリスが少しだけ身を乗り出す。
「え、えっと……無理はしなくていいので」
「……無駄な抵抗」
完全に囲まれている。
逃げ道はない。
「……ったく」
小さく吐く。
だが――
手は止まらなかった。
皿に伸びる。
パンを取る。
口に運ぶ。
味は、まだ薄い。
だが――
ほんの少しだけ、
頭の重さが引く。
「……」
視線を上げる。
全員が見ている。
「……見るな」
パコダが笑う。
「見るだろ」
ミリカが頷く。
「見る」
ザハクが小さく息を吐く。
「確認だ」
オルドが肩をすくめる。
「監視だな」
ユーリスが困ったように笑う。
「……心配、です」
「……」
もう一口、食べる。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
胸の奥のざらつきが、
薄れる。
(……俺は赤子か)
心の中で、そう吐く。
だが――
悪くはない。
そう思った。
それでも。
朝のざわめきの奥にある違和感だけは、
まだ消えていなかった。




