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 それから半年たっても、ふと口にのぼるのはあの日の話だ。


「それはもう美しいの一言でしたよね。他はまるで岩戸から出られた天照大神の足元に群れる人々のようでしたな」


「私も?」


 隆正の言葉に、春尚が唇を尖らせた。


「ええ、兄上も。朝成さまも朔也さまも。みんな子守唄にうっとりしちゃって」


 フンッと鼻を鳴らした春尚が言った。


「兄上は?」


 隆正が頬に指先を当てる。


「忠尚兄さまは、岩戸を開けた天手力雄命のようでしたなぁ」


「片腕で?」


「ははは!」


 陰陽院の南の縁側に、屈託のない笑い声が響く。

 奥の書院に置かれた文机の前で、その景色を眺めている忠尚の口角がゆっくりと上がった。

 穏やかな風が部屋の中に吹き込んでくる。

 焼けた部屋の修繕もあらかた終わり、新しい帝の即位式も無事に執り行われた。


「お頭さま。そろそろお時間でございますれば」


 若い陰陽師が声を掛けた。


「そうか。では参ろうかの」


 忠尚の指先から真っ白な雲が湧き出した。

 ふと、あの日のつくよの姿が頭を過る。

 忠尚が縁側に向かって声を掛けた。


「なあ春尚、お前って姫様を雲に乗せた事があるのか?」


 振り返る春尚。


「姫様? ああ、つくよちゃん? うん、あるよ。一回だけだけど」


「なぜ一度だけ?」


「だって乗りたがらないんだもの。怖いらしい」


 忠尚はクスッと肩を竦めて真顔に戻した。


「宮に向かう。供をせよ」


「はっ」


 隆正が立ち上がった。

 あの事件以来、忠尚は隆正を重用するようになった。

 春尚もそれに対して異を唱えることも無い。

 いや、むしろ今の閑職を喜んでさえいた。


「では留守を預けるぞ」


「ご苦労様です」


 縁側に座ったままそれを見送る春尚。

 二人の姿が消えるのを見届けて、ゆっくりと立ち上がった。


「平和だな」


 数人の若い陰陽師が、筆をおいて春尚を見た。


「平和だ」


 呟くように言う春尚をちらりと見てから、再び筆に手を伸ばした。


「さて、ご機嫌でもお伺いして参ろうか」


 誰に言うともなく、春尚が立ち上がった。


「行ってらっしゃいませ」


 頷いた春尚が懐に手を差し入れた。

 布越しに触れたそれはサンザシの実だ。


「飴が良いかな? それとも甘露煮?」


 何処に行くとも告げない春尚だが、その場にいる者たちは問うことも無い。


「今日のご機嫌はいかがであろうか」


 春尚は嬉しそうな顔で歩き出した。

 すれ違う使用人たちが、小さく頭を下げて道を譲る。

 女たちは頬を染め、男たちは羨望の目を向けた。

 薄水色の衣が、廊下を渡る風に揺れる。

 浅めに被った烏帽子が、キュッと小さな音をたてた。


「姫様、お元気ですか?」


「まあ、春尚さま。ようこそ」


 陰陽寮の最奥座敷で春尚を出迎えたのは月読の姫だ。

 あの日のあと、つくよは記憶を失っていた。

 両親のことも館のことも、あの日の出来事も覚えてはいない。

 そして春尚のことも同じだった。


「今日はサンザシの実をお持ちいたしましたよ」


 春尚の声はただひたすら優しかった。


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