表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴィルディステの物語  作者: あるかな
【第三章】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

318/322

3‐5‐5 誘い

 



 寮から一歩踏み出すと、ひんやりとした春の夜気がナギサを包んだ。

 昼間の暖かさは嘘のように引き、代わりに湿り気を帯びた新緑の、むせるような独特な香りが鼻を突く。

 稚児衣装から着替えたあとの薄手のブラウスでは、少し心許ない。ナギサは小さく身震いすると、食堂へと足早に歩き出した。


(……えっ?)


 食堂へと続く小路の脇、深く茂った木立の奥。

 そこだけが、まるで月の光を切り取って溶かしたような、柔らかな乳白色の光に包まれていた。

 蝋燭のように揺らぐことはない。緻密な魔力で編み上げた、静謐で、けれど圧倒的な存在感を放つ隠蔽結界。

 おそらく、魔法探知の特殊能力アビリティを持たない者が見れば、ただの暗がりにしか映らないだろう。


 むせるほどの新緑の香りの中、柔らかな陽だまりのような微かな匂いがする——


(この香り……)


 誘われるように、ナギサの足が小路を外れた。


 木々の隙間を縫い、光の源へと近づく。

 近づくほどに心地よく、柔らかな空気がナギサを包み込む。


 ——そして、息を呑んだ。



 老木にもたれかかり、その老木ごと包み込む光の繭の中に、彼が佇んでいた。

 いつもは燃えるように輝いている金髪も、乳白色の光の中では柔らかな黄金色。伏せられた瞳を縁取る長い睫毛は何故か銀色にさえ見えた。


 一歩、また一歩。

 閉じた瞳が開かれる前に、少しでも早く彼の前へ。


 彼は神。そして己は神を傷つける“白光”の力を宿す器。

 だから、距離を取らねば、これ以上惹かれては駄目だ、と己を戒めているのに……理性より、想いに体は素直に反応してしまう。


「やっと出てきたね」


 ——不意に、長い睫毛が震えた。

 伏せられていた瞼がゆっくりと持ち上がり、その黄金の瞳がナギサの姿を捉える。


「今日は食事を抜いてしまうつもりかと思って、心配したよ」


 驚きにナギサが固まるより早く、リュークの手が、壊れ物を扱うように、でもしっかりとその細い手首を捉えた。彼はそのまま、戸惑うナギサを光の繭の中へと引き込んだ。

 瞬間、むせるほどの濃い香りは消え、柔らかな陽だまりのような匂いにナギサは包まれていた。




「……リューク、お帰りなさい」


「ただいま」


 たったそれだけの遣り取り。

 だが、そう微笑むリュークの指先が、微かに震えている。

 いつも自信に溢れている彼が、まるで壊れ物を扱うような、あるいは、抑えきれない焦燥を押し殺しているような。

 そのわずかな指の熱が、繋いだ手を通して、ナギサの心臓にまで直接流れ込んでくる。


 でも、それ以上に己の胸の鼓動が激しく、頬が熱を帯びていく。

 吐息がかかるほど間近に引き寄せられて、顔を上げることすらできず、繋がれた手に視線がいってしまう。


「ち、近いです……」


 嬉しいはずなのに口から出るのは、つまらない言葉。

 誰にも視られない結界の中。もっと甘えればよいのにと、囁き続けるもう一つの声がうるさい。


「はは、そうかもしれないね。でも——」


 知ってか知らずか。

 ナギサの手を取ったまま、リュークが目の前で片膝をつくと、そのまま軽く指先に唇を落とした。


「!」


 どうしてリュークは、これほど無防備に己に触れることができるのか。

 あの春宵宮でのことを覚えていないのだろうか?

 アダマースの枷を解くために、リュークはナギサの中の“白光”の力を解放した。

 その力に戸惑うナギサを、リュークはただ、壊れ物をいたわるように抱きしめ続けてくれた。

 その代償に、リュークの治癒力を上回るほどの傷を負わせることに——神にとっての死に等しい“白光”の恐怖を与えたはずなのに。


 弾かれたように顔を上げれば、どこまでも優しい星金の輝きを宿した瞳がナギサを見つめていた。


「やっと僕をみてくれたね」


 悪戯っぽく、けれど慈しむように、彼は目を細めた。

 その指先が触れる場所から、じりじりと熱が伝わってくる。


 ——怖い。


 己のなかの“力”が彼を焼いてしまわないか。それ以上に、この優しい熱に、心まで溶かされてしまうのが……




「さてと」


 リュークの眼差しが、僅かに厳しさを帯びる。

 その変化に気づけば、自然と背筋が伸び、熱を帯びていた身体も冷めていく。


 何か怒られるようなことをしたであろうかと、その眼差しを受け記憶を辿るが、リュークに不利益になるようなことはしていないはず。

 はて? と心の内で考えていると、


「ナギサ、大変な目に遭ったはずだけど、僕には教えてくれないのかな?」


「……ん、ひょっとして、人攫いのことですか?」


「ひょっとしてって……ナギサ、他人事じゃないだろ?」


 溜息と共に零れた声は、少しだけ呆れたような色を含んでいる。

 リュークの少し厳しい眼差しは、心配の表れらしい。


 彼がすべてを把握していることは、その声音から察しがついた。隠しごとはできないと諦め、ナギサはぽつりぽつりと、小物屋を出てからの出来事を話し始めた。ウォーリから聞かされた事後説明までを終えると、夜の静寂がより一層深く感じられた。


 だが、こうして改めて説明すると、とても危険で恐ろしいことだったと思い至る。特に腕輪の件は男達が未だ目を覚まさないこともあって、後味が悪い。

 ローニャの名前探しのことで危険な目に遭い過ぎて、少し感覚が麻痺しているのかもしれない。




「——頑張ったね」


 その囁きは甘く、心地よい。けれどどこかリューク自身を突き放すような苦さを孕んでいた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