天の白杖
フェニックスの洞穴に辿り着いた頃には、すっかり落ち着きを取り戻していた。何故あんなに悲しんでいたのか、何故あんなに苦しかったのか、今ではよく分からない。母は生きているし、その気になればまた会える。永遠の別離でもないのに、感情的になる必要はなかったのでは…と、思ってしまう。その反面、あまりにも合理的な考えに「らしくない」と思考の変質を疑っている。自分ではない何か、例えば、殺戮衝動が紛れ込んでるとか…。考え過ぎかもしれないが、暴走の前科があるから侮れない。
洞穴の前に立つと、何か違和感を覚える。その正体は、入口に掲げられた表札らしきもの。名前こそ入っていないが、形と言い、雰囲気と言い、どっからどう見ても表札としか思えない。何故か、フェニックスに聞いても教えてくれない。洞穴の中に入ると、等間隔に光る苔が設置してある。足元が良く見えるのは良いが、急な模様替えに何だか嫌な予感がする。
奥のフカフカな巣に到着。ここには変化は無い…と思っていたら、壁面に木製の扉がある。立て掛けられているだけかと思ったら、しっかり扉として設置されている。翼を器用に扱えるとはいっても、流石に扉を作って設置するのは無理がある。一体誰がこんなものを? 俺と同じような人間が居るのか? それとも、人間型の恐獣が居るのか? 正解は扉の奥に在りそうだが…ノックする勇気が出ない。嫌な予感が尋常じゃない。
「シン、道を選ぶのはあなたです。ですが…出来る事なら、ノックして頂けますか?」
嫌な予感が的中した訳ではない。ただの直感、ただの想像…意外と呆気ない結果が待っているだけ。そう言い聞かせてノックする。
「は~~い♪」
扉の奥から聞こえて来たのは、女の子の声。しかも、何処となく聞き覚えがある。足音が近づき、いよいよ扉が開かれる。開かれる様は異様に緊張する。
「お帰り、シン」
「………どちら様?」
現れたのは、声の印象通りの女の子。年齢は…多分、10歳前後。記憶を幾ら漁っても会った事は無いと思う。赤みを帯びた黒髪、日本人っぽい黄色系の肌色、中心部分が赤い黒目、太っても痩せてもいない中肉中背。
「急に変わったから分からないよね」
女の子は、大胆にも抱きつき頬を摺り寄せてくる。その行動に、「絶対に違う」と切り捨てていた可能性が急浮上。何処となく聞き覚えがある声だけで答え合わせをしてみる。
「もしかして……あの時助けてくれた子か?」
「正解♪」
頭が大混乱。ここを発ってから帰ってくるまで、たった半日。その短期間で雛の姿からどうやって人間の姿に変化した? そもそも、フェニックスって人間になれるのか? 体格も、体質も、何一つ符合する箇所が無い種族に? そして、どうして人間になったんだ?
「私の名は、ミネ。これからよろしくね」
「よ、よろしく……」
笑顔で扉が閉め、「夕食の準備があるの」と何やら嬉しそう。扉に耳を当てると、慌ただしく何かをしている音が聞こえる。まだ昼食すら食べていないのに随分気が早い。
フェニックスが、嘴で肩を叩く。
「では、夕食まで時間を潰しましょうか?」
フェニックスに誘われたのは、向こうの世界では富士の樹海と呼ばれていた場所。なのだが、この世界では様相が全然違う。北側周辺はほぼイメージ通りだが、南側周辺は森と呼ぶには木が疎らで、地表は焼け焦げた跡がそこら中に散見される。恐獣の数も、北と南では雲泥の差。俺が登った北側のルートには沢山の恐獣が居たが、南側にはほとんど居ない。居るには居るのだが…異様に大人しく、フェニックスの顔色を窺っているように見える。
「シン、怒って下さい」
「そんな事言われても…急には」
嘴で後頭部を突かれると、意識が混濁し周囲の景色が変わる。獅子面が母の首を絞め、高笑いを上げている。「俺に逆らうからこうなる!」と耳障りな声が聞こえ、沸々と怒りが湧いてくる。幻想と自覚していながらも止まらない。怒りが増幅し続け、仕舞には殺戮衝動が目を覚ます。
「ぐがあああぁ………に、肉…肉を喰わせろ!」
主導権を奪われ、殺戮衝動はフェニックスに襲い掛かる。だが、フェニックスが羽ばたくと動きがピタリと止まる。
「食欲という本能で訴えているだけで、内に潜んでいるのは別の意志。あなたは、何を欲しているのですか? それを理解し受け入れる事で、ある程度暴走を抑制する事ができます」
