消失
少し、早くに目が覚める。時間を見てみれば、まだ準備をするには早いだろう。けれど、もう一度寝る気分にはなれず、ベッドを離れた。
いつも自分が持ち歩く杖を手に取る。この杖を手に取るのも、今日が最後かもしれないのだ。だが、私が死んだとしても、送り返すことだけならば姉様にもできる。悔いはないはずだ。
「………いえ、そう思い込もうとしているだけでしょうか…………」
誰に聞かせるわけでもなく、ただ呟く。言葉にしなければ、不安に押し潰されてしまいそうだったから。
今だって、死ぬことは怖い。どうしてこんなに恐ろしいことに、自分が立ち向かわなければいけないのか、口には出さないだけで心の中では思ってしまっている。けれど。だけれども。私は一国の姫だった。民のことを考え、召喚した勇者様のことを考え、次に繋がる未来のことを考えなくてはいけないのだ。その責務が私を逃げないように縛りつけている。
(……ただ、今はそれだけでもないですね………)
自分の立場という言葉で心を偽り、見ないようにしてきた感情。それが崩れ落ちるのは容易いことなのかもしれない。何故なら、それはあくまで上辺だけのものであるから。でも、今の私には本当に守りたいものがある。本当に守りたい人が……ここにいるのだ。
初めは申し訳なさだった。病弱な彼を危険に付き合わせてしまうこと。誤解をしてしまい、自らの手で傷つけてしまったこと。自分の力がまるで足りず、何もできなかったことも。
次に、感謝だった。今にも潰れそうだった私を救い出してくれたこと。いつでも相談に乗るよ、と優しく言ってくれたこと。死ぬかもしれなかった私を救ってくれたこと。
いくつもの思い出があった。その中で彼へと抱く気持ちはいつしか、好きという感情になっていたのだと思う。彼には死んでほしくないと。願わくば、幸せであってほしいと。その幸せに、私が関われたのならそれだけでも私が生きていてよかったと思えるのだ。
「だから……今日の戦いは。負けるわけにはいかないのです………」
私の人生に意味をくれた、あの勇者様のためにも。
※ ※ ※
「おはようございます、皆様」
「ああ、おはようさん」
「おはよ、シルヴィア」
「あ、おはようございます」
「ああ」
食事のために準備を終え、いざ向かってみると勇者様たちは既に揃っていた。ひょっとすると、皆様も私と同じだったのかもしれない。あるいは、昨日眠れなかったのかも。そう考えると、なんだか申し訳なく思えてしまう。関係のない世界のことに巻き込み、命まで懸けてもらっているのだから。
だが、それを口にしてしまえば、恐らく気にしてしまうのだろう。それが胸のしこりになって、本来の実力を発揮できなくなってしまうのは命取りだ。出掛かっていた言葉は、胸のうちに隠しておくことにした。
「皆、揃っているか。今日のことに関して、話しておかなければならないことがある」
父が着席して、料理が運ばれて来る。その合間に、決戦のことについて話すようだ。全員が思い思いに耳を傾けた。
「今回参加してくれる兵の数は総勢で、20万。世界の危機ということでな。これだけ集めることはできた」
「しかし、それでは足りないのでは?」
「そうだろうな。それ故、冒険者や引退した兵からもいくらか数を出してもらった。軍としてはすべて合わせて、25万。これが限界といったところだろう」
25万。この世界で戦争をするのであれば、なかなかの数なのだが……魔族相手ではまるで足りないような気もしてくる。なにせ、相手の数も数なのだから。
「軍としての役割はただ一つ。勇者たちを無事に八魔将のところへと連れて行くことだ。道中死人は出るかもしれないが、構わず進んでもらいたい」
「それは………!」
「シルヴィア。犠牲を出さないやり方などはない。もしもこの戦いに敗れれば、更なる犠牲者が出る。その中には戦えもしないものもいるのだ」
「……………はい」
確かに、我が儘かもしれない。けれど、それを素直に受け入れることもできず、下を向いて唇を噛んでいた。何もできない自分の力を悔しく思いながら。
「次にだが………」
バタン!扉が勢いよく開く。何事かと思い、振り返ってみればあの人に付いているメイドが息を切らして立っていた。その顔はひどく憔悴した様子である。
「お前は………」
「ここにもいない………!」
「待ってください、カトレアさん!」
再び、その場から走り出そうとする彼女を咄嗟に呼び止めた。何故だか、ひどい胸騒ぎがした。
「一体どうしたというのですか………?」
呼び止められた獣人の少女は、今にも泣き出しそうな顔で私にその事実を告げた。最悪の事実を。
「ユート様が……ユート様がいないんです………!起きたときには、もぬけの殻だったんです………!」
「…………え?」
※ ※ ※
その後、騎士たちも捜索に加わってくれたのだが、一向に見つかる気配がなかった。時間が過ぎていく毎に、嫌な予感が迫って来る感覚。そんなわけはない、あの魔物が付いているのだから、と自分を納得させ、必死に捜索を続けた。けれど、どこにも見つからなかった。その影すら、見つけることはできなかったのだ。
「そろそろ時間だ。指定された時間に遅れるわけにもいかん。捜索はここで打ち切るものとする」
「しかし、お父様!」
「シルヴィア!一人の男の行方とこの世界すべての人間の命!どちらの優先度が高いかぐらい分かれ!」
何の反論もできず、俯いてしまう。父の言うことは正しい。まごうことなき、正論なのだ。でも、あの人がいなければ、私は………
「シルヴィア!ちょっといい?」
「凛花様………?」
顔を上げた先には、凛花様がいた。その手に何かを持って。
「これ……私の国の言葉で書かれてたんだ。シルヴィアとカトレアに、って」
「凛花様の国の言葉、ですか?」
「うん。たぶん……ユートからのだと思う」




