5
春尚の予言通り、翌朝の遅くに朔也は目を開けた。
へにょりと笑った口の端から、血が零れ落ちる。
「朔也さま……ご苦労さまでございました」
「ああ、春さま。いらしておられたのか」
「はい。ずっと居りましたよ」
朔也は手を伸ばそうとして愕然とする。
「あれ? 動かない……」
「息ができておれば重畳じゃ。よう耐えたな、朔也」
「姉上」
つくよは涙を見られないように顔を伏せたまま、湯で朔也の足を擦り始めた。
「つくよちゃん、君はまだ動かない方が良い」
春尚の言葉に、つくよは首を横に振った。
「私のお役目にございます」
「つくよちゃん!」
濡れた手拭いを奪い取った春尚が、朔也に向き直る。
「今日は私が拭って進ぜましょう。陰陽師の加護を込めましょうぞ」
「やあ、それはありがたい。つくよは少し休みなさい。顔色が悪い」
自分よりもさらに土気色をした朔也の声に、つくよは何も言い返せなかった。
「そうじゃ、つくよ。あれを持ってきてはくれまいか?」
千世の声は悲しい程に優しかった。
「はい。ただいま」
立ち上がろうとしてふらついたつくよの手を藍丸が握った。
「つくよ。無理はせぬ方が良い。私が行こう」
生まれた瞬間から死の縁に立ち続けている子供たちの優しさに、つくよの胸の奥が痛んだ。
「では藍丸様、一緒に行っていただけますか?」
「結も行く!」
つくよは幼い子供に挟まれながら、ゆっくりと膳部へと向かった。
それを見ていた春尚がぼそりと呟く。
「触れても吸わぬことができるのか……自分の意思で選べるのか?」
庭先の紫陽花が、カサカサと葉をこすり合わせる音をたてた。
「姉さま、私は夢を見ました」
幼い弟妹の後姿を見ていた千世が、朔也に顔を向ける。
「夢? それは吉夢であったか?」
朔也の目尻からスッと一筋涙が落ちた。
「吉夢なのでしょうか……ただ、私は大人になっておりました」
「そうか。ではそれは吉夢じゃ。朔也は大丈夫だということであろう?」
「でも姉さま。それは続くということじゃ」
「……」
薄い唇を嚙みしめた千世が春尚に視線を投げた。
細くなった腕を優しく拭いながら、春尚はわざと低い声を出す。
「これは内緒でございますぞ?」
姉弟がコクコクと頷く。
二つの顔をゆっくりと舐めるように見た春尚が、ニヤッと眦を下げた。
「朔也さまには、もう辛いお勤めはございませんよ」
「誠か?」
少しだけ肩を竦めてみせた春尚が続ける。
「とは言っても、微毒は続きます。ですが、すでに朔也さまは耐性を手に入れられた。それを保持する程度の調薬です」
ホッと息を吐いた千世が、朔也の額に掛かった髪を優しく撫でた。
「ようございましたな。朔也」
朔也は返事をしない。
彼は知っているのだと春尚は思った。
特定の臓器に効く毒の全てに耐性を持った子は、この屋敷から離されるということを。
「動けぬ体でも同じなのですか? 春さま」
「今までのことで申せば、同じでございましょうな」
「そうか……それはそれで……」
帝が心の臓を患えば、朔也のそれは生薬として取り出される。
来るか来ないかわからないその日のために、ただ飼い殺される日々。
使用人たちの話でしか知らないが、どうやら気を違えてしまう者も多いらしい。
「兄さま!」
パタパタと足音を響かせて、結が部屋に駆け込んできた。
「兄さま、甘藷でございます」
「おお! これは何よりの好物じゃ」
先ほどまでの空気を一気に拭い去り、朔也が声を張った。
「召し上がりますか?」
「ああ、少し貰おうか」
続いて入ってきた藍丸が、起き上がろうともがく朔也の背中に小さな手を差し込んだ。
「あれ? 兄さま。随分と汗が」
「そうか? 自分では気づかぬものじゃな。藍丸、悪いが甘藷を小さく割ってくれ」
「はい」
朔也が一口食べるたびに、結と藍丸が手を叩いた。
千世は渡された甘藷を手に乗せたまま、はらはらと涙を溢している。
後ろでドサッと音がした。
「つくよ!」
朔也の声と同時に春尚がつくよを抱き上げた。
「だから吸い過ぎちゃダメだってば!」
春尚の声は、気を失ったつくよの耳には届かない。
千世がゆっくりと立ち上がり、使用人を呼んだ。
「ここに寝かせます。床を用意なさい」
弱々しいが有無を言わせない声だった。




