39 ジョイフルとエスドリーム
橙山姉妹の家に着くなり、虹子は華に「ごめん、ちょっと横になる」と告げ、そのままフローリングの床にうつ伏せになった。
本格的な練習の疲れが、一気に押し寄せてきた。
このまま寝てしまったら、翌朝には筋肉痛でまともに動けなくなっていそうだ。
そうなれば、紅白戦でアピールどころではない。
華「洗濯物、洗濯機に入れておいてね」
言われた通り、虹子は何とか体を起こす。
練習で着ていたシャツや下着をビニール袋から取り出し、そのまま洗濯機へ放り込んだ。
居間に戻ると、華がアイスコーヒーを淹れてくれていた。
風呂のお湯がたまるまで、二人でのんびり雑談する。
「そういえばさ。さくらと桃香、それとひなぎくって、随分仲良さそうだけど。性格バラバラそうなのに」
「ああ。それはジョイフル磐田のせいだね」
「あ、Nリーグの?」
「うん。三人ともジョイフルのサポーターなんだよ」
「はあ、なるほど」
ジョイフル磐田は、その名の通り磐田を拠点とするNリーグのクラブだ。
ただ、遠州随一の都市である浜松もホームタウンに含まれており、サポーターも多いらしい。
華と虹子はジュニア時代、欧州サッカーの動画ばかり観ていた。
Nリーグについて話した記憶など、ほとんどない。
「カラーは水色だっけ」
「あれは水色じゃなくて、サクソニーブルー……ザクセンの青って言うんだって。さくらの受け売りだけど」
「へえ〜。ザクセンってドイツの?」
「どうなの?」
「知らないんかい!」
「うふふ。私は清水エスドリームのファンだから」
「そういえば、ここに来る前は清水に住んでたんだよね。それで好きになったの?」
「それもあるけど……」
そう言って華は、居間の脇に置かれていたクッションを両手で掴み、虹子に渡した。
オレンジ色のクッションには、濃い青色で大きく「S-Dream」と書かれている。
「なるほどね〜。華の色か」
「そういうこと。虹ちゃんって、好きなNリーグのクラブあるの?」
虹子は答えに詰まった。
弟分の古賀凌駕が東京ブラザーズの下部組織に入ったこともあり、少し気にしていた程度だ。
あとは中学の頃、親友の香月朋美に何度か浦和レッドキングスの試合へ誘われたが、何かしら理由をつけて断っていた。
そもそも、ここ数年は拒絶するようにサッカーから離れていた。
虹子が城北ウイングを辞めてから、凌駕や朋美ともサッカーの話はほとんどしなかった。
ここ数週間はオンもオフもサッカー漬けだが、女子サッカーのWOリーグはもちろん、Nリーグにも最近になって初めて名前を知ったクラブが結構ある。
「クライネのみんなも全国のいろんなところから集まってるから、好きなクラブがバラッバラで面白いよ」
「例えば?」
「キーパーの神子さんは愛知県の豊橋だから、名古屋グランドキャッスルが好き。あと、昔代表で活躍していた伝説のキーパーが名古屋の選手だったからって」
「へえ、そうなんだ」
この時の虹子は知らなかったが、後に神子本人から、ゴールキーパーを始めたきっかけも、その伝説の守護神だったことを聞かされる。神子は彼の現役時代をリアルタイムでは知らない。
だが幼い頃、家族に連れて行ってもらったグランドキャッスルの練習場で、選手と間違えてサインをねだったことがあった。その男性は快く応じてくれた。あとになって、かつて日本代表のゴールを守った名キーパーだったと父親から教えられ、それ以来、神子にとって特別な存在になったという。
「それとね、面白いのが巴さん」
「あ、巴御前ね」
「うん。彼女は長野の諏訪湖の辺りが実家で、信州松本SCの熱心なサポなんだよ」
「そういえば、歴史の巴御前って長野の辺りの人だもんね」
「え、そうなの?」
「おいこらっ!」
「うふふ。試合の結果を見ながら『だらしない』って、いつも愚痴ってる。でも嫌いになれないんだって」
