32 アズキとモモカ
マゼンタ・カビルとのコンビにも少し慣れてきた頃、練習は次のメニューへ移った。
ようやくマゼンタ、金美麗、東雲奈々美のプレーが掴めてきたところで、早くもメンバーチェンジとなる。
3年生の原川陽緑、1年生の千草沙織とも組んだ。陽緑は技巧的なドリブラー。仲間から「チグ」と呼ばれる沙織は一見おっとりしているが、すらっとした手足がボールを奪う能力の高さを印象付ける。
名前と顔、利き足などの基本的な特徴を掴むうちに、メニューが終了した。虹子が痛感したのは基本技術の高さだ。
ジュニアの頃は「ニジダコ」などと呼ばれたが、今の虹子には誰もが自分よりうまく感じた。
虹子「ま、ミリョとカビは別だけど」
思わず独り言が出てしまった。
すると…離れたところから。
マゼンタ「ニジ。ユー、何か言った?」
虹子「あ、いや。あははは」
って地獄耳かい!
*
二対二を中心にした対戦形式が終わり、今度は三対三だ。
慌ただしさは感じるものの、明日の紅白戦に向け、限られた時間でできるだけ多くの選手を知るという意味では、むしろありがたい流れだった。
キーパーを除くと、この日のクライネの練習には、遅刻してきた小野乃木桃香を含めて22人が参加している。
三対三を四グループ同時に行うため、荒木良子コーチは少し離れた場所で別メニューをこなしていたキーパー陣から、緋野神子と与謝野楓を呼び寄せた。
一人残された中学生キーパーのシアンが、
シアン「私もそっちでやりたい〜」
とアピールする。
だが、室崎かぐら監督はあっさり首を横に振った。
かぐら「あなたは波田コーチにしっかり鍛えてもらいなさい」
シアン「え〜……」
露骨に肩を落とすシアンを見て、黄宮ひなぎくが横から茶々を入れる。
「シアンのやつ、波田ぽんから逃げたいだけだに」
そのままグループ分けに移ったところで――。
良子「朝丘さん!」
突然、荒木コーチに呼ばれ、虹子の背筋に一瞬緊張が走った。
良子「本城あずき、小野乃木桃香。この三人で組んで」
虹子「あ、はい」
あずき「りょうかいっす!」
桃香「は〜い!」
――えっ、小野乃木桃香。
少し離れたところにいる茶野梨恵から、どこか心配そうな視線が飛んでくる。
もう一人の本城あずきは、名前の通り小豆色のショートヘアをした少女だった。顔立ちはあどけないが、虹子より少し背が高く、体つきもしっかりしている。
そして対戦相手は――。
良子「荻野目蒼、蝶野さくら、橙山華」
華「やっ、頑張ります!」
華は一瞬ガッツポーズをしかけて、恥ずかしそうに虹子を見る。
虹子も小さく拳を握って返した。
さくら「や?」
華「ヤッホーみたいな」
さくら「おかしな華さん」
蒼「ほら、二人とも引き締めっぞ」
そんな三人を眺めながら、あずきが露骨に顔をしかめた。
あずき「レギュラーの二年トリオじゃないっすか。これ、チートっすよ」
虹子「こっちの二人は?」
あずき「うちも桃香も一年。バリバリのサブっすよ」
虹子「まじっすか……」
桃香「そうだよ〜♪」
虹子は思わず頭を抱えた。
この組み分けには何か意図があるのだろうか。
