帰還
目の前に立てられた墓標に、手を合わせる。しばらくの間目を瞑り、黙祷を捧げた。まだ余裕があるわけではない。けれど、進まないことには状況は変わらない。
足音が聞こえたので、目を開けて振り返る。そこにはカトレアがいた。
「シルヴィア様………」
「カトレアですか。あなたもお参りに?」
「はい……お礼を言いたかったんです。助けてくれてありがとう、って」
「そうですね……どれだけ言っても言い足りないでしょうから」
彼女は供え物を置いて、目を閉じる。考えていることは何なのだろうか。私と同じであるような気もするし、違うような気もする。それは彼女しかわからないのかもしれない。
「……戻りましょうか。外は冷えますから」
「そうですね」
私たちは後ろ髪を引かれる思い出はあったものの……その場を後にした。私たちのどちらにも、やることはあるのだから。
廊下を歩き、いくつもの部屋を通り過ぎて行く。時折すれ違う騎士たちは忙しそうで、会釈のみをして去っていく。まだまだやることは山積みなのだ。レインの襲撃の件も片付いたとは言い難いのだから。城内は今日も慌ただしいのは仕方がない、と言えるかもしれない。
目的の部屋に辿り着き、一応確認のためにノックをする。……やはり、返事は帰って来ない。
「お邪魔します」
部屋の中に入れば、綺麗にされた部屋が私たちを迎えた。きっと、この部屋の主のために綺麗に保っているのだろう。少しでも体調を崩すようなものを排除するために。
ベッドの場所まで歩み寄り、眠る彼の前髪を少しだけ退ける。伸びて来ているので、そろそろ切らなくてはいけないかもしれない。
「まだ起きませんか………」
痛々しい傷の数々は魔法を使っても治ることはなかった。どうにも、魔法が効きにくくなっているかららしい。せめて痛くなければいいのだが、と思う。痛いことを我慢するのはもう見たくない。それが私たちの共通の願いであった。恐らくではあるが、傷が残ること自体は気にしないだろうから。
「今はゆっくりお休みください、ユート様………」
※ ※ ※
クロノとの決戦で、ユート様は死んだ。死んだはずだったのだ。そのときは悲しくて、やりきれなくて、涙が枯れるまで泣き続けた。彼の身体に縋り付き、嗚咽を漏らしていた。それを誰も止めることはなかった。
いつまでもここにいるわけにもいかない、ということで、移動しようと言い出したのはアルヴァ様だった。季節は春に向かっているとはいえ、まだまだ冬の寒さは残っている。このままでは私たちはともかく、勇者様たちまで巻き込んでしまうだろう。私とカトレアは鈍い動きで移動することに同意した。
『……せめて、ユート様を連れて行かせてください………』
カトレアの言葉は心から出たもので、それを否定できるような人はいなかった。無言でそれを許可すると、要塞から出ていこうとした。
『ああ、そうだ。あの魔物も連れて行かねえとな………』
ジリアン様の声で、口うるさい魔物の存在を思い出す。そうだった。むこうは生きているのだ。自分だけ生きていることを知れば、何と言うだろうか。私たちを恨むだろうか?殺そうとするだろうか?そうなればいいと、そのときは本気で思っていた。
状況が変わったのは、ジリアン様の言葉とカトレアの言葉だった。
『……………おい、嘘だろ?』
『どうしたの?』
『……呼吸がねえ。鼓動も止まってる。目を開かせたんだが、瞳孔も開いてやがる』
『それ、って………?』
『…………ああ。もう、死んでる』
死んだ。あの魔物が。まさか、という気持ちはなかった。あの魔物なら、後追い自殺ぐらいやりかねないだろうから。正直、羨ましいと思ってしまう。私には使命があり、それができないのだから。
そうではなかったのを知るのは、そのすぐ後であった。
『…………え?』
『どうか、しましたか?』
カトレアが急にユート様を下ろし、胸に耳を当てた。勇者様たちも立ち止まり、不思議そうな顔をしている。私も同じ気持ちだった。
その目に見る見るうちに涙が溜まっていくのを見て、さらに混乱は強くなった。
『カトレア?どうしたのですか?』
『…………てるんです』
『……?』
『動いてるんです!ユート様の心臓が!』
息が止まるかと思った。すぐに私も胸に耳を当て、心臓の音を聞こうとする。……動いている。ゆっくりではあっても、規則的に。しっかりと。胸を見れば、微かではあるものの上下している。呼吸もしているのだ。吐息が首筋に当たったことで、カトレアは違和感に気付いたのだろう。
『おいおいおい、どういうことだ………?』
『………もしかしたら、なんだけど。クロのおかげかもしれない』
凛花様が口を開いたことで、目が一気にそちらへ向いた。彼女は驚いたような顔をしたけれど、その理由を話してくれた。
『たまにあるんだよ。ペットの飼い主が死にそうな目に遭ったときに、偶然助かることが。それで帰ったら、ペットが死んでることがあるって。今まで育てて来てくれた飼い主のために、身代わりになったんじゃないか、って言われてるんだ』
勿論そうじゃないかもしれないけどさ、と語尾に付ける。でも、私にはそれが正解なのではないかと思える。この魔物であれば、主人のために喜んで命を差し出すだろう。そういう魔物だった。
そこまで考えて、ようやくわかったことがある。ああ、あの魔物は自分の理解者だったのだと。そして自分も、あの魔物をよく理解していた。胸に残るこの虚無感はあの魔物のせいでもあるのだと。
『……帰りましょう。ユート様も、この魔物も連れて』
『そう、ですね………』
アルヴァ様が魔物を持ち、要塞から出る。そこには探索を終えた騎士たちが待っていた。勝ったことを伝えれば、その場が大いに沸き上がった。
(ありがとう、クロ………)
私は魔物の頭を一撫でして、自分の馬の下へと向かった。




