第101話:視線と輪郭
実験は続いていた。
刻印陣の上。
杖。
紙。
魔力の流れ。
ノクシアが腕を組んだまま言う。
「もう一度」
「今度はできるとこまで力を落として」
「あぁ」
短く返す。
火を出す。
細く。
抑えて。
流れを意識する。
その時だった。
「……」
違和感。
ほんのわずか。
集中してたからこそ、
別の何かの気配を感じた。
だが――俺よりも先に、
「止めて……」
ノクシアの声。
即座に火を消す。
ユーリスがびくっとする。
「え……?」
ノクシアは動かない。
視線だけが、
空間をなぞっている。
「……おかしいわね」
小さく呟く。
そのまま、わずかに顔を傾ける。
ユーリスが固まる。
「師匠? な、何が……?」
ノクシアは答えない。
一歩だけ動く。
扉の方へ。
「……そこ」
次の瞬間。
指先がわずかに動く。
空間が“裂ける”。
細い刃。
紙を媒介に、風とも火ともつかない斬撃が飛ぶ。
それが一直線に――
扉の隙間へ。
「――ッ!」
微かな反応。
一瞬だけ、
“何か”がそこにあった。
だが――斬撃は扉を吹き飛ばし、空を切る。
「逃げたわね」
ノクシアが低く言う。
同時に。
俺は斬撃と同時に動いていた。
床を蹴り、開いた扉を出る。
廊下。
わずかに残った“気配”と“匂い”。
先。
曲がり角の向こう。
一瞬だけ見えた。
フード。
揺れる布。
後ろ姿。
「……」
追跡しようと、踏み出そうとした瞬間――
「やめなさい」
ノクシアの声。
後ろから。
足が止まる。
わずかに振り返る。
ノクシアは扉のところに立っていた。
腕を組んだまま。
目だけがこちらを見ている。
「追わなくていい」
短く言う。
「もう意味がないわ」
俺は前を見る。
気配は――消えている。
完全に。
「……逃げられたな」
小さく言う。
ノクシアは肩をすくめる。
「覗き見なんて趣味の良いことね……」
場が静まる。
その空気を破るように、
「え……あの……!」
ユーリスの声。
不安と混乱が混ざっている。
「い、今の……二人とも、気づいてたんですか……?」
ノクシアはゆっくりと視線を向ける。
「ええ」
ユーリスの顔が強張る。
「で、でも……一体、誰が……」
「どうせ中央の連中よ」
被せるように言う。
興味なさそうな声音。
だが――
次の瞬間。
視線が変わる。
ユーリスへ。
逃がさない、鋭い目つきで……。
「それより……」
一歩、近づく。
ユーリスの肩がびくっと跳ねる。
「あなた」
静かに言う。
「何も感じなかったの?」
ユーリスが言葉に詰まる。
「え……え!? いや、その……」
ノクシアは一切助けない。
「魔力検知」
ゆっくりと。
区切るように。
「ちゃーんと」
一歩。
「お、し、え、た、わ、よ、ね?」
最後だけ、少しだけ笑う。
だが目は笑っていない。
ユーリスの顔色が一気に変わる。
「す、すみません……!」
反射的に頭を下げる。
「冒険者をやってる時はいつもやってたんですけど……、でも……」
「でも?」
詰める。
逃げ場はない。
ユーリスは言葉を探す。
「うぅ……分かりませんでした……」
ノクシアはしばらく見つめたあと、
小さく息を吐く。
「……まぁいいわ」
あっさりと言う。
「分からないなら、分かるまでやるだけよ」
冷たい声色。
だが、見捨ててはいない温かさが奥にある。
そのまま背を向ける。
「基礎からやり直し!」
ユーリスが慌てて頷く。
「は、はい……!」
俺はそれを見て、口を開く。
「それ」
ノクシアが止まる。
少しだけ振り返る。
「どうやる?」
俺の問いに、ノクシアは一瞬だけ言葉を失う。
「……は?」
「さっきの、魔力検知ってやつだ」
その場が止まる。
ユーリスが固まる。
ノクシアの目がすっと険しくなる。
「……あんた」
少しだけ首を傾ける。
「今の分かってなかったの?」
「いや、気配は感じたが、魔力っていうのは正直まだよくわかってない」
即答する。
ユーリスが目を見開く。
「え……?」
ノクシアは数秒、黙り込む。
そして――
小さく笑った。
「……なるほどね」
少しだけ納得した顔。
「そういうタイプ」
ぼそっと呟く。
そのまま言う。
「魔力の流れを見るのよ。空間にある“歪み”」
指先で軽く円を描く。
「触れてるものは、必ず揺れる」
短く言う。
「水面と同じ」
俺は聞く。
「見えん」
ノクシアは即答する。
「見ようとするからよ。
感じなさい」
ユーリスが小さく呟く。
「……いや、それが難しいと思うんですけど……」
ノクシアは無視する。
そのまま歩き出す。
「ほら、やるわよ。あんたも基礎からやり直し」
ノクシアのその一言で、
結局その後もしばらく、
俺はよく分からない“検知”とやらをやらされ続けた。
だが――
成果は、ない。
空間を見ろと言われても見えん。
歪みを感じろと言われても分からん。
違和感や気配なら拾える。
だがそれを“魔力”として認識しろと言われると、
途端に輪郭がぼやける。
何度目かのため息を吐いたところで、
その日の実験はようやく切り上げられた。
―――――
廊下を歩く。
白い壁。
静かな足音。
隣にはユーリスがいた。
俺は少しだけ不機嫌を残して前を見たまま歩く。
