36 “スーパー歴女”
自主練習とダウンが終わると、クライネの選手たちがピッチに集められた。
室崎かぐら監督から、翌日の日曜日に30分ハーフの紅白戦を行うことが改めて伝えられる。
続いて荒木良子コーチからメンバー分けが発表された。
紅白戦らしく赤チームと白チームに分けられて名前が呼ばれていくが、練習生の虹子にも、主力組とサブ組に分けられていることはすぐに分かった。
最後は一本締めで、この日の全体練習が終了した。
選手たちが解散する中、荒木コーチが虹子のところへやってくる。
良子「明日はこっちの目は気にしないで、思い切り自分を出してね」
虹子「はい!」
*
練習後、選手たちは高塚駅のそばにある城星寮で昼食を食べることができる。
寮生でない選手も利用できるため、姉の蕾と暮らしている橙山華も、週末の練習後は寮で食事を摂ることが多いという。
もちろん練習生の虹子も昼食に招待された。
華が行くなら断る理由はない。
それに虹子としても、明日の紅白戦で味方になる選手たちを、ピッチ外でも知っておきたかった。
グラウンド横のプレハブにはシャワーも備えられているが、二台しかない。
本館まで行けばそちらも借りられるものの、ほとんどの選手は寮へ戻ってから風呂に入るらしい。
ところがプレハブの更衣室へ入ると、すでに二つの扉の向こうからシャワーの音が聞こえていた。
華「さくらね。彼女はその場で浴びないとダメなの」
虹子「ああ、いかにもって感じ。もう一人は?」
華「たぶんマゼンタ」
虹子「えっ!?」
華「こらこら。実は彼女、すごい潔癖でね。サッカーしてる最中以外は、常に清潔じゃないと気が済まないんだって」
虹子「そ〜なんだ」
虹子は華が分けてくれたウェットティッシュで首元や関節を簡単に拭き、ひとまずみんなと一緒に寮へ向かうことにした。
城星寮までは、美浜公園のグラウンドから歩いて十五分ほど。
熊野神社のすぐ裏手にあるという。
虹子は歩きながら、練習では直接絡めなかったメンバーを梨恵に紹介してもらった。
「二年生の秋野琥珀ちゃん」
「琥珀で〜す!」
「あ、巴御前親衛隊の」
「えっ、なんでそれを。梨恵さん、余計なこと吹き込んだでしょ」
「吹き込まなくたって分かるでしょう」
「えっ?」
「『巴様から離れろ!』って」
「あちゃっ、聞かれてたか」
「あの大声で聞こえない方がおかしいよ」
「てへっ」
そういえば、その紺野巴の姿が見当たらない。
三対三で同じ組だった銀谷静もいなかった。
「そういえば、ダブル御前は?」
「これからトップチームの試合見学だって」と理恵。
「試合?」
「WOリーグの新シーズンが九月に開幕するから、プレシーズンマッチを観ておきなさいって上から言われて。だから本館でシャワーを浴びて、そのまま室崎監督とタクシーで遠州灘シーパークに行くって」
「シーパーク?」
「浜名ディーネのホームスタジアム。最近改修されて、すっごく綺麗よ」
「神子さんは?」
「神子も二人と一緒だと思う。彼女はトップ昇格が内定していて、八月の大会を最後にクライネ卒業が決まってるの。すでに二種登録で、カップ戦とかにも出てるのよ」
「二種登録?」
梨恵は歩きながら説明してくれた。
高校やU-18カテゴリーのチームに在籍したまま、NリーグやWOリーグなど、年齢制限のないチームの公式戦に出場できる制度らしい。
巴と静も公式戦の出場経験こそないものの、二種登録されているという。
ちなみに三年生の梨恵はトップ昇格を目指さず、大学へ進学し、スポーツ科学を学びながらサッカーを続ける予定だ。
梨恵の仲介もあって、寮へ着くまでにGKの与謝野楓、さらに黒木千尋、千草沙織とも自己紹介することができた。
華は少し離れたところで仲間たちと雑談しながらも、時折こちらの様子をうかがってくれている。
そのさりげない気遣いが、虹子にはありがたかった。
*
そうこうするうちに、通りの先に赤い鳥居が見えてきた。
その奥には、大きな松がそびえている。
虹子「あれが熊野神社?」
梨恵「そう」
すると突然、横から声が割って入った。
琥珀「高塚熊野神社は、熊野本宮大社の神主さんが建立したとされ――」
虹子「えっ?」
振り返ると、秋野琥珀だった。
熊野といえば、確か和歌山県だったよな――。
それぐらいは虹子も知っている。
しかし琥珀の説明はそこから一気に細かくなり、由緒やら何やらを次々と並べ始めた。
正直、半分も頭に入ってこない。
困ったように梨恵を見る。
梨恵「琥珀はスーパー歴女だから」
小声で教えてくれた。
虹子「歴女?」
梨恵「簡単に言うと、歴史通の女子のこと」
虹子「ああ」
梨恵「琥珀、そっちの世界では『スーパー歴女』として、ちょっと有名なの」
虹子も都内の名門進学校に合格するため、日本史はそれなりに勉強した。
しかし、覚えているのはせいぜい参考書に載っている範囲だ。
地方の寺社の由来まで聞かれても、さっぱり分からない。
そんな虹子の困惑などお構いなしに、琥珀が勢いよく問題を出してきた。
「虹子ちゃん! 熊野三山は熊野本宮大社、熊野那智大社、もう一つは何大社でしょう?」
「えっ」
「A、勾玉! B、速玉! C、替玉!」
「え、え〜……」
梅干しを口に入れた瞬間のような顔で、虹子は考え込む。
「三十秒あげます。チッチッチッ、チッチッチッ……」
――めんどくせ〜。
虹子は正直そう思った。
すると少し前を歩いていたひなぎくが、突然声を上げる。
ひなぎく「ひなはお腹がぺこちゃんだ。寮まで飛んで行くら!」
言い終わるや否や猛ダッシュ。
そのまま前方のカーブを曲がって消えてしまった。
沙羅「虹子、琥珀は放っておいていいから。寮行くよ」
虹子「え、うん」
桃香「あの松の木さんに、ちょうちょいるかな〜」
虹子は歩き出しながら、仕方なく問題を考える。
勾玉。
速玉。
替玉。
虹子「……Cは絶対ないから、B」
琥珀「ピンポーン!」
製薬会社のCMみたいな擬音を響かせながら、琥珀が満面の笑みを浮かべた。
「では虹子ちゃんには食事中、特別に未来の歴史アイドル・秋野琥珀の歴史講座を贈呈しますぞ!」
「ありがたく遠慮しておきます」
「え〜っ!」




