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進化の代償

 同僚を置いて一人猛ダッシュで東京に到着。走れば走るほど疲れが無くなり速度が増していく、と、なんとも変な状態に陥り、予定よりかなり早い夜明け前に辿り着いた。東京の町は大量のツアー客に占拠され、侵入できるルートにはしっかり見張りが設置されている。発見されないように町の周りをグルグル回り、見張りの隙を窺う。だが、統率の取れた軍隊のように一部の隙も無い。窓から家の中を覗いてみる。ロープで縛られた住人が、ツアー客から拷問を受けている。「レアボスは何処だ」と母親の顔に焼きごてを押し当てている。ニヤニヤ笑いながら、弄ぶように…。怒りで突入しそうになるが、迂闊に行動するのは危険すぎる。今は、今だけは我慢する…。

 拷問の声に我慢しながら一時間。ようやく朝日が昇って来る。ツアー客の半数が慌ただしく去って行く。聞こえてくるのは「仕事がある」とか、「ゲームの発売日」とか、向こうの事情が要因のようだ。俺にとっては好都合。見張りに穴が出来て、行動がしやすくなった。

 見張りを掻い潜り、実家に到着。周囲をしっかり確認して、音を立てないように中に入る。見るも無残に荒らされ、床に点々と血痕が残っている。母のものではない事を祈りながら奥のキッチンへ。そこには、縛ら気絶している母の姿。


「母さん!」


 警戒心よりも心配が勝り、一心不乱に駆け寄る。軽く数回揺さぶるが、起きる気配がない。胸に耳を当てて心臓の鼓動は確認。だが、肺の動きが弱々しく今にも止まりそう。ロープを引き千切ると、腕には抵抗した際に出来た摩擦痕。痛々しくて悲しくなる。


「ごめん…俺が……居なかったら…」

「その通り! お前が居なかったら、こんな事にはならなかった!」


 振り返ると、獅子面…親父が立っていた。傍には、般若面を被った彩矢と、十人のツアー客。今更ながら、最初っから罠の可能性しかなかった。この警戒下で目を盗んで抜け出すのは不可能。同僚が現れた時点でもっと疑うべきだった。


「…親父がやったのか……?」

「不愉快な顔だったものでな」


 怒りが込み上げる。制御が効かないくらい激しく止めどない。あまりにも強烈過ぎて、抑制しないと自我までどっかに飛んでいってしまいそう。


「自分が選んだ人だろ? じゃなかったら、どうして強引に結婚したんだよ!」

「この世界に居るのは紛い物、本物は元の世界に居る。同じ土台で考えるのが間違っている。それにそもそも、俺が選んだのは権力。父親が国会議員じゃなかったら誰がこんな貧相な女を選ぶものか!」


 せめて妻への愛ぐらいは在って欲しかった。この世界の父のように…とは言わない。せめてその千分の一でもいいから、人への愛情を持っていて欲しかった。もはや、父とは思えない…思いたくない。そう思わないと抑制が効かない。


「獅子面! お前には絶対負けない!」


 躊躇いなく大剣で斬りかかる。獅子面は一切躱さず、渾身の斬撃を肩で受ける。仮の肉体とは言え、人間の体…の筈だが、大剣は皮膚に食い込む事無く止まっている。幾ら力を込めても、それ以上動かない。


「その程度か? やはり愚息、結果一つ出せない!」


 素手で大剣を掴み、指の力だけで圧し折る。とても人間業とは思えない。鈴森、多恵の恐獣化。ジョインの異常な体質変化。もしかしたら、仮の肉体が人間の体とは限らない…って事なのか? ただ、もしそうだとしても、どうやってそれを知ったのだろうか? 異世界に来る事が出来たからと言って、何もかもを理解できる訳じゃない。記憶の順応が行われたとしても、この世界における人間の知識程度ではどうにもならない。俺が知らないのがその根拠。それこそ、この世界の根幹を知る者なら別だが…。


「この世界で与えられる肉体は、精神力によって秘められた力を顕現する事が出来る」


 獅子面の全身が金色に輝き、周囲の重力が増していく。しかし、加重の影響を受け倒れたのは俺だけ。傍に居る彩矢やツアー客は全く動じていない。話の内容から察するに、精神によって顕現させた力で重力を退けている…って事なのか? それとも、加重の影響を俺だけに限定しているのか?


「誰もが選ばれる世界。誰もが可能性を与えられる世界。しかしお前は、選ばれも、与えられもしなかった。何故か分かるか?」

「…」

「拒絶されたんだよ! 世界から!」


 精神力によって力が得られるのは何となく分かった。で、何でそれがこの世界の住人には与えられないのだろうか? 普通に考えるなら、この世界の住人に与えられる方が腑に落ちる。まさか、この世界に居る人間全員が拒絶されているのか? 元から住んでいるのに拒絶って、かなり妙な印象…。


「…どうでもいい。世界に嫌われても痛くも痒くもない」


 折れた大剣を杖代わりに立ち上がり、根性で自力直立。何とか大剣を持ち上げて、倒れないように超ゆっくり斬りかかる。案の定、その程度の威力ではダメージ0。しかし、これが限界。

 金色の輝きが増し、超重力で微動だに出来ない。そんな最悪な状態で、彩矢が貫通迅の構えを取る。当然…逃げられる訳がない。


「殺せ!」


 無情にも槍が胸を貫通。辛うじて心臓を逸れたが、肺を破損。痛みと共に呼吸が苦しくなる。だが、苦しいのは数秒。直ぐに楽になる。

 即座に貫通嵐迅の構えを取る。予備動作が分かっても、早すぎて対処不能。せめて動けるなら、急所ぐらいは外せそうだが…。


「貫通嵐迅!」


 一突き目から早速心臓狙い。死を覚悟したが、槍が胸骨に当たり軌道が逸れる。もしかしたら、最初の貫通迅も同じ理由で逸れたのかもしれない。それにしても変だ。地殻獣の鎧を貫いた一撃が、俺の骨程度を貫けないのか? 