「そういうもんなんだ」
「うん。サポーターって、そういうもんだと思うよ。私はエスドリームのファン止まりだけど」
「その割には部屋にグッズ多いよね。そこのマスコットとか」
「うふふ。ユメちゃんね」
華はその”ユメちゃん”をギュッと抱きしめた。
虹子には、ファンとサポーターの違いと言われても、まだいまひとつピンと来なかった。
それでも、華の言いたいことは何となく分かる。
応援するクラブが勝てば嬉しい。
タイトルを獲れば、もっと嬉しい。
だけど、一度本気で好きになったクラブを簡単に取り替えることはできない。
むしろ出来の悪い子ほど放っておけなくなる――。
そんな感覚なのかもしれない。
「虹ちゃんも、どこかNリーグのクラブ応援すると楽しいと思う」
「そうだね」
「あ、でも虹ちゃんの名前通り、どこって決めないでいろいろ観るのもありか」
「それはあるかも。あと、一つだけって言ったらやっぱり……」
「バルセロナ?」
「覚えてたか。最近のことは全然知らないんだけどね」
やがて風呂が沸くと、華は虹子に先へ入るよう勧めてくれた。
二人が風呂を済ませたあとは、夕方まで取り留めのない話をして過ごした。
夕食には「深江商店」で買ったしらすを、炊きたてのご飯にたっぷり乗せて味わう。
さらに食後のデザート代わりに、城星寮でマゼンタからもらったホットクを頬張った。
店で本格的なものを食べた経験はないが、おそらく売り物にも負けない美味しさだ。
姉の蕾は残念ながら外泊で、この日は帰ってこないという。
すると華は、自分の部屋から布団を居間へ持ってきた。
「今日は一緒に寝よ」
「はいはい、いいよ」
翌日の紅白戦に備え、早めに寝る準備をする。
布団へ入るなり、華が横から声をかけてきた。
「ねえねえ、恋話しよ、恋話」
「いや〜残念だな。華に語るような浮いた話がないんだ」
「え〜〜〜〜」
「そういう華は?」
「ドゥウルルルルルルッ……バァ〜ン!」
「……ゴクッ」
「ナッスィング!」
「ないんかい!」
恋話は一分と持たずに終了した。
その代わり、翌日の紅白戦で虹子と同じチームになるメンバーについて、まだ知らなかった情報を華からおおよそ仕入れることができた。
一通り説明を終えると、華が布団の中から顔を向けてくる。
「でも、試合で敵になったら容赦しないよ」
「望むところだよ」
正直なところ、体力的にも技術的にも、今の虹子が華に勝っていると思えるものは一つもない。
周囲とのコンビネーションも、まだ手探りだ。
ただ、一つだけ決めていた。
アピールを焦るあまり、独りよがりのプレーに陥ることだけは絶対にしない。
それだけは、東京ヤングシスターズのセレクションと同じ失敗を繰り返したくなかった。
*
翌朝。目を覚ますと、眩しい朝日が虹子の顔を照らしていた。
気怠さを感じながら上半身を起こす。
どこからか鼻歌が聞こえてきたのでキッチンを見ると、華はすでに起きて何かを焼いている。
漂ってくる香ばしい匂い。
鮭だろうか。
鍋からはグツグツと音もしている。おそらく味噌汁も作っているのだろう。
――容姿端麗。気立ても良さそう。料理までできる。
世の男どもは、なんでこの女子を放っておくんだ。
高嶺の花ってやつなのか……。
そんな余計なことばかり考えられるのは、少なくとも緊張でガチガチにはなっていない証拠だ。
虹子はそう自分に言い聞かせた。
「お姉ちゃん、虹ちゃんによろしく〜だって」
「あれ、家に戻ってきてたの?」
「あ、違う違う。UNITYのメッセージで」
「もしかして、もう会えないかな」
「うん。多分、次に虹ちゃんが浜松に来るまでね」
「次?」
華は当然のことのように笑った。
「もちろん。クライネに合格して、高校の編入試験を受けに来る時だよ」




