3‐5‐4 部屋に戻り
昼食会を終え、ナギサは今、自室に戻ったところ。
——疲れた。
なんだか最近、自室に戻るなりベッドに倒れ込んでばかりいる気がする。
今朝は朝課を済ませると、すぐに昼食会の支度のために大神殿へ赴いた。
クラーヴィア付きの侍女達に徹底的に磨き上げられ、姿見に映った己の姿は、まるで御伽噺の挿絵から抜け出した、どこかの国の姫君のようだった。
纏っている稚児の衣装は、驚くほど軽くしなやかなもの。肌に触れる質感も柔らかく、着心地は決して悪くない。
だが、白髪の己とはあまりに対照的な、鮮やかな洗朱色。分不相応な華やかさが、鏡の中の己をひどく他人めいた存在に見せていた。
裾を長く引く衣装なんて、生まれて初めて身に着けた。
奉納舞の衣装も長めの裾の扱いに戸惑ったが、この稚児装束はそれ以上だ。
一歩歩くたびに、意志を持った生き物のように足首に絡みついてくる長い裾。
元世界のニュースで見た、レッドカーペットを歩く着飾った女優達の姿が脳裏をよぎる。彼女達はどうしてあんなに堂々と振舞い、美しく歩けるのだろうか。
おまけに薄化粧を施され、髪は豪奢な編み込みで一際目立っていた。
いくら白髪は珍しくないと言われても、朱に白。こんなに人目を引く装いなんて……
『まぁ、“白妙の聖子”そのものじゃない』
出来上がったわたしを見て、侍女達が口々にそう褒めてくれた。
だが、褒められた当の本人は、それが何のことだかさっぱりわからない。
困り顔のわたしに『昔の言い伝えに出てくる稚児のことなの。また今度お話しするわね』と、クラーヴィアが優しく声をかけてくれたが、伝説上の稚児というのは大げさではなかろうか。
姿見に映る己の姿に不安は募る一方だったが、装束の下にいつもの首飾りをすること、あの髪留めを使うことが許されたのが、せめてもの安心材料だった。
クラーヴィアの後に続いて入った大広間。
豪華絢爛な空間には、それに相応しい装いの人々が集っていた。
商人の集い、と聞いていたが、まるで王侯貴族のような豪奢な装いの人々が目に入り、緊張で足がすくんでしまった。
……だけど、あの場に流れていた、バッハやモーツァルトを思わせる調べ。
驚きよりも懐かしさで心が一瞬和んだけれど、あれは何だったのだろう。
己がこの世界で違和感を覚えたように、この世界の人にとってあの旋律は奇異に感じないのだろうか。
奏者の姿も見当たらず、ただ楽の音色だけが場を満たしていたけれど……魔道具なのか?
だが、例えそうであっても、その魔道具はどうしてクラシック音楽を奏でることができるのだ。
仮に元世界のものとして、一体誰がそれをこの世界に持ち込んだのだろう。
ああ、だけど、何より忘れられないのは、あの視線だ。
クラーヴィア様の背に隠れていてもなお、隙間を縫うようにして、ねっとりと絡みついてきた数多の視線。
この着飾った形が滑稽なのか、珍しいのか。
見定めるように、値打ちを確認するかのように、舐め回すような視線が不快で恐ろしい。
その中でインウィディアといったか。女商人アンスーラが伴っていた男——隣国の商人らしい——の深く探るような視線……
いや、視線だけではない。
あの臭い。
アンスーラが放つ強烈な百合の香りを押し退けてしまうほど。
あんな恐ろしい臭いがする商人なんて。
戦う者が纏う、血と武器の臭い。クレメンスのような騎士や、その類の生業のものなら理解できる。
だが、あの男は商会長だというのに。商人が、それも商会を率いるような人物が、武人が纏う臭いを、あそこまで強烈に感じさせるものだろうか。
それに、あのわざとらしい振舞い。
初対面で、国主へ親書を手渡しするなんてあり得ないだろう。この礼節が厳しい世界であれば尚の事。
しかも、わたし達に触れようとした!
あの時、咄嗟に体が反応した。
本能的なもの? 体があの男を避けようとしている?
いや、それより、あの男は何の為に手を伸ばした?
そもそも触れてどうなるという?
何か接触型の術を使おうとした?
だが、あの場では、魔法の行使はすぐに察知される。
騎士に連行されて強制退場だ。
印付け?
それこそ何故だ。初対面のはず。何かあの男の興味を引くような己だろうか?
出自や能力は偽装されていて、神々でさえすべては視えないはず——だというのに、何故かあの男の視線に、すべてを暴き立てるような力を感じてしまう。
——駄目だ。考えようにも情報が足りない。
直接会話したわけでもない。
あの場で彼がクラーヴィアに紹介されるのを見ていただけだ。
それなのに、あの鉄錆の臭いだけが、いつまでも鼻腔の奥にこびりついて離れない。
考えても仕方がない。
そう気持ちを切り替えると——。
——くぅ、とお腹が鳴った。
要らぬ不安で悩むより、どうやら体は正直であるようだ。
ちらりとベッドから窓を見上げれば、日は既に落ちていた。
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次回更新は、4月27日を予定しております。
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