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ヴィルディステの物語  作者: あるかな
【第三章】

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320/322

3‐5‐7 ドナおばさん

 


 大神殿の敷地内は灯りが少ない。

 学舎寮から食堂までの小路もまた、深い闇に沈んでいた。

 灯りが少ないといっても、気配りはされている。人の気配を察すれば、ぽわりと足元に魔灯が灯る。

 すっかり暗くなったこの時間でも、子供が一人で歩いてもなんら問題はない。


 辺りは夜の静寂に満ちていて、重なる二人の足音さえも、ひどく大きく響いている。

 そんな静けさの中で、時折、空腹を訴えるお腹の音が鳴った。


(……絶対に、聞こえている)


 繋がれた手に、ほんの少し力がこもった気がした。

 恥ずかしさから一歩でもいいから距離を置きたいのに、しっかりと繋がれた手はそれを許してくれない。

 伏せ気味にした顔が熱い。横を歩くリュークを盗み見れば、彼は結界の中での出来事などなかったかのような、いつもの柔らかな笑みを浮かべていた。

 その余裕が、今は少しだけ恨めしい。彼はどこまでも優しく、どこまでも正しく“保護者”であろうとしている。


 特に会話はない。それが気まずいわけでもない。

 ただ、リュークの傍らにいる心地よさに慣れてしまっている己が不安だった。

 いつかは一人になる。

 繋がれた手から伝わる体温が、いとおしければ愛おしいほど——

 いずれ訪れる、独りきりの凍えるような未来を想う。

 リュークにとっての刹那は、己にとっての一生だ。

 今の温もりだけでは、心の冷えを拭い去ることはできなかった。



 ◇


 食堂の入り口が見えてきた。と、するりと繋がれた手が離される。

 突然消えた温もりに、一瞬だけ指先が泳ぐ。

 人目に触れる場所では、リュークはあくまでも“親しい商人”で、自分は“保護されるべき子供”なのだ。突きつけられた境界線に、ナギサは胸の奥をチリリと焼かれるような思いで、強引に己を納得させた。


 食堂は閑散としていた。

 夕食時間としては、遅めの時刻ではある。

 だが、ナギサは普段この時間に来ることが多い。そしていつもは、学舎生や神官見習い達が、そこかしこで食事や食後の語らいをしている姿を見かけるものだ。

 なのに、今日は本当に人が少ない。人の喧騒はもちろんのこと、食器が触れ合う響きも、椅子を引く微かな音すら聞こえてこない。



 二人が食事の受け取り口へ向かうと、いつもナギサを気遣ってくれる女性が、のんびりとふきんでカウンターを拭いていた。


「ドナおばさん、こんばんは。今日はとても静かですね」


「おや、今日も遅いね。見ての通り、大したものが残っていないよ」


 ナギサが不思議そうな表情をしていたのだろう、

「明日から春学期の講義が始まるだろ? 皆、初日ぐらいはちゃんと講義に出たいんだろうねぇ。毎回、学期の初めはこんな感じで、早めにやってきて、さっさと寮に戻っていくんだよ。だから、もう食事も選べるほど残ってないのさ」


(なるほど)


 言われてみれば、なんとなく納得できる。

 明日から春学期の講義が始まる。最初の印象は大切だ。それに自分自身の中でのけじめみたいなものもあるだろう。初日ぐらいはちゃんとしたい、そんな心持ちで今日は早めに食事を済ませて部屋に戻り、明日に備えているのだろう。


「へぇ、子供達は存外真面目なんだね」


 横からリュークが、どこか他人事のように口を挟んできた。

 その“子供達”の中にナギサも含まれているのか、それとも。


「久しぶりじゃないか、リュークさん。商いは上手くいっているかい?」


「お久しぶりです、ドナさん。商いは、ぼちぼちといったところですね。フィデューシ様からの依頼がなかなか細かくて、やっと今日終わらせて戻って来たんですよ」


 淀みのない、聞き慣れた商人の声音。

 先ほどまでナギサにだけ向けられていた、あの熱を帯びた眼差しが嘘のようだ。

 この器用さが、ナギサを少しだけ寂しくさせる。


「なるほどね。まぁ、久しぶりにお嬢ちゃんに会って浮かれるのもわかるけど、その子も明日から講義なんだ。夜更かしさせて明日寝坊でもしたら可哀想だろ? 早く寮に戻しておやり」


「そうですね。そこまで僕が気が回らなくて……」


 リュークが苦笑してナギサを見た。その瞳の奥には、ドナには決して見せない、悪戯っぽくも粘り気のある光が、一瞬だけ宿った気がした。




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