14 七色棋士とキーホルダー
虹子のアカウント「七色棋士」は、オンライン将棋の情報交換のために作った匿名アカウントだ。
フォロワーの99%は、オンライン将棋のユーザーやファン。
虹子がフォローしているのも、対戦経験のある匿名棋士や将棋関係のアカウントばかりだ。
そもそも虹子がオンライン将棋を始めたのは、高校に入ってから。
橙山華が「七色棋士」の存在を知るはずがない。
しかも華がフォローしているのは50人足らず。
ほとんどが、ユニフォーム姿の女子サッカー選手だ。
「あれ……」
何気なく過去の投稿を見返していた虹子の指が止まった。
セレクション前に投稿した、
『明後日はセレクションの日。楽しむぞ』
リプライの一つに、華のアカウントがある。
華:がんばれ!
「…………」
華は「七色棋士」の正体が虹子だと分かった上で反応しているのだろうか。
ど、どうしよう……。
コメンターは相互フォローになれば、相手の設定に関係なくダイレクトメッセージを送ることができる。
でも――。
華が静岡に引っ越してから、一度も連絡を取っていない。
4年。
数字にすると、改めて長い。
凌駕に相談するか……
UNITYを開こうとした、その時だった。
コメンターのダイレクトメッセージ欄に赤い印が付いた。
「うわっ」
思わずスマホを遠ざける。
いや。
何で逃げるんだ。
虹子はおそるおそる受信アイコンをタップした。
予想通り。
「HANA TOYAMA」
華からだ。
華:こんにちは。虹ちゃんだよね?
たったそれだけ。
なのに虹子は、しばらく画面から目を離せなかった。
――どう返せばいい。
コメンターでは既読が相手に通知されない。
それでも、すぐに返さないのは気まずい。
何より――
早く華と話したかった。
城北ウイング時代、練習が終わっても二人でボールを蹴った。
コーチに止めろと言われれば、近所の公園に移動してまた蹴った。
幼児を連れたお母さんに怒られ、二人の母親が謝りに行ったこともある。
そんな記憶が次々と蘇る。
すると、もう一度通知が来た。
華:ごめんね。私、虹ちゃんがずっと怒ってるかと思って。なかなか連絡できなかった。気付いたら4年も経ってたよ。
「あたしが……怒ってる?」
――何のことだ。
華は何かを誤解している。
虹子は深呼吸して、返信を書いた。
一度読み返す。
虹子:何も怒ってないよ。こっちこそ音信不通になって、ごめんm(_ _)m
送信。少し時間が経って返事が来た。
華:虹ちゃん、また会おうね!
虹子:臼!
送った瞬間、
「何だよ、臼って……」
自分で突っ込んだ。
問題はここからだ。
ダイレクトメッセージとはいえ、コメンターにリアルな連絡先やUNITYのQRコードを載せるのは危ない気がする。
最近あったアカウント乗っ取りのニュースも思い出した。
「凌駕に頼むしかないか……」
前に話題に出た時は、つい断ってしまった。
でも二人をすぐにつなげられる存在がいる。
午後8時半。
虹子はUNITYで一言確認してから、凌駕へ通話をかけた。
「おう」
事情を説明しようとしたところで、
「ああ、さっき同じ相談を受けた。華ねえから」
虹子は固まった。
「まさか、あんた華にあたしのこと話してた?」
「まあまあ、ちょっと聞いてよ」
「何よ。いくら凌駕でも、ことと次第によっちゃ」
「さそり固め?」
「甘い。アスファルトにDDT!」
「そんなことしたら虹ねえ、警察に捕まるよ。未来の日本代表の尊い命と引き換えに」
「冗談はいいから、早く事情を説明しなさい」
凌駕によると、華から連絡が来たのは昨日。
約1か月ぶりだったらしい。
「七色棋士」にフォロバされた時、アイコンに映っているキーホルダーを見て、虹子ではないかと思ったという。
「キーホルダー……」
あの虹のキーホルダー。
小学生の頃、ランドセルに付けていたものだ。
今は机の引き出しにしまってある。
「七色棋士」のアカウントを作る時、何か虹っぽいものはないかと探して見つけ、アイコンの写真に使った。
華が覚えていた。
その事実が、虹子には妙に嬉しかった。
凌駕によれば、華とは1年ほど前、代表の合宿場で再会したらしい。
先に気付いて声をかけたのは華。
虹子の近況を聞かれたこともあったという。
返答に困る凌駕を見て、それ以上は聞いてこなかった。
だったら、どうして華は今まで連絡してこなかったのか。
凌駕に聞いても、
「それは俺も知らないよ。直接聞きゃいいじゃん」
しごく当然の答えが返ってきた。
「じゃあ、グループ招待でつなげるよ」
虹子が感謝の言葉を伝える間もなく、凌駕が「あ、そうそう」と提案してきた。
「一緒にボール蹴る件だけど、明後日の夕方、ここに来られるかな? MAPのスクショ、今送った」
「了解。えっと、新宿中央公園……飛鳥山じゃなくて?」
「ああ、うん。虹ねえの学校からも遠くないでしょ」
「たぶん副都心線で数駅かな。あんまり乗らないけど」
「その件はまた連絡する。じゃあ、つなげるよ」
「OK」
通話を切った途端、急に緊張してきた。
深呼吸する。
間もなく、凌駕が作ったグループへの招待が届いた。
「はい」
をタップする。
古賀凌駕。
そして――。
HANA(橙山華)。
二つの名前が並んだ。
凌駕が最初に、格闘家のようなキャラクターがサムアップしているスタンプを貼り付ける。
凌駕:積もる話もあるだろうから、あとは二人でご自由に。ドロン!
「逃げやがった……」
間もなく、
華:うん、OK!
というメッセージとともに、子犬が踊るスタンプが貼られた。
虹子は興奮をごまかすように返信する。
虹子:うぃっす。
間もなく、華から友達追加の確認が届いた。
虹子は一瞬だけ指を止める。
そして、承認を押した。
二人だけの会話ページが開く。
華:これから話せる?
虹子:あ、はい。
送った直後、通話の着信が鳴った。
「…………」
虹子は深く息を吸う。
通話アイコンを押した。
「虹ちゃんっ! うっ……うっ……」
いきなり、泣くのをこらえるような華の声が聞こえてきた。
虹子は何も言えなくなった。
4年前。
それまで毎日のように聞いていた声だ。
「華……」
ようやく名前を呼んだ。
それ以上、言葉が続かない。
両目に涙がたまり、目の前の画面がぼやけていく。
イヤホンの向こうから聞こえるのは、華が鼻をすする音だけ。
虹子も何度か口を開いた。
でも、声にならなかった。
4年間。
一度も話していなかった。
つながってしまえば、言いたいことはいくらでもあるはずなのに。
最初の一言が出てこない。
結局――。
4年ぶりとなる二人の会話が本当に始まるまで、15分ほどかかった。




