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 青野が館に行って数週間、徐々にではあるが千世も食事をとれるようになっていた。

 相変わらず薬湯を飲むときには顔を顰めるし、時々ぼんやりと庭を見ていることもある。

 それでも朝はきて、夜が来る。

 夜がくれば灯りをともし、星が出そろえば床に入る。


「なあ、つくよ。起きているのだろう?」


 朔也が障子の向こうから声を掛けてきた。


「どうされました? どこか痛みますか?」


「いや、痛みではないのだが……少し話せるかい?」


 つくよは寝間着の上に着物を羽織り、スッと薄く障子を開けた。


「朔也さま? いかがなされましたか」


 庭のオカメ笹がざわりと揺れた。


「姉さまのことだ。もう休まれているか?」


「はい、近頃の千世さまはよくお眠りでございますよ」


「昼間は何をしておられる?」


「はい……つくよにはよくわかりませんが、いつも書物を広げられて、なにやら書付などをなさっておいでです」


「そうか」


 不自由な手をゆっくりと顎に当てた朔也が、暫し無言で考え込んだ。


「朔也さま?」


 呼びかけに向けた顔は、まだ幼さが残っている。


「どなたか尋ね人でもあったか?」


「いいえ……いったいどうなされました?」


 悲しそうに眉を下げた朔也が、また一段声を低める。


「葵の間の御方が、姉さまに縁談をご用意なさった」


「え?」


「私たち館の子は、こんな体だろう? もとより縁談など来るわけはないとタカをくくっておったのだがね」


 つくよの部屋を隔てた襖の向こうで、千世がコホンと小さく咳きこんだ。


「かの方は、どうあっても我らが疎ましいのだろうね。まあ、お陰で兄上への手出しが減っているから、そこは狙い通りなのだけれど」


「お相手は?」


「刑部卿のお子だそうだ」


「ぎょうぶ……」


「父帝の甥にあたられる。要するに我らとは従弟だな。しかしその御子の御年が……」


「お幾つなので?」


「年が明けて七つ。しかも御目がご不自由だ」


 つくよが飲んだ息が闇に散った。


「どうやらあちら側は、一度にいろいろな厄介を消そうと画策しておられるようだ」


「消すって……」


 どこからか忍び込んできた夜風が、部屋の空気を混ぜる。

 少しだけ湿ったそれは、雨上がりの土のような匂いがした。

 つくよは吐く言葉を探しあぐねて、唇をかんだ。


「つくよの具合はどうなの?」


 朔也が急に話題を変える。


「私の……具合?」


「うん。つくよはどうやって吸い込んだ毒を浄化するのかなって」


 つくよはもっと重たいことを聞かれるのかと身構えた背中の筋を緩める。


「朔也さま、これは内緒でございますよ? 私たちは、取り込んだ毒をあるべき場所に戻す力がございます」


 ぼんやりとした灯りの中でもわかるほど、朔也が驚いている。


「あるべき場所?」


「はい。取り込んだ毒は迷子のようなものだと母は言ったそうです。だから元に還してやるのだと」


「それは……産地のことか?」


 つくよがクスッと肩を竦める。


「山から来た毒は山に。海なら海にでございます。直接ではなく、月の道に乗せるのです。そうすれば勝手に故郷に帰ります」


 朔也の眉間に皺が寄った。


「よくわからんが……お前は行く宛はあるのか?」


「……ございません」


「やはりそうだよな。だからだろう、姉さまは嫁いだ後のつくよを心配なさっている」


「私はここを離れとうはございません」


「しかし、それでは体が」


 反論しようと、つくよが息を吸った瞬間、廊下をものすごい勢いで駆け抜ける足音で、寝室の床が揺れた。


「何事か!」


 朝成が大きな声を出した。

 無遠慮なほどの勢いで襖が開かれる。


「御上のご容態が」


 朝成が布団をはね上げた。


「危ないのか?」


「息が苦しいと仰せです」


「何かの毒か?」


 報告に来たものが一瞬の戸惑いをみせる。


「薬師様のご判断をお待ちしているところではございますが……ただいま、お館に馬を飛ばしてございます」


 その言葉に、朔也とつくよの肩が同時に跳ねた。


「館に?」


「はい。御妙薬さまをお迎えに」


「バカな! あちらはすでに閉じたと申しておろう!」


 朝成が徐に立ち上がった。


「しかし薬師様が……」


「ふざけるな!」


 朝成の声が廊下を走り抜ける。

 悲しいほど乾いた音で、後ろの襖が開いた。


「館の子を呼ばずとも……私が行きましょう」


 そう言った千世の後ろで、血が滲んだような赤い月が、ゆるく結わえた黒髪を白く縁取っていた。

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