「……さっぱり分からん」
ぽつりと落とす。
ユーリスが横を見た。
「え?」
「魔力検知だ」
短く言う。
「気配は分かる。
だが、あれが言う“流れ”とか“歪み”とかは、
結局よく分からなかった」
ユーリス達には、
一体どんなふうに見えているんだろうか……。
「見ろと言われても見えん」
ユーリスは小さく苦笑した。
「まぁ……そうですよね」
「お前は分かるのか?」
「近くにいれば相手の魔力量ぐらいは」
少し考えるように言う。
「でも、師匠も言ってましたけど……」
ユーリスは歩きながら、
少しだけ声を落とした。
「エアは、やっぱり根本が違うのかもしれません」
「根本?」
「はい」
頷く。
「師匠の仮説ですけど」
少し間を置く。
「そもそも、エアは……魔力を使ってない可能性があるって」
俺は視線だけ向ける。
ユーリスは続けた。
「普通の魔術師は、
自分の内側にある魔力か、
周囲の魔力を掴んで、術式に通して、現象を起こします」
指先で、
空中に細い線を引くような仕草。
「だから、内から外へ出す感じなんです」
「内から外へ?」
「ええ」
ユーリスは頷いた。
「自分の中にあるものを、
言葉や杖や術式で整えて、外に出す」
少しだけ考える。
「火でも、水でも、風でも土でも、
順番は大体同じです」
「感知して、組んで、流して、出す」
「前に教えてくれた、三工程ってやつか」
「はい」
少しだけ嬉しそうに言う。
「ちゃんと覚えてくれてるんですね」
俺は気にせず続ける。
「それで、俺は違うと?」
「多分。そもそも詠唱も入れてないじゃないですか?」
ユーリスは素直に言った。
「エアが火を使う時って、
内側から何かを押し出してる感じが、あまりないんです」
「ほう」
「むしろ……」
言葉を探すように、
少しだけ視線を上へ向ける。
「外側の方が、先に合ってくる感じです」
「外側が?」
「はい」
歩きながら、
ユーリスは自分の手を軽く開いた。
「私たちは、こっちから魔力を合わせにいくんです」
手を前へ押し出す。
「でもエアは逆で、
触れた瞬間に、周りの方が“そうなる”みたいな……」
言葉を切る。
「上手く言えないんですけど」
少しだけ困ったように笑う。
「火を出してる、というより、
そこに火が起きるのが当然みたいな感じで」
俺は黙って聞いた。
それは、
自分ではよく分からない。
だが、言われてみれば、
確かにそうかもしれなかった。
「だから」
ユーリスは言葉を継ぐ。
「属性石にも、反応しなかったのかもしれません」
「共鳴……しないからか?」
「えぇ、おそらく」
頷く。
「属性石は、人の中にある魔力核に反応して、
その偏りを読んでるんだと思います」
少しだけ間。
「でもエアは、その“読む前提”の中にない」
ユーリスは小さく息を吐く。
「師匠も、そんな感じで見てる気がします」
しばらく、二人で歩く。
白い廊下。
静かな足音。
俺は少しだけ眉を寄せた。
「つまり、俺は魔術師ではない?」
ユーリスはすぐには答えなかった。
少し考えてから、
慎重に言う。
「魔術を使ってはいるんだと思います。元はエアさんの力ですし」
そしてまた少し悩みながら言葉を紡ぐ。
「ただ……私たちが知ってる“魔術師”とは、
少し違うだけで」
(違う……か……)
俺は小さく息を吐いた。
「ややこしいな……」
「はい」
ユーリスが苦笑する。
「すごく」
少しだけ間。
それから、
小さく付け足す。
「でも……そのせいで、
師匠もあんなに興味を持ってるんだと思います」
「観察対象ってやつか」
「それもありますけど」
ユーリスは少しだけ笑った。
「師匠は多分……エアのこと、ちゃんと掴もうとはしてるんだと思います」
「貴重なサンプルだからか?」
「えぇ、それもありますね」
ユーリスは苦笑いをしつつ隣を歩く。
「そう言えば、エアは、気配を感じてましたよね」
「あぁ」
「なら、それでいい気もします」
「?」
「少なくとも」
少しだけ考えてから言う。
「何も分からない私よりは、ずっと先にいるので」
俺は短く返す。
「お前も気づけるようになればいい。狩りの仕方なら俺は教えてやれる」
ユーリスは一瞬だけ目を丸くして、
それから小さく笑った。
「はい!」
白い廊下を、
二人でそのまま歩いていく。
完全には分からない。
だが、
分からないなりに、
少しずつ輪郭は見え始めていた。
少なくとも――
俺の火は、
あいつらの言う魔術とは、
別の場所にある。
それは……痛いほど理解できた。
だからこそ――
さっきの“気配”が、頭から離れない。
(いや、それだけじゃないな……)
廊下を歩き続ける。
白い壁。
静かな足音。
その中で、
わずかに視線が刺さる。
「……」
生徒たち。
すれ違うたびに、
一瞬だけこちらを見る。
すぐに逸らす。
(……増えてるな)
さっきの気配と質が近い。
上手くは言えないが、
かつて森の民が俺に向けていた感じとはまったく違う……。
だからなのだろう……。
俺は小さく息を吐く。
わずかに、苛立ちが混じる。
(……鬱陶しいな)
足は止めない。
そのまま、歩く。
だが――
見られている感覚だけが、
ずっとまとわりついていた。




