16 新しいサッカーライフ
浜名ディーネはフラワーリーグ1部のクラブだったが、理事会の承認を得て、この夏からWOリーグへ参入することが決まっている。
ホームタウンは浜松市を中心とした浜名湖エリアだ。
橙山華が所属しているのは、そのユースチームである浜名ディーネ・クライネ。
高校2年生ながら、華はすでにトップチームの練習に参加した経験もあるらしい。
クライネは、WOリーグ参入条件の一つである「単独のユースチームを有していること」を満たすため、3年前に創設された。
現在の3年生が一期生。高校2年生の華は二期生ということになる。
新1年生向けのセレクションだけでなく、スカウトされた選手が練習参加を認められ、そこで合格すれば加入資格を得られるケースもあるという。
チームの絶対的な守護神で、U-19日本代表の緋野神子も、その一人だった。
そして――
虹子が練習参加する場合の推薦人は橙山華。
その名前を聞いただけで、不思議な感覚になった。
かつて隣でボールを蹴っていた相棒が、今度は自分を女子サッカーの世界へ導こうとしている。
ただ、虹子は話を聞いている途中で、根本的な問題に気づいた。
浜松――
静岡県でも、かなり西のエリアだ。
現在、虹子が通っている高校は都内の雑司ヶ谷にあり、王子の自宅から都電一本で通える。
虹子「あのさ、学校は……」
華「そうか。それを先に言わないとね」
「えっ?」
「うちのチームは、地元の浜名学芸館って高校と提携しててさ。私もそこに通ってるんだけど」
クライネへの加入が認められれば、高校の編入テストと面接を受けることになる。
それでも華は、あっけらかんとしていた。
「それも大丈夫。虹ちゃん、私より勉強できるしさ」
「そこは知らん」
「大丈夫、大丈夫」と華の明るい声が返ってくる。
「その根拠のない大丈夫が一番怖いんだよ」
「うふふ」
県外出身の選手向けに、専用の寮も用意されているという。
ただし華自身は寮に入っていない。
「私は姉と二人で住んでるんだけど」と華。
「そういえば華、静岡に引っ越すって聞いた時、清水って言ってたよね。浜名湖からはちょっと遠い?」
「うん。静岡県は横に長いからね。今も両親はそっち。でも姉が浜名湖の近くにアクセサリーの店を開いてさ。そこの二階に私も住まわせてもらってるんだよ」
「へえ、楽しそう」
「うるさい姉だよ〜」
すると、少し離れたところから声が飛んできた。
「誰がうるさいだ。虹子ちゃ〜ん、久しぶり。覚えてる〜!?」
都内なら近所迷惑になりそうな大声だった。
「ほら、うるさいでしょ」と華。
「お姉さんか〜。蕾さんだっけ。妹が華で、姉が蕾って……」
「それ、いっつもネタにされるよ」
「華って漢字は花びらの花じゃなくて、華やかの華なんだよね」
「うふふ」と華は笑う。
「お母さんに理由を聞いたら、その方が華があるでしょ、だって。いい加減だよね〜」
虹子が通っている高校は、都内でもそれなりの進学校だ。
中学2年の途中で城北ウイングを辞め、やりたいことを見失った虹子は、母親に勧められるまま勉強した。
中学3年からは進学塾にも通い、なんとか難関高に合格したのだ。
東京ヤングシスターズのセレクションに落ちたからといって、サッカーをするだけなら、東京や首都圏で別の女子チームを探せばいい。
そうすれば転校する必要もない。
たった一人の母親と離れて暮らすこともない。
いきなり静岡へ行くなど、普通に考えれば飛躍しすぎている。
それでも――
虹子の心は、ほとんど固まりかけていた。
華とまた、一緒にサッカーがしたい。
4年間、完全に途切れていた道が、突然もう一度つながった。
「……あのさ、学校のこともあるから。うちの母親に相談してみないと」
「もちろんもちろん。ああ、虹ちゃんとまた一緒にできるなんて、楽しみだな〜」
「受けるとも、受かるとも決まってないから。早まるな」
「あ、そっか。うふふ」
華はよく笑う子だった。
ヤングシスターズのセレクションで出会った風見類と同じ場所にいたら、「うふふ」と「あはは」ばかり聞こえてきそうだ。
虹子は高まる気持ちを抑えながら、もう少しだけ華と話して通話を切った。
黒くなったスマホの画面に、自分の顔が薄く映る。
「……何ニヤけてんだ、あたし」
そう言いながらも、頬は元に戻らなかった。
じっとしていられない。
「お母さん、ちょっと走ってくるわ。あと、帰ったら話がある」
個室のドアの向こうから、
「お風呂入ったでしょ。風邪ひかないでね〜」
と陽子の声が返ってきた。
虹子はオレンジ色のジャージを羽織り、スニーカーを履く。
玄関のドアを開ける。
夜の空気が顔に当たった。
気づけば、足は飛鳥山へ向かっていた。
東京ヤングシスターズには落ちた。
浜名ディーネ・クライネに入れる保証もない。
高校を転校できるかも分からない。
母親が何と言うかも分からない。
それでも、足は勝手に前へ出た。
その先に、新しい道が続いている気がした。




