25 華とモーニングコーヒー
会話が落ち着き、部屋が静かになる。
窓ガラスに、小さな雨粒が当たっていた。
「晴れるといいね」
華が窓の外を見ながらつぶやく。
華「そうだ。明日の練習前だけどさ」
虹子「ん?」
「雨が止んでたら、ちょっと走らない?」
「いいけど」
「見せたい場所があるんだよね」
「海?」
「もう少し具体的」
「……弁天島?」
「もう、簡単に当てないで」
虹子は笑った。
「だって、あたしも相談しようと思ってたから」
「そっか」
華が嬉しそうに目を細める。
「うふふ」
蕾が店を閉めて二階へ上がってくるまで、あと30分ほど。
起きて待っていようかとも思った。
でも、
「お姉ちゃんのことは気にしなくていいから。明日に備えて早く寝なさい」
と、珍しく華にお姉さんぶられた。
布団に入っても、胸の高鳴りは収まらない。
明日はクライネの練習。
そして、ずっと憧れていた弁天島。
どちらも、東京にいたままでは訪れなかった一日だ。
眠れるだろうか。
そんな心配をしていたが、旅の疲れには勝てなかった。
*
「虹ちゃん、おはよう」
目を開けると、キッチンに立つ華がいた。
味噌汁の香りが漂っている。
まだ外は少し暗いが、雨が止んでいるのは分かった。
「ふあぁ……朝から悪いね」
「これは私の分。虹ちゃんは自分で作ってね」
「なっ」
「うふふ。冗談だよ」
顔を洗いに行く。
鏡を見ると、青い髪が見事な寝癖になっていた。
「華、シャワー浴びるよ」
「うん。その前に寝癖の写真撮らなきゃ」
「いらんわ!」
熱めのシャワーを浴びる。
髪まで濡らし、タオルを頭へ巻いて戻ると、華が肩を震わせていた。
「……うふふ」
その笑顔を見て、類の顔が浮かんだ。
クライネに合格したら。
凌駕。類。夕輝。ハギにシダケン。
みんなに報告したい。
そして――朋美。
朋美には、まだサッカーを再開したことすら話していない。
隠していたわけではない。
東京シスターズのセレクションに落ち、そのままクライネの練習参加が決まった。
伝えるタイミングを逃しただけだ。
――合格したら、一番に連絡しよう。
そう決めた。
朝食は焼き鮭、味噌汁、卵、白いご飯。
どこか懐かしい、日本の朝食。
虹子は一杯目をご飯と鮭で食べ、二杯目は卵かけご飯にして一気に平らげた。
「美味しかった。もうあんたの嫁になるしかないよ」と虹子。
「うふふ。夫が専業主婦のパターンね」
「その分、あたしが稼ぐから」
「家事も手伝いなさい」
「皿洗いしま〜す」
二人で食器を洗う。
華が隣にいる。
それだけのことが、不思議だった。
4年以上も離れていた。
なのに、こうしていると昨日まで一緒にいたような感覚すらある。
もし、あの記事を見つけていなかったら――。
虹子は余計な考えを打ち消した。
食器を洗い終えると、華がコーヒーミルを取り出した。
豆を挽く音。
ドリッパーへ湯を注ぐ音。
香ばしい香りが部屋に広がる。
虹子「すっごくいい香り。どこの豆?」
華「ビーンズツリーっていうお店」
華がカップを差し出した。
「弁天島の近くだよ」
「静岡って、お茶しかないイメージだった」と虹子。
「私も来る前はそうだった」
そう言って、華が少し笑う。
「来てみると色々あるよ」
虹子はカップを両手で包む。
「そっか。楽しみだな」
少し間を置く。
「……その前に」
虹子の言葉に華も頷いた。
「合格を勝ち取らないとね」
時計は7時を回っている。
柔らかな朝日が差し込んでいた。
練習開始は10時30分。
まだ時間はある。
華が立ち上がった。
「さて」
振り返り、右手を高く掲げる。
「いざ、弁天島へ!」
虹子「鬼ヶ島へ行くみたいに言うなよ」
華「はい、きびだんご」
虹子「それ、苺大福だろ」
そう言いながら、華の手のひらから苺大福を掴んで口に放り込む。
「うふふ。また写真撮ってみんなに送っちゃうよー」
「こら、やめろ」
二人の笑い声が、朝の部屋いっぱいに響いた。




