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「まだ目覚めぬか」


 朔也の枕元で春尚が呟いた。

 その横には宮廷の薬師が控えており、定期的に朔也の脈をとっている。

 あの翌日、朔也の朝餉には毒が盛られた。

 

「この菜は必ず残されませぬよう」


 何の感情も含まない声で、その小鉢を朔也の膳に置いた薬師。

 その背中を射殺さんばかりの強さで睨みつけているのは、千世と藍丸だ。

 結は朝餉の椀を持ったまま、ただぽろぽろと泣いていた。


「ええ、残しませんよ。いつも通りにね」


 そう言ってフッと息を吐いた朔也は、一気にそれを頬張り、それきり意識を失った。

 すぐに床が整えられ、吐き戻しがのどに詰まらないように手拭いが差し込まれる。

 駆け寄ろうとしたつくよは、薬師の護衛に首根っこを押さえつけられた。


「朔也さま……」


 いつもそうだ。

 いつもいつもいつも。

 自分には防ぐことができないのだ。


「今回を超えられたら、めでたく生薬となりましょうな」


 若い薬師が少しだけ高い声を出した。


「うむ」


 年老いた薬師は、それを咎めようともせず頷いた。


「せめてお水を」


 床に押さえつけられたままつくよが叫ぶ。


「ならんぞ。それこそ水の泡じゃ」


 朔也の顔色はどんどん悪くなる。

 まるで干上がる前の水たまりの色だとつくよは思った。


「放しなさい。つくよは無体などいたしません」


 そう言い放つ千世に、護衛の男は小さく頭を下げた。

 子供とはいえ、帝の血筋だ。

 この場を取り仕切る薬師でさえ、命令されれば従うしかない。

 しかし、ここに住む子らは誰一人としてそれをしなかった。

 ただ淡々と己が生まれた意味を受け入れ、出された毒を口にするのだ。


「つくよもいい加減に慣れなさい。いつも同じことをしても仕方があるまい?」


 千世の言葉がつくよの体をすり抜けていく。

 遠くの山の木々が、ざわりと揺れた。

 ひれ伏したままの格好で、つくよはふと昨夜の出来事を考えた。


「朔也さまは大丈夫だ。そうだろう? 月読の姫様」


 春尚が吐いたその言葉に、つくよは何も返せなかった。

 口から心臓がまろび出そうなほどに跳ねている。


「何のことやら……」


「ははは、そうだね。わかるわけ無いか。まあ、そうだよね」


 庭に立つ春尚の衣がすっと薄くなり、淡い光を纏った。


「ただね、吸い過ぎてはダメだ。分け合う程度にしなさい。結さまや藍丸さまとは違って、もう朔也さまは大きい。つくよとあまり変わらないだろう?」


「でも朔也さまは、まだ十を少し過ぎたばかりのお子でございます」


「うん、そうだね。もう少し小さければよかったのだけれどね」


「……」


「朔也さまはあの方に似てしまったのだろうね」


「あの方……」


「そう、あの方。真名を口にすることも憚られる尊いあの方さ」


「自分の子を犠牲に……」


 春尚が慌ててつくよの口を覆った。


「それ以上言ってはいけない。君は優し過ぎるようだ。かの君と同じだな」


「かの君?」


 春尚がクスッと肩を竦めた。


「うん、次世を担うかの君だ。あの方も優し過ぎて困るんだよね。何度お諫めしても、ここに来ようとなさってね。だから私が……おっと、時間切れだ。もう消えるよ」


 足元からどんどん薄くなっていく春尚を呆然と見上げるつくよ。


「またね、つくよちゃん。明日は薬師と一緒に来るから」


「明日……」


 ああ、やはり明日なのか。

 消えた春尚よりも、そちらに心が引っ張られ、つくよは朔也の平和そうな寝顔をただ見つめていた。


「兄上は甘藷がお好きでありましたなぁ」

 

 それから三日。

 朔也はまだ目覚めない。

 寝間着の胸元には、無残なほど浮き上がった肋が影を作っている。

 藍丸の呟いた言葉を千世が拾い上げた。


「そうであったな」


 藍丸の皮膚に浮かんだ黒い斑点は消えないままだ。

 結の頬に浮かぶ同じようなそれは、すでに爛れきって濃い黄色の汁を吹き出している。

 骨に皮が貼り付いているだけのような腕をゆっくりと上げて、千世がつくよを手招きした。


「つくよ。申し訳ないが、膳部に無理を言うては貰えまいか」


 つくよは止まらない涙を拭おうともせず、何度も深く頷いた。


「お願いして参ります」


「それなら私が行こう。その方が早いからね。つくよちゃんはここで朔也さまを見守っていておくれ」


 言うが早いか立ちあがった安倍春尚は、スッと腕を伸ばして結を抱き上げた。


「さあ、結さまも共に参りましょうね。温かい湯を貰って、お顔を拭って進ぜましょう」


 結は泣いたまま何も言わず、春尚の腕に抱き取られた。


「つくよちゃん、君は少し食べた方がいい。準備をさせておくからね」


 静かに部屋を出る春尚の後ろ姿を目の端に捉えながら、つくよがぼそりと呟いた。


「わかりました」


 薬師がスッと衣を引く。


「あとは良しなに」


 その言葉と同時につくよは庭に躍り出る。

 裸足のまま薬草小屋に向かって駆けた。


「朔也さまのは心の臓じゃ。ヤクモ草は……三つ目の棚じゃ!」


 小屋に駆け込んだつくよは、カラカラに乾かしたヤクモ草を鷲掴みにして膳部の横部屋に駆け込んだ。


「終わったかね」


 年配の女が声を掛けてくる。


「たった今お帰りになった」


「だったらここを使え。まだ火は生きておる。湯も沸いておるぞ」


「うん」


 つくよは袖口で涙を拭った。


「あんたが泣いてもどうしようもないぞ。早う始めろ」


 後ろから声を掛けてきたのは、先日つくよに突っかかってきた女だ。

 声にならないまま頷くつくよに、その女は力強く頷いて見せた。

 その様子を膳部の端で見ている春尚。


「がんばれよ、つくよちゃん。今夜が山だ」


 膳部の長が春尚に聞いた。


「甘藷は蒸すので? それとも煮転がしましょうか」


「朔也さまのお好みで」


「ああ、それなら蒸しがよろしかろうなぁ。すぐに掛かりますか?」


「いや、明日の朝にしよう。きっと目を開けなさるから」


 長は何も言わずに下がっていった。

 子を送るのは誰にとっても辛いのだ。

 それでもここで働いているのは、逃げ出せないあの子たちを見捨てたくないからだろう。


「あっ!」


 つくよの体がゆっくりと傾いだ。

 結を抱いた春尚に目がスッと青みを帯びる。

 つくよの足元がふわっと浮き、ゆっくりと土間に横たわった。


「相変わらずお見事でございますねぇ」


 そう言ったのは年配の女だった。


「ははは! 見ちゃった? 内緒にしておくれよ。また怖がられてしまうからね」


「はいはい」


 そう言った女は、馴れた手つきでつくよの頬を揺らした。


「ほれ! つくよ! 寝ている場合ではないぞ!」


 つくよがパッと目を開けた。


「薬!」


「もう煮上がっておるぞ。後は刻むだけじゃ」


「うん」


 つい先ほど気を失った女とは思えないほどの速さで、つくよは薬草を刻み始めた。


「がんばれよ」


 春尚は小さくそう呟いてその場を後にした。

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