33 「王様じゃない」意味
二本目は、荻野目蒼、蝶野さくら、橙山華が組む白組に圧倒された。
虹子から見て、大きな理由は二つあった。
一つは桃香の守備だ。
攻撃の動き出しは間違いなくスペシャルだが、守備のチェックが甘い。蒼がボールを持っても、パスコースをほとんど限定できていないように見える。
もう一つは本城あずき。
対人守備では簡単に突破を許さないが、攻撃の起点としてはパスが雑すぎる。虹子が受けてもキープするのがやっとで、そこからあずきへ戻してもファーストタッチが硬く、華やさくらに狙われてしまう。
結局、二本目は三失点。
二点は華に突破され、三点目はさくらに外側から一気に破られた。
一方、桃組に決定的なチャンスは一度だけだった。
虹子がドリブルを仕掛け、蒼が寄せてきたところで、右足のアウトサイドでボールを浮かせる。
狙った先は桃香。
しかし予想外の軌道だったのか、桃香のファーストタッチが乱れる。そこへさくらが素早く寄せ、ボールをクリアした。
さくら「あなたたち、やるわね」
その言葉すら余裕に聞こえてしまうほど、虹子は明白な実力差を感じていた。
それ以上に苦しいのが、時間とともに増していく疲労だった。
このままでは、最後の五分間は途中で動けなくなるかもしれない。
始まる前に「楽勝じゃん」などと高をくくった自分を、早くも呪いたくなった。
「ピッピー!」
終了の笛を聞いた瞬間、虹子はドリンクを手に取り、その場にしゃがみ込んだ。
まるでノックアウト寸前のボクサーが、ようやくコーナーの椅子へ戻ったような気分だった。
室崎かぐら監督が近くから声をかけてくる。
「朝丘さん、まだ行ける?」
その表情は、もはや虹子が勝手にイメージしていた「鬼かぐら」ではない。
本気で体調を心配してくれている、育成年代の指導者の顔だった。
「ハアッ……い、行けます!」
声を振り絞ったものの、きちんと答えられたかどうか、自分でも分からない。
それでも、ここで助けを求めるようでは合格が遠のいてしまう。
そんな虹子の様子を見ていた室崎監督は、全員へ聞こえるように声を張った。
「少し休憩を入れましょう。三本目に向けて、ここまでの二本で出た問題や改善点を、それぞれ話し合ってください」
それから虹子の方へ歩み寄ってくる。
「あなたは確かに技術もセンスもある。でも、王様じゃない」
「ハアッ……だって女ですから。ハアッ……」
「冗談を返せるぐらいなら大丈夫ね」
「ハアッ……はい。おっしゃりたいことは、分かります。ハアッ……」
「確かに今回の練習には、あなたを評価する目的もある。だけど、ほかのメンバーにとっても大事な練習で、アピールの場でもあるの」
「ハアッ……どうすれば……」
「答えは、あなたも知ってると思うわ。それに、教えちゃったらテストにならないでしょ」
そう言うと、室崎監督はこれまで見せたことのない笑顔でウインクし、その場を離れていった。
「……姫かぐらだわ」
もらったのは、休憩時間だけではなかった。
答えそのものは教えてくれなかったが、室崎監督の言葉は、行き詰まりかけていた虹子にとって十分な助け舟だった。
「王様じゃない……か」
小さく反芻して、大きく深呼吸する。
そして再び、両手で頬を叩いた。
そこへペットボトルを持った桃香とあずきがやって来る。
虹子は二人を見て、ここまで感じていたことを正直に伝えることにした。
「モモでいいかな」
「うん、いいよ。虹たん」
「モモは守備で素直に縦を切りすぎて、蒼さんとさくらさんのコースを消せてない。もうちょっとズレて立ってくれないと」
「モモ、間違ってないもん」
「えっ?」
思わぬ反応だった。
「うん。桃香は間違ってないっすよ」
あずきも同意する。
虹子は一瞬言葉に詰まったが、すぐに二人へ目を向け直した。
「どういうこと?」
あずき「蒼さんはディフェンダーだけど、縦に持ち上がるドリブルが得意なんす。桃香のチェックがなかったら、もっと簡単にやられてるっすよ」
桃香「そうだよ〜♪」
あずき「あとっすね。桃香はパスを通されてるんじゃなくて、誘導してるんす」
虹子「あっ……」
その言葉の意味は、すぐに理解できた。
通されているのではない。
通させている。
虹子には、蒼からさくらへのパスルートがガラ空きになっているように見えていた。
だが言い換えれば、相手の選択肢を一本に絞っているということでもある。
虹子「なるほど……」
あずき「それに、さくらさんってポジショニングがうまいっすから。下手にパスコースを切りに行くと、一瞬で外されちゃうんす」
桃香「そだよ〜」
虹子「そうだったのか……」
自分が二人を見ているつもりでいた。
でも実際には、見えていなかった。
そこで、あずきが続ける。
「うちが下手なのは言い訳できないっす。だけどっすね、気になったことがあるんすよ」
「ん?」
「ニジさん、もしかして両利きっすか?」
「右だけど、左も同じぐらい蹴れるかな」
「キックじゃなくて、体の軸に左右の偏りがないんすよね」
虹子は思わずあずきを見つめた。
そんなことは、中学まで指導を受けた監督やコーチにも指摘されたことがない。
だから自分でもほとんど意識していなかったが、確かに虹子はキックだけでなく、ボールタッチやステップの踏み出しまで、左右をほぼ同じように扱うことができた。
セットプレーでは右足を使うことが多かった。それも、たまたま城北ウイングのジュニア時代に左足のキックがうまい男子がいたからだった。
ただ、それが何の問題になるのだろう。
「虹たん両利き、すごーい」と桃香が拍手する。
あずき「それはすごいんすけど」
桃香「ん〜?」
あずき「パスを出す側からすると、どっちの足でもらいたいのか分からないんすよね」
虹子は一瞬、あずきが何を言いたいのか分からなかった。
「それは、どっちでも……」
「じゃなくて、もっと意思表示してほしいんす。どっちで欲しいのか」
「意思表示……あっ」
その言葉で、虹子の中に何かがつながった。
東京ヤングシスターズのセレクションで、周囲といまいち噛み合わなかった理由。ジュニアの頃は、知らず知らずのうちに意思表示ができていたのだろう。それに、あの頃は多くの攻撃が虹子を中心に始まっていた。
自分がボールを持つ。
周りが自分を見る。
自分が次のプレーを決める。
それが当たり前だった。
でも、今は違う。
クライネには桃香の動き出しがある。
あずきには、虹子が気付かなかった守備の見方と、鋭い観察眼がある。
自分が二人を生かすだけではない。
二人にも、自分を生かしてもらわなければならない。
「王様じゃない……」
室崎監督の言葉を、もう一度口にする。
今度は、その意味がさっきよりはっきり分かった。
「……そうか。意味が掴めてきた」