しかし、よく考えれば明日の紅白戦でも自分はサブ組に入る可能性が高い。
ならば、二人の特徴を知るには絶好の機会だ。
三対三。
その言葉から、新宿中央公園でボールを蹴った時間を思い出した。
古賀凌駕。星野夕輝。風見類。萩浦雄斗。志田賢太。
五人の顔を思い浮かべながら、虹子は右手でシャツ越しに左胸のあたりをぐっと掴み、気持ちを入れ直した。
そこへ恵子が、色違いの布のようなものを抱えてやって来る。
虹子はてっきりビブスだと思ったが、どうも違う。
虹子「あれは?」
桃香「あれはね、鉢巻だよ〜」
虹子「それは分かるんだけど……」
あずき「ビブスの代わりっすね」
虹子「え、お金なくてビブス買えないとか?」
あずき「ぶっ、まさか。やれば分かるっすよ」
各チームには色違いの鉢巻が渡された。
虹子たちは桃色。
対戦相手の蒼、さくら、華は白。
そのほかにも緑、青、紫、黄、橙、赤と、それぞれ三人ずつに分かれていく。
桃組は朝丘虹子、本城あずき、小野乃木桃香。
白組は荻野目蒼、蝶野さくら、橙山華。
緑組は秋野琥珀、茶野梨恵、原川陽縁。
青組は唐銅あかり、梅田小春、紅井沙羅。
紫組は千草沙織、黒木千尋、白波唯。
黄組はマゼンタ・カビル、東雲奈々美、与謝野楓。
橙組は藤野紗季、金美麗、緋野神子。
赤組は黄宮ひなぎく、銀谷静、紺野巴となった。
荒木コーチが提示した三対三は、少し頭を使うルールだった。
使用するのは「ダブルボックス」と呼ばれる、ペナルティエリア二つ分ほどの広さのグリッド。
一人は必ず敵陣に入っていなければならず、自陣では二タッチ以内。チーム全体で五タッチを超えると相手ボールになる。
敵陣へ入ればタッチ数は自由。ただし、自陣まで戻るボールキープは禁止されている。最後は敵陣で一度以上ボールに触れ、そのままエンドラインを越えれば一点だ。
一本目は二分。
二本目は三分。
最後は五分。
合わせても、たった十分。
――なんだ、楽勝じゃん。
その時の虹子は、そう思っていた。
*
ゲームに入る前に、三人で簡単なボール回しをする時間が与えられた。
横から華が声をかけてくる。
「その時間、作戦会議に使いなさいってことだよ」
虹子は頷き、あずきと桃香にゲーム中の呼び方を確認した。
「ニジ」
「モモ」
「アズ」
基本的にはFWの桃香が前、あずきが後ろ。虹子がその間を動きながら両方に絡む形で話がまとまった。
三対三なのでポジションは流動的になる。それでも大まかな役割を決めておけば、迷った時の助けにはなる。
桃香「虹たん、モモの動き見ててね」
虹子「分かった」
ピッ、と笛が鳴り、監督から配置につくよう指示が飛ぶ。
四つのグリッドで同時に三対三を行うため、レフェリーは室崎監督、荒木コーチ、小野フィジコ、そして恵子が担当した。
虹子「恵子さん、レフェリーもやるの?」
あずき「失礼っすよ。元フラワージャパンの名選手っすよ」
虹子「えっ?」
思わぬ情報に、虹子は恵子を二度見した。
あずき「引退して、結婚して、子育てしてから、マネージャー兼寮母として戻ってきたらしいっす」
虹子「そうなんだ……」
桃香「恵子たん、偉い人」
――偉いは関係あるのか?