 続く二突き目も心臓狙い。超重力の中、何とか回避を試みる。すると、あれほど重かった体が少し軽くなる。お陰で、脇腹を翳める程度で済む。

 速度を上げる三突き目。更に体が軽くなり、槍に触れる事なく回避。確実に早くなっている筈なのに、余裕をもって回避行動が取れている。狙いは心臓だったのかもしれないが、俺の動きに合わせたせいで狙いが甘くなっている。

 焦り滲む四突き目。明らかに精彩を欠いている。余裕以って回避し、繰り出された槍を掴む。


「鬼道流が…止められた……」


 彩矢の驚きに構っている場合ではない。今は槍を圧し折る事に集中している。体は何度も復活できるが、槍は復活できない。折ってしまえば彩矢との戦闘は実質終了、敵は少ないに越したことは無い。だが、硬い。幾ら力を込めてもビクともしない。諦めずに、何度もチャレンジ。すると、不思議な事に槍がどんどん柔らかくなり、最終的にはバキッと軽快に折れる。槍の性質なのか…と思ったが、どうやら違う。俺の力が増大している。硬さに順応して、必要な領域にまで腕力の底上げがされている。単純な筋肉の増量ではなく、筋繊維自体が全く新しいものに変化している。そのお陰なのか、強くなっているというのに見た目は全く変わっていない。


「これが進化の力……」


 超重力下で動いてみる。巨大な岩に潰されそうな一歩目、登山リュックを背負った二歩目、ランドセル並みの三歩目、荷重を一切感じない四歩目、羽が生えた五歩目。超重力を感じなくなるどころか、普段よりも身軽になってしまった。

 獅子面に驚いている様子は無い。俺が近づいても後退りする事もなく仁王立ち。


「深紅の夢……何故、愚息なのだ…?」


 深紅の夢とは…と問いたいが、今はそれよりも断罪が優先。そうしないと…抑制している感情が爆発してしまう。爆発したら…間違いなく残酷に振舞ってしまう。確かに、俺も獅子面を殺してやりたいと思っている。だがそれは、本当に殺したい訳ではなく、「痛い思いをすればいい」程度。どんなに腹立たしくても、嫌な存在でも、一応父だったのは間違いない。心の片隅には許せる機会を欲している。仮の肉体とは言え、怒りの赴くまま行動しまったら…もう戻れない気がする。

 大剣での攻撃を止め、拳を強く握る。


「やはり、気に食わない。深紅の夢を回収する!」


 殴りかかった瞬間、激しい光に体を貫かれる。途端、全身から力が抜ける。まるで進化がリセットされたような感覚。

 獅子面の腕が胸をすり抜ける。心臓辺りを弄り、何かを探している。その間、幾ら動こうとしても動けない。封じられたと言うより、脳の信号が届いていない。光に貫かれてから自分の体とは思えない。

 引き抜かれた手には、血のように生々しい赤い宝石。なんで俺の体にあんな物が…。この世界に来る前から在ったのか? それとも、この世界に来てから? 自覚は全くない。ただ、奪われた瞬間から眠くなってくる。


「回収終了。これで放棄できる」


 獅子面の腕に、光が収束。指をパチンと鳴らした瞬間、心臓に細い糸のような物が絡みつく。


(おう)の権能!」


 絡みついた何かが締まり、心臓が…切断された。痛みに狂い、血を吐き、のた打ち回る。感情がどうのと言っている場合じゃない。思考が「死にたくない」で埋め尽くされる。意識が遠退き、体が冷たくなり…耳が聞こえなく…なる。そして、硬直が…始まる。

 その時、誰かが抱きしめてくれた。微かに残る感覚がそう教えてくれる…。


「生きて…」


 優しくて、温かい…母の声。

 貰った勇気を糧に、苦しみを超えて意識を引き出す。すると、進化の力で心臓が再生され、失われた力が戻って来る。

 だが、復活の先にあったのは…絶望だった。


「…母さん……」


 獅子面の腕が母の胸を貫いている。躊躇いの欠片もない行動…怒りしか感じない。もう限界だ。抑制の蓋が音を立てて砕け散る。


「グオオオォォォーーーーーーーーー!」


 自我が隔離され、殺戮衝動の塊が肉体の主導権を握る。母を腕から引き抜き、獅子面の顔面を殴打。最初は通じなかったが、5発目には仮面が砕け顔面が鮮血に染まる。獅子面もこれには驚いたのか、咄嗟に逃げようとする。だが、殺戮衝動は逃がさない。素早く腕を伸ばして引き寄せ、顔面を原型が無くなるまで