欲しいものと言われて思い浮かぶのは、自由。だが、自由と言っても、俺が求めていたのは親父の元から離れる事。その点では既に満たされている。いや、そういう事じゃない。『何故自由が欲しかったか』が重要だと思う。自由が欲しかったのは……愛されていなかったから。罵倒、蔑み、疎外…それが俺の日常。だから欲した。愛されないなら、せめて自由を…と。
愛を欲していた事を思い出すと、主導権の一部が戻って来る。指先が微かに動き、辛うじて口が開く。
「理解したようですね。後は、その思いを叫ぶだけです。恥ずかしがらずに、思うがまま…」
恥ずかしがるなと言われても、口にしたことの無い言葉には抵抗がある。縁遠い言葉となれば余計に。しかし、暴走を制御できるなら…やるしかない。
「あ…愛が……ほ、欲しい……」
何とか言葉に出来たが、恥ずかしさから小さな声になってしまう。そのせいか、主導権は相変わらず返ってこない。恥ずかしいと思ってしまうのは、フェニックスが居るから。フェニックスをただの恐獣を割り切って、もう一度想いを吐き出す。
「……愛が欲しい!!」
ずっと羨ましかった。何処の家に行っても、当たり前のように幸せで平穏な日々があった。そりゃ、喧嘩する事も、怒られる事もある。でも、そこには愛情が沢山含まれている。愛の無い家庭で育った俺にはよく分かる。如何に愛されているか、如何に必要とされているか…。欲しかった…俺にも、同じ家庭が。でも、手に入らなかった…。
強く認識した事で、主導権が帰って来た。大量に涙と共に…。
「その言葉を認識すれば、暴走は止められます。ただし、怒りも進化します。いつまでも抑制できる訳ではありません…」
「…そうか。やっぱり、人間の世界で暮らすのは無理そうだな…」
さっきまで忘れかけていた未練が再燃。この世界には俺が求めていた「ありふれた愛」が存在している。家に帰れば、母の優しい笑顔が待っている。群馬エリアには、得られなかった父の愛がある。満たされなかった想いは、この世界では叶っていた。だが、獅子面を思い出すと満たされた感情に影が…。もしかしたら、真に満たされる為には向こうの世界での愛も必要なのかもしれない。だとしたら、尋常じゃなくハードルが高い。不可能と言っても過言ではない…。
「そんなに人間の世界が良いのですか? 欲望満ちた偏見の世界より、我々の世界の方があなたには合っていると思うのですが…?」
「…恐獣の世界には『欲』は無いのか?」
「無いとは言えませんが、人間ほど欲を追う必要はありません。金も権力もありませんからね」
凄く魅力的に感じる。金と権力が無ければ、今の人間のように欲望に歪みはしない。ただその分、狩り主体の野性的で不便な生活になるかもしれない。だけど、この世界に順応した俺には大した問題ではない。向こうの世界の記憶が無かったら、完全に恐獣の世界を選んでいた。
「気持ちはありがたいけど…まだ、人間に未練があるんだ。体が恐獣になっても、拠り所だけは譲る気は無い……」
「……そうですか」
溜息を吐いたような気がした。実際に溜息を吐いた訳ではないが、仕草からそんな風に感じる。物凄く気になる。人間相手でもこんなに気になった事は無いのだが…。
「どうしたんだ?」
「いえ、解決できない問題があって…」
「金や権力は無くても、悩みはあるのか?」
「……あなたのせいですよ」
身の覚えが全くない…と言いたいけど、ミネの変化が悩みの根源なら俺が原因の可能性は高い。雛の姿から人間の姿になり、巣に人間の住居を再現。何処からどう見ても、俺が影響しているとしか思えない。フェニックスの悩み方と言い、夕食の時間が急に怖くなる。
夕食時。
洞穴に戻ると、フカフカな巣の横にちゃぶ台が用意されている。何処から持ってきたのか気になるが、それよりも並んでいる料理に驚愕。ポテトサラダ、唐揚げ、ハンバーグ、どれもこれも俺の好きな料理。この世界に来て一度もお目にかかった事が無く、てっきり存在していないと思っていた。あまりの感動で、料理をしたミネに後光が差しているように見える。
「本当に…ミネが作ったのか?」
「うん、勿論♪ 美味しそうでしょ?」
汚れたエプロンを見せ、自慢げにアピール。だが、正直に言えば料理しか見えていない。早く食べたくて堪らず、ユダレが口元から垂れ始める。
様子を察したミネは、「どうぞ」と席を指差す。
