29 下・克・上
虹子「な、なんだっ!」
初対面にもかかわらず、いきなりまとわりついてきた女子は「うへへっ」と笑うと、今度は梨恵の後ろへ回り込んだ。
そのまま胸のあたりを両腕でホールドする。
ひなぎく「こっちは……みかんだに」
梨恵「何がみかんよ!」
薄紅色の長い髪に黄色いヘアバンド。
小学生と言われても信じそうなほど幼い顔をしている。
沙羅「ひなぎく〜。またこの鉄槌を喰らいたい?」
ひなぎく「ぎゃ〜〜〜!!」
沙羅「冗談だよ」
ひなぎく「やい、おたばっかこいてるじゃないぞ」
華「うふふっ」
美麗「キャハハッ」
ひなぎくは「じゃっ!」と言い残し、疾風のようにグラウンドへ走っていった。
そのまま別のチームメートに後ろから抱きついては逃げる。
謎のヒット&アウェーを繰り返していた。
虹子「おたば?」
梨恵「ああ。こっちの方言で『冗談』って意味」
虹子「だ、誰なんですか、あの子」
梨恵「黄宮ひなぎく。U-16日本代表の左サイドバック」
虹子「えっ!? あの子が日本代表?」
「そう。とにかく足が速くて」
華が横から言う。
虹子「へえ・・・」
梨恵「逃げ足もね」
華「うふふ。ひなぎくも二年だけど、三月生まれだから」
代表カテゴリーは学年ではなく、生まれ年で分けられる。
一月から三月生まれの選手は、同じ学年でも一つ下の代表カテゴリーでプレーできる。
行動は怪しさしかない。
ただ、あの動きがただ者ではないことは虹子にも分かっていた。
地元高校と提携し、寮施設もあるクライネには全国から将来有望な選手が集まっている。
それでも梨恵によると、ひなぎくは浜名湖の西側にある湖西市出身で、実家から通っているらしい。
虹子「このチーム……あんな奴ばっかなの?」
言ってから慌てて付け加える。
「あ、華は違うけど」
梨恵が「私は?」と言いたげな顔をした。
虹子「いや、梨恵さんも違います」
梨恵「よろしい」
華「うふふ」
華「実はもう一人、強烈なのが……」
梨恵「そうね。ある意味、ひなぎく以上かも」
虹子「どこ?」
華はグラウンドを見渡した。
華「まだいないみたい」
練習開始まで5分を切っている。
その時、プレハブから二人の女子が出てきた。
一人は黒髪に赤っぽいメッシュが入った大柄な女子。
もう一人は、赤みがかった髪でさらに背が高い。
二人ともGKグローブを持っていた。
梨恵「あっちが二年の与謝野楓。もう一人が三年の緋野神子」
――この人が。
華から聞いていた。
練習参加からクライネ入りを勝ち取った、日本代表の守護神。
神子「ちーっす」
神子はそれだけ言うと、そのままグラウンドへ向かった。
一方の楓は、虹子へ向かって右目でウインクする。
キーパーらしいがっしりした体格とは対照的に、柔らかな表情が印象的だった。
対する神子は、いかにもアスリートらしい身体つき。
鷹のような鋭い眼光をしている。
虹子「強烈なのって、あの二人のどっちか?」
華「あの二人はまともかな。楓は優しいし、神子さんも、ああ見えてすごく仲間思いなの」
虹子「ああ見えてって……」
華「キーパーは一人しか試合に出られないから、練習中はライバル心むき出し。でもオフではすごく仲良しなんだ」
梨恵「神子はU-19代表。二種登録でトップにも参加してるけど、明日の紅白戦があるから今日はこっちへ来てるの」
虹子「紅白戦?」
梨恵「それは監督から説明があると思う。目的は――」
華「虹ちゃんの能力査定。それと控えメンバーの……」
梨恵・華「下・克・上!」
二人が同時に、ぐっと顔を近づける。
虹子は思わず息をのんだ。
しかし次の瞬間。
二人は同時にニッと笑って離れた。
「ピーッ!」
鋭いホイッスル。
室崎かぐら監督の合図だった。
梨恵「行こっ」
虹子と華もグラウンドへ駆け出す。
虹子「結局、強烈な子って?」
華「まだ見当たらない」
虹子「具合悪いとか?」
華「違うと思う」
虹子「遅刻?」
華がくすっと笑った。
華「気にしないでいいよ。そのうち現れるから」
まだ見ぬ〝最後の一人〟。
いったい、どんな人物なのか。
虹子は少しだけ楽しみになっていた。




