1‐02 窓からの眺め
ナギサは窓から外をぼんやりと見ていた。
窓の向こうには、淡い緑と濃い緑が織りなす牧歌的な風景が広がっていた。所々に咲く赤や黄色の花が彩りを添え、遠くからは風に乗って草の匂いが漂ってくる。白い大きな動物が数頭、草を食む音だけが、のどかな午後の静けさを破っていた。
視界の端には池か湖めいたものが見える。
遠くに目を凝らせば、馬のような動物が手綱をとられてゆっくりと歩いているのがわかる。
(どうすれば、いいのかな……)
“記憶を失った”迷い子という扱いで、今ここにいる。
落ち着けば何か思い出すであろうと、診てくれた医療神官に言われ、それに従うように、まずは治療と、療養棟に移された。
あの後、クラーヴィアからの質問に名前以外はろくに答えることもできなかった。ただただ、うつむき黙す子供に対し、周りは判断に困ってしまったというわけだ。
そういえば、何故、あの部屋に寝かされていたかという疑問は、クラーヴィアからの『大神殿の中庭に倒れていたのだが、夜も遅かったため自室に運んで休ませた』という言葉で片づけられた。
つまりそれは、万象の狭間で《女神》との契約後、大神殿中庭に転移した(放り出された)ということになる。その説明に、まったく納得がいかないのだが、それを言えば当然その理由も説明しなくてはならない。
まだ状況がつかめない中で、あまり多くを語りたくない為、何も言い返せなかった。
ともかく、子供が行き倒れていたわけである。
実際、仮にも神を祀る大神殿。
行き倒れの子供を無下に放り出すはずもなく、保護して療養させるのが神に仕える者の使命——そんな大義名分のもと、己の身柄はあっさりと預けられることになった。
そして、療養棟では贅沢にも一人部屋がナギサに用意された。
大部屋もあると、世話係の神官達からは聞いている。
やはり身元が怪しい子供を大部屋に入れることは危険だと判断されたのだろうか。実際、この部屋から出ることは許されていない。一度、もっと周りを見てみたいと窓から身を乗り出そうとした際、静電気のようなチクリとした刺激と共に、見えない障壁に阻まれた。おまけに、どこからか監視されている気配すら感じるのだ。
ただ、用心されている、という割には神官達は恐ろしいほど親切だ。食事も美味しく、薬(薬湯っぽいもの)が若干苦手だが、一日三度しっかり摂らされる。
なのでこの三日間はひたすら寝て、食べての生活を送っている。
ナギサがこの数日のことを思い出し、ぼんやりしていると、ドアの開く音がした。
「何か思い出した?」
淡い桃色の髪をした女性が、トレーを手に部屋へと入ってきた。何回か食事を持って来てくれた神官だ。
「いつもありがとうございます。とても親切にしていただいているのに……何も思い出せなくて、ごめんなさい」
「子供は元気が一番。まずは体力を戻さないとね」
神官はナギサに話しかけながらも、テキパキとテーブル上に食事を用意していく。
「ほんとにナギサちゃんって顔色は悪いし、痩せているし。しっかり食べなくちゃダメよ。それに、無理して思い出さなくても大丈夫。考え込んでいたように見えたから、何か思い出したのかしらと思っただけよ」
——子供は元気が一番か……
その言葉が、胸にじんわりと刺さる。心の中でそっと息を吐いた。見かけは子供でも、中身はこの女性神官とさして変わらぬ年齢だ。同年代の女性に子供扱いされていることに、どう反応していいのか困惑してしまう。
己の見かけが子供であるためか、彼女も含めて本当に皆が優しく気を使ってくれる。元世界との差があまりにも激しくて、この差はなんだろうと気が滅入ってしまう。
ただ、まだ数日だ。この後も優しく扱われるのか、それはわからない。
「んと、あの、窓から見える白い動物。草をのんびり食べている動物、なんて名前ですか?」
窓から見える風景の中、のんびりと草を食んでいる真っ白な動物だ。ナギサにはどうしても見知ったあの動物に思えるのだが。
「そこから見える白い動物って……ああ、あの子たちのことね。あれは牛よ。牛を見たことがないの?」
神官が一度、大きく瞬きをする。
「ミルクを出してくれる子よ。ここにいる子はみんな白牛だけど、茶色や黒、ブチとか、いろいろな毛色の子がいるわね。真っ白な毛色の子は、見たことがないのかしら? じゃあ、その奥で男性が引いている白い動物は?」
神官は牛について軽く説明した後、遠くで動物を引いている男性の方を指さした。
「んと……馬、ですか?」
「そうね、馬で間違いはないけれど、あれは馬の一種で“シンバ”と呼ばれているわ。シンバはとても貴重で特別な馬なの。ここでは神殿騎士が騎乗したり、巫女長様の乗り物をひいたりしているわ。数が少ないから、この国ではこの大神殿ぐらいかしら、シンバがいるのは」
白馬限定で呼び名が異なるのだろうか。見かけは馬にしか見えないが。何か特別なのだろう。だが、そこを詳しく聞くと面倒なことになりそうなので、とりあえず「初めて見ました」と、無難な感想を口にしておく。
その後も窓から見えるものについての話題が続いた。
話が一息ついたタイミングで「食事が終わったころにまた」と、神官は柔らかく微笑むと、部屋を出て行った。
◇
翌日。
「はい、これ」
朝食後、昨日の淡い桃色の髪の神官が部屋にやってきた。その手に一冊の本がある。
「えっと、これ、本、ですよね?」
薄めだが、とても立派な作りの本だ。
「この本はこの神殿の学舎に入った子供達が最初に読むものなの。あげるのではなく、貸す形になるのだけど。まだ、しばらくはこの部屋で過ごすことになりそうだから、暇つぶしにどうかしら?」
「ありがとうございます。大切に扱いますね!」
お礼を言いつつ手に取ると、厚みの割にしっかりとした重さの本である。貸与というだけあって、今までいろいろな人に読まれてきたのだろう。しっかりした装丁なのだが、若干擦り切れたり汚れがある。
しばらくここで過ごすとの気になる言葉もあったが、やはり何か情報が手に入るのは純粋に嬉しい。
本をギュッと抱きしめていると、
「気に入ってもらえたかしら。じゃぁ、しばらく貸しておくわね。ただし、ちゃんと睡眠と食事はとるのよ」
そんな釘を刺すような言葉を口にしながらも、彼女はナギサを気遣うようにふっと表情を緩め、そのまま部屋を出て行った。




