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ヴィルディステの物語  作者: あるかな
【第三章】

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319/322

3‐5‐6 

 



「——頑張ったね」


 その囁きは甘く、心地よい。けれどどこかリューク自身を突き放すような苦さを孕んでいた。


 そっとリュークの空いた手が頬に添えられた。

 せっかく冷めた体がまた熱くなってしまう……


 驚きに星金の双眸を覗き込めば、先程までの厳しさは瞳の中には見られない。


「……あ」


 鼓動が跳ねる。労うような柔らかな声音に、ナギサの心は呆気なく解きほぐされていく。

 だが、それよりも頬に感じるひんやりとした彼の手に、己の熱が伝わりそうで恥ずかしい。


「ちゃんと誤魔化さずに話してくれたね。あの時、僕が気づいた時には、ニールが既に君を手助けしていて……とても驚いたよ。変な取引でも持ちかけられてはいないよね?」



 尋ねる言葉はあくまでも冷静。でも、頬に触れた指先に、軽く力が込められるのを感じる。

 心配してくれている?

 これまでのニールの言動を思い返せば当然か。だが、今回は、


「ん、ニールさん、謝ってくれました」


 久しぶりに見るリュークの驚きの表情だ。

 金の瞳は見開かれ、軽く口元も緩んでいる。


 頬を優しく触れる指先が、強張こわばり、動きを止めている。

 気のせいか、それとも夜が更けたせいなのか、微かに空気が冷えてきた。


「あいつが、謝った?」


 ナギサがコクリと、金の瞳を見つめ頷くと、


「本当……に?」


 問い返す声は、これまでに聞いたことがないほどに頼りなく、たどたどしいものだった。


「わたしも——最初はニールさんの言葉が呑み込めなくて戸惑ったんです。でも、ぶっきらぼうで、言い捨てる感じだったけど、でも、ちゃんとした謝罪でした」


「……」


「手助けもニールさんの方から声を掛けてくれたんですよ!」


「あいつ……から」


 呆然としたリュークの呟きとともに、頬に添えられた指先に、微かに力がこもる。

 痛くはない。けれど、そこには彼が自覚していないであろう焦燥のような熱が混じっている気がして、小さく息を呑む。


「リューク……?」


 そっと声をかけると、長い睫毛がぴくりと揺れた。

 指先にこめられた力は緩み、頬から滑らせるようにわたしの耳元に触れる。

 まるで、誰かにつけられた見えない跡を、上書きして消し去ろうとするみたいに。


「それに……人としてのやり方で、ってわたしのお願いも守ってくれたんです」


 星金の瞳を覗き込めば、苦し気な色を帯びている。

 己の話がリュークを不安にさせたのだろうか。

 そう、あの時、ニールは不承不承という雰囲気を漂わせていたけれど、ナギサの希望通りに動いてくれた。


「びっくりしちゃいますよね。あんな酷いことをローニャ様にした人だから、謝罪だって、本当は疑うべきなのかもしれません。……けれど、あの時の言葉は、嘘には聞こえなくて」


 僅かに感じていた冷気がいや増している。

 陽だまりのように心地よかった結界内が、今にも凍てつく冷気へと塗り潰されてしまいそうなほどに。

 寒さのせいなのか、耳元に軽く添えられた手の熱が心地よいを通り越して、とても熱く感じる。

 その熱に溶かされてしまわないように、震える吐息を飲み込んだ。




「でも、ニールさん。ひどいんですよ」


「?」リュークの長い睫毛が瞬きに揺れた。


「モリスのことをすごく丁寧に扱ってくれていたのに、急に騎士様達に押し付けるようにして行っちゃったんです。商人仲間の方々が一緒だったから、そのせいかもしれないんですけど。でも、モリスのこと、もう少し気にかけてほしかったです」


 本当にそう。

 出来れば大神殿までモリスを運んで欲しかった。ニールとローニャの関係を考えれば、モリスには酷な事かもしれないが、あれだけ憧れを前面に出しているのだ。助けてくれたのが、意中の相手。目覚めた時にその顔が心配気に自身を見つめていれば、拐われそうになった恐怖も少しは抑えられよう。