「召し上がれ」
「いっただっきま~~~す」
先ずはポテトサラダ。ジャガイモがしっかり潰されているスタイルで、マヨネーズの味はやや控えめ。それでも隠し味が施されているお陰か、薄味と言う訳ではない。次に唐揚げ。外カリカリ中ジューシーの絶妙な揚げ具合が最高で、下味のニンニクが程良く幾らでも食える。最後にハンバーグ。一流レストランと勘違いしそうな絶品ソースが食欲増進、もしご飯があったら勢いだけで5杯は食えそう。
気が付いた時には、ほとんど食い尽くしていた。
「ごめん…あまりにも美味しくて……」
「大丈夫。この料理はシンの為に用意したものだから」
気になってフェニックスと他の子ども達を見る。すると、美味しそうに野生丸出しの生肉を啄んでいる。勝手な思い込みだが、この味は恐獣には合わないのかもしれない…。だとしても、あんまりいい気分ではない。俺が居なかったら、食卓が分断される事は無かった…。
それにしても、よく「胃袋を掴まれる」とか言けど、まさか思い知る事になるとは想像だにできなかった。何とか踏み止まっているが、気を抜くと何でも受け入れてしまいそうになる。
「ところで、どうやって作ったんだ? 料理の知識も、経験も、ここでは得られないだろ?」
「実は…ごめんね、シンの記憶を覗いちゃった…」
フェニックスが「金と権力」と言った時点で、何となく記憶を覗かれている可能性は感じていた。だって、この世界に金の概念は無し、権力はあっても欲望の種にならないレベル。この世界だけの基準では、「欲望満ちた」と評する事は出来ない。
「気にしなくても良い。別に見られて困るものは無い…」
「良かった、気にしてたんだ。それと…あのね……」
ミネは、泣きそうな顔で俺の手を握る。悲惨な過去も見てしまった影響だろうが、同情したって訳では無さそう。泣きそうな顔は直ぐに決意を帯びた表情に変化。嫌な予感がする…。
「ずっとここに居て! 美味しい料理毎日作るから…お願い」
フェニックスの悩みの種はこれだった。人間の姿に変化していたから「もしかして」程度には予想していたけど、いざ想いの眼差しに見つめられると胸が高鳴る。誰かに好かれたのは、二人目。家族の愛が無かっただけに、好意的な言葉を聞くだけで愛を強く実感する。でも、この愛だけは拒まないといけない…。
「悪いけど…一緒には暮らせない」
「どうして? 私、シンの為なら…」
「俺は……人間を捨てられない……ここに居たら、迷惑を掛けてしまう」
この程度では諦めてくれない。分かっている、分かっているけど…嘘が吐けない。嘘が吐ければ、「お前が嫌い」とか、「こんな場所で暮らせるか」とか、もっと嫌われる言葉が使えた。富士山に登ると何故か嘘が吐けなくなる。
「私もシンの意見に賛成です。いい加減諦めなさい。彼の生き方はあなたには合わない…」
フェニックスが助け船を出してくれた。母親の言葉なら、ミネも納得してくれる……と言うのは、甘かったらしい。ミネは余計に決意を強めている。
「諦めないよ。絶対に…」
ミネは部屋に戻って大きなバッグを持ってくる。
「私、シンについていく」
フェニックスは、慌てた様子で翼を広げ道を塞ぐ。
「あなたが選んだ道を尊重したい。ですが…その道は入り口で塞がれている。私は、あなたの為を想って相応しい種を探していました。繁栄が約束され、我々の掟を理解出来る種を。しかし、候補は見つかっても、受け入れてくれる種は見つからなかった。ところが…突然、ミネを受け入れたいと申し出がありました」
あの時、フェニックスは純粋に助けに来た訳ではなく、俺を利用する為に助けた。心を読めるフェニックスは、俺がどんな精神行動を取るのか理解した上で家に招き、困っている様子や、異質な食卓を見せる事でミネを拒むように操作した。親の気持ちを考えれば仕方ないかもしれないが、ミネの気持ちを考えると良い手段だったとは思えない。
「私を受け入れたいって言ったのは…?」
「天の種です…」
天の種と聞いたミネは、バックを落として項垂れる。
「そんな……どうしよう、勝てるかな?」
項垂れてはいるものの、諦めた訳ではない。天の種とやらに挑む気満々。だが、フェニックスの慌てっぷりからして相当な強敵。多分、ミネには勝てない。だからと言って、このまま望まぬ結婚をさせるのは胸糞悪い。
