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「サンザシ? それは珍しい。私はまだ食したことがございません」
「それは良かった」
つくよちゃんの好物だったのだよとは言わない春尚。
「飴を纏わせると美味だそうです。さっそく作らせましょう」
「そのままでは食せぬのですか?」
つくよはそのままの方を好んだなと、古い記憶が甦る。
「そのままでも美味ですよ。私はそちらの方が好みです」
「では、私もそのままで」
春尚が小皿を引き寄せてサンザシの実をざらりと入れた。
「まあ! 赤くてかわいらしいこと」
「かわいらしい……」
「ええ、まるで子供の頬のようではありませぬか」
春尚は、こみ上げる感情を必死で抑え込んだ。
「子供の……」
「そうです。何の罪もない素直な心根の子供たちの」
月読の姫の目に涙が浮かんだ。
「姫様?」
慌てて袖でそれを拭う姫。
「どうしたのでしょうか。なぜか急に……まあ、どうしましょう」
春尚の胸が熱くなった。
「きっと忘れた何かがあるのでしょうね」
「忘れた何か?」
「ええ、忘れてしまった何かです」
姫がサンザシの実に手を伸ばした。
「忘れてもなお、これほど切なくなるのでしたら、きっと忘れたくなかったほどの大切なことなのでしょう」
春尚がぴくっと肩を揺らした。
構わず言葉を続ける姫。
「陰陽頭さまが仰っていました。私は命以外を引き換えにして、大事を成し遂げたのだと」
「ええ、そうですね」
「でも時々思うのです」
「何を?」
姫が赤い実をひとつ口に入れた。
「これほどまでに切ないのなら、命だけを残した甲斐はあるのかと」
春尚がグッと拳を握った。
「それはございますでしょう。きっと姫様に死んでほしくない者がいたのではないですか? その者は、己の命と引き換えにしてでも、姫様に生きていて欲しかったのだと思います」
姫が春尚の顔を見た。
絡み合った二つの視線が切なく揺れる。
「宰相様の御成りでございます」
廊下の障子に人影が映った。
「お邪魔をいたします」
今年成人を迎える朔也が立っていた。
姫がスッと頭を下げる。
「ようこそお出で下さいました」
「失礼いたします。ああ、春さまもお出ででしたか」
「ええ、私の居間はここですからね」
「ははは! なるほど。相変わらずですか」
「ええ、変わることはございませぬよ」
姫の前にゆっくりと座る朔也。
「お加減は如何ですか?」
姫の言葉に朔也が頷いた。
「お陰様で徐々に動くようになってまいりました」
「まあ、それはよろしゅうございます。でも、私は何もしておりませぬよ?」
「いえいえ、姫様のお陰です。ねえ、春さま」
「ははは。そうですね」
姫が困った顔をした。
「また忘れているのでしょうか」
「忘れたことはもう捨てましょうぞ。これからまた作れば良い」
高台に乗った茶器に手を伸ばす春尚が言った言葉に、朔也が大きく頷いた。
「忘れることは悪しきことばかりではございますまい」
姫が小首を傾げる。
「確かにそれは詮方無きことなれど、何かとても大切な事のような気がするのです」
姫の頬に一筋だけ涙が伝った。
それを自分の袖口に吸わせた春尚が、優しい声で言った。
「あなたさえ生きていれば、救われる者も居るのですから。そう嘆かれますな」
朔也がそっと視線を下げた。
「ええ、とても……とてもたくさん居りますよ」
姫は何も言わず、すっと庭に視線を投げた。
その頬は、熟れたサンザシの実のように薄く紅を纏っている。
愛おしい目で姫を見つめながら、春尚がぼそりと言った。
「朝成さまはまだ迷うておられるのですか?」
朔也がホウッと息を吐いた。
「ははは、兄上は優し過ぎるのです。でもまあ、迷いながらもお決めになられました」
「では南州の残党は……」
「ええ、遠島です」
「お子たちは?」
「罪なき者は罰しません。みなお館へ」
お館という言葉に、姫の肩が小さく揺れた。
「姫様?」
心配そうな顔を向ける春尚。
「お館……」
姫の声が微かに震えた。
「親の無い子供らの棲み処にございますよ」
「誰が世話を?」
「昔から仕える者たちが居ります」
「費えは?」
「公費から」
「そうですか。私に何かできることがありますか?」
暫し考えた後、朔也が口を開いた。
「もうあそこに毒は無いです。これから先もずっと」
「毒……」
「ええ」
「……」
何か考え込んだ顔をした姫に、春尚が優しく言った。
「姫様は、ここで私に守られていれば良いのです。ああ、そうだ。御気分が良い時に春日山に参りませんか? そろそろ紅葉が見ごろだそうですよ」
「紅葉……でも、遠いのでしょう?」
「雲に乗ればすぐです」
「あれは……怖いです」
「慣れれば快適です。少しずつ練習していきましょうね」
朔也が笑った。
「懲りませんねぇ」
「なぁに、時間はたっぷりありますよ」
「そうですね。まだ先は長い」
朔也の言葉に姫がにこりと微笑んだ。
「でも、春尚さまとなら行けそうな気がいたします」
春尚が嬉しそうな笑顔を浮かべた。
終