 それに、ニールはあの時とてもモリスを気遣っていた。


「君は……いや、ナギサ。君だってあの時とても恐怖を感じていただろ? それなのに、友達のことで怒っているのかい?」


「当たり前じゃないですか」


 どうしたのだろう。リュークの表情は、自分自身を後回しにして、自分以外のことで怒りを覚えることが不思議だと言っているようだ。

 それほど意外なことだろうか。リュークやクラウスも、ナギサのことであれほどニールに対して怒ってくれたのに。


「でも、ニールさんにはとても感謝しています」


「あいつに……かん……しゃ?」


 こくりと頷き金の瞳を見つめ返す。

 リュークの瞳は本当に綺麗だとナギサは場違いなことを思ってしまう。だが、その輝きはいつもと少し違ってみえる。

 ナギサを気遣っている時、心配している時、少しだけお小言状態の時。そのどれとも違う。


「ローニャ様にしたことは、とても酷いことだと考えています。

 でも、今回の件では、窮地に陥っていたわたし達に“自ら”手を差し伸べてくれました。

 何も見返りの要求もなく、モリスの安全を一番に考えて動いてくれました」


「……」


「わたし、人より魔法に長けている、って言われますが、こういう時に何もできないんです。

 自分の身も、友人の身も護れない——」


 ナギサを見つめる金の瞳がスッと近づく。

 突然のことに言葉も出ずにいると、唇に指がそっと添えられた。


 零れ落ちそうになった自嘲の言葉は、熱を帯びた指先によって塞がれた。

 驚きに目を見開けば、黄金の瞳がスッと近づき、そこには泣き出しそうな己の顔が映っている。


「——そんなことはない。君は充分に、いや、それ以上のことを為している」


 静かな、とても静かな否定。


 何故、どうして皆、己のことを非難しないのだろうか。

 元世界では、『ぐず』『下手くそ』『遅い』『役立たず』と、影でも表でも言われていた。

 胸の奥で渦巻く言葉は、黄金の双眸と凛とした声音が、呪いを解くように優しく拭い去ろうとしてくれる。


 でも、やっぱり己の事が不甲斐ない。

 友人を助けるために前に立つことも、悪漢相手に飛び出す勇気も、持っていない。

 こそこそと気づかれないように、小手先の魔法を仕込むことしかできない己だ。


「本当に困った姫君だ。ナギサ、君はもっと自信を持っていいんだよ」


 唇に置かれた指はそのまま。言葉を封じられたままのナギサに、リュークは優しく告げる。

 触れる指先の熱のせいなのか、凍えるような空気はいつの間にか消え、今は再び穏やかな、木漏れ日のような温もりを周りに感じる。


 どうして皆『自信を持て』と言うのだろう。

 ローニャにも先日言われたばかり。

 この世界では忌避される髪色や瞳の色ではないが、だからといってセラスやクラーヴィアのように目を奪われるような容姿でもない。

 こんな己がリュークの横にあっても、引き立て役にすらならない。

 それに、ローニャの手によって底上げされた能力値すら、使いこなせていない。


 いや、そんなことより、“白光”。何故、己はこんな忌まわしい力を身に宿しているのだ。

 大切な人達を傷つけてしまうような恐ろしい力だ。

 うっかりこの力を振るってしまったら——


「焦らないで。まだ一年だよ。もっとゆっくり学べばいい。時間はあるのだから」


 己を見つめる金の瞳に揶揄いはない。海の色が金色であれば、これは深海。深く濃く何もかもを包み込んでしまうような瞳。

 ——そして、時間。確かに元世界で無為に過ごした時間を今己はやり直しているようなもの。そう考えれば時間があるのかもしれない。

 だが、神々と人の時間は違い過ぎる。学び直している間に、きっと己は置いていかれてしまう……




「さてと。この話はここまでだよ」


 ふわりと微笑むリュークの瞳は軽やかだ。

 クラウスやファイヌム達といる時の“いつもの”笑顔。


「お腹を空かせた姫君を、あまりお待たせしてはいけないよね」


「! もしかして……聞こえて」


 つっと、指が唇に再び軽く触れた。

 空腹を悟られたことの恥ずかしさと、まるで口づけのように触れる指先が恥ずかしく、じわじわと体が熱くなってくる。


 そんなナギサの様子が可笑しいのか、リュークはすっと立ち上がると、ぽふぽふと頭を軽く撫でてくる。

 また子供扱いして、と横を見上げると、柔らかな金の瞳がナギサを見つめていた。

 ますます恥ずかしくなり、頬がより赤くなるのが自分でもわかる。


「うん、ナギサは可愛い」そう呟きながら、今度はそっと頭を撫でられた。


 ——変な自分……クレメンスに撫でられた時は、子供扱いされても嫌じゃなかったのに……




皆さま、ナギサの物語にお付き合いいただいてありがとうございます。

読んでいただけてとてもありがたく、ものすごく励みになっております。

よろしければブックマーク追加や評価で応援いただけるととても嬉しいです。


次回更新は、5月6日を予定しております。

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