「お母さん、力を貸して? 二人で戦えば撃退できる!」
「天の種と戦争になってしまいます。あなたは、兄弟を不幸にしても良いのですか?」
「………嫌」
このままミネが絶望に苦しんでいても無視して去れるだろうか? 俺には出来ない。例え無責任だと言われても、天の種を退けてミネを助けたい。
「俺が戦う!」
「本当?」
「その代わり、ミネは手を出すな。ミネが関われば戦争になるかもしれないだろ?」
その時、爆音が轟き洞穴が激しく振動する。
「予定より早い…天の種に限って、どうして?」
フェニックスの疑問は気になるが、今は決意が揺らぐ前に戦いを始めたい。
「フェニックス、何か言い訳考えておいてくれ。ミネが結婚しないで良いように…」
「戦えば死にますよ…」
「だったら、それを言い訳に使えないか?」
フェニックスは、躊躇いながら頷く。自信が無いのか、天の種と結婚する事の方が良いと思っているのか、どっちにしても言い訳に期待するのは止めた方が良さそう。
意を決して、洞穴の外へ。待っていたのは、夕日に照らせれる天の種と思われる存在。角と翼が生えた真っ白な馬のような恐獣。体高は5m以上あり、本人にその気は無くても見下ろされているような気分。気になるのは、人工物のような角。フェニックスと似た紋様が刻まれ、その所々が文字のようになっている。
「貴様は、何者だ? 何故、フェニックスの巣に居る?」
「ミネが選んだ男だ。と、言う事で、邪魔者は退散してくれないか?」
「…お前が? ハ、ハハ、ハハハ…こんな貧弱な種を選んだと? しかも、フェニックスが認めたと? 馬鹿にするにも程がある! 妄言なら余所で吐くんだな」
「そう思うのは自由だ。でも、俺はお前を認めない!」
拳を固めて渾身の一撃を脛にぶつける。だが、痛いのは俺だけ。天の種は全く動じていない。
「高貴な体に触れた…だと」
角の紋様が白い輝きを放つ。そして、『天』と『降』っぽい文字が浮かび上がる。
「天の白杖、愚か者を焼き尽くせ!」
突如雲が現れ、閃光と共に落雷が直撃。辛うじて生きているが、指一本真面に動かせない。多分時間を掛ければ回復できる。だけど今は、悠長に待っている場合ではない。一か八かの賭けだが、殺戮衝動を利用して回復するしかない。怒りを強くすると、回復速度の代わりに肉体の主導権が離れて行く。完全に主導権が離れる前に、今度は愛を強く意識。回復速度が落ちる代わりに肉体の主導権が帰って来る。それを何度も繰り返す内に、丁度のラインを発見。ダメージを自動回復しつつ、肉体の主導権を維持する事に成功。ただし、ちょっと油断すると暴走してしまう危うい状態。
「そ、その程度か? 天の種も貧弱なのか?」
天の種は素直に驚いてくれた。もし嘘が吐ければ、上手く騙して退散に追い込めたかもしれない。でも、富士山では不可。今使える手段は、天の白杖に関係すると思われる深紅の夢。
「お前が天の白杖を持っているように、俺も深紅の夢を…持って……」
「深紅の夢! まさか…貴様が!」
肝心のセリフ「持っていた」を言う前に驚いてくれた。もし最後まで聞かれていたら、今は持っていない事を悟られてしまうところだった。
「どうする? 真面に戦えばただでは済まないぞ」
「……確かに、貴様から深紅の夢の臭いがする。仕方あるまい、混沌の顕現だけは避けねば……」
天の白杖と深紅の夢が何なのか全く分からないが、どうやら交渉材料としては最高だったらしい。天の種は戦士喪失し、背中を向け羽ばたく。
「貴様…名は?」
「シンだ」
「初めて聞く名、新しい宿主だったか。シンよ、種の存続の為にこれ以上の邂逅は止そう」
飛び上がる天の種を見て、ようやく安心できた。最初の一撃は、俺を貧弱だと評価していたお陰で手を抜いてくれた。だけど、次の一撃は雷撃を耐えた強者として攻撃していた筈。手を抜いた一撃であのダメージなら、強者相手の一撃だったら多分死んでいた。つくづく素直な性格で良かった。それにしても、天の白杖と深紅の夢って一体何なんだ? 「混沌の顕現」とか、「種の存続」とか、随分物騒な言葉が使われていた。もしかしたら、ツアー客や攻略班よりも気を付けないといけないモノなのかもしれない。そして、そんなモノがどうして俺の体内に在ったのか? 何故攻略班が知っていたのか? 俺の頭は疑問符で埋め尽くされそう…。