首を傾げる虹子に、あずきがそっと顔を寄せる。
あずき「選手としての実績は、かぐらさんより全然上っす。これ禁句っすよ」
その背後を見た虹子が、ぎょっとして指をさす。
あずきが恐る恐る振り返る。
そこには、腕を組んだ室崎かぐら監督が立っていた。
かぐら「そう。あずきの言う通り、選手としては実力も実績も恵子さんの方が、はるか〜に上」
あずき「ひっ……」
かぐら「だけど、ここの監督は私です。分かったら、とっとと準備しなさい!」
あずき「ひ、はいっす!」
蒼「鬼かぐら発動〜」
さくら「本城さん、相変わらず踏むわね。早く始めましょ」
華が虹子へ笑いかける。
こうした何気ないやり取りからも、クライネの雰囲気の良さが伝わってきた。
虹子たちのグリッドは、室崎監督がレフェリーを務める。
――アピールするチャンスだ。
そう思った直後、また余計な考えが頭をもたげる。
そのタイミングで、相手側のエンドにいた華が、両手を下げるような仕草で「落ち着いて」と伝えてきた。
虹子は華へ頷くと、自分の両頬をピシャッと叩く。
東京ヤングシスターズのセレクションでは、自分をアピールしようとするあまり、個人プレーに走ってしまった。
周りが見えていなかったからだ。
今なら理解できる。
あんなプレーをしていたら、落とされて当然だった。
風見類や、ほかのセレクション参加者と比べることなんて関係ない。
問題は、自分にあった。
室崎監督がスタートの笛を鳴らし、ボールを虹子の方へ投げ入れた。
四つのグリッドで一斉に三対三が始まる。
虹子がボールを受けた瞬間、華が鋭く距離を詰めてきた。
虹子「モモっ!」
桃香「あい!」
虹子は右足のファーストタッチでターンしながら華のプレスを外すと、その外側から左足で相手陣へ縦パスを送った。
桃香が一気に動き出す。
さくらの横を抜けたボールを、バシッと一発で収めた。
後方から蒼が寄せるより早く、そのままエンドラインを越える。
かぐら「ゴール、桃組!」
桃香「やった!」
蒼「ちっ!」
あずき「桃香、ナイスっす!」
虹子「ナイス〜!」
桃香は敵陣からくるりと踵を返し、そのまま虹子へ向かって突っ込んできた。
――あっ。
飛びついてきた桃香を支えきれず、虹子の体が後ろへ持っていかれる。
倒れる。
そう思った瞬間、背中を強い力で支えられた。
あずき「気を付けるっすよ」
振り向くと、あずきが苦笑いしている。
背中越しにも、その力強さが伝わってきた。
高校一年生とは思えないパワーだ。
華「ナイスプレー、虹ちゃん。倍返しでお礼するわ」
さくら「覚えてなさい」
蒼「桃香、次はやらせないよ」
出会い頭の一撃で、二年生の主力トリオにも火がついたようだった。
最初の二分間は、あっという間に過ぎていく。
反撃に出た白組は、後方の蒼を起点にボールを動かし、さくらの左足から華へつなぐ。
華が加速したところへ、あずきが粘り強く食らいついた。
華はさくらへヒールで戻す。
外側へ持ち出したさくらに虹子が何とか追いつくが、奪い切れない。
さくらが華へリターン。
華は柔らかなトラップからエンドラインを突破しかけたが、最後はあずきが体を寄せ、サイドへ逃がした。
すぐに白組のボールで再開する。
蒼、さくら、華。
流れるようなパス交換に揺さぶられながら、虹子はあずきと並んで構え、何とかしのいだ。
こぼれ球を拾い、ようやくマイボールにする。
しかし――。
顔が上がらない。
桃香「ニジ!」
声に反応して顔を上げる。
桃香の姿を捉えた時には、蒼がぴたりとマークについていた。
そこで虹子は、ようやく気付いた。
ビブスではなく、色分けした鉢巻を使っている理由。
ボールだけを見ていると、味方も相手も視界から消えてしまう。
上半身に色がない分、常に顔を上げて周囲を確認しなければ、誰がどこにいるのか分からない。
そして、目だけでは足りない。
「ニジ!」という桃香の声。
足音。
仲間からの指示。
耳から入ってくる情報まで使わなければ、判断が一瞬遅れる。
「ピッピー!」
一本目終了の笛が鳴った。
虹子「きっつ……」
胸が激しく上下している。
東京ヤングシスターズのセレクションでも感じなかったほど、心臓が速く脈打っていた。
三分ほどのインターバルが与えられ、虹子はグリッドの外に置かれたボトルを手に取る。
水を流し込みながら、周囲を見渡した。
――あたしが一番、疲れてない?
隣で水を飲んでいた華が、そんな虹子の表情を見て笑う。
華「すぐ慣れるよ」
虹子「……うん」
そう返したものの、心の中では簡単に納得できなかった。
この二日間で失格の烙印を押されたら、慣れるための時間なんて与えられない。
ふと視線を感じて振り向く。
室崎かぐら監督が、少し離れた場所で腕を組み、こちらをじっと見ていた。
――これこそ、本当の鬼かぐらだよ……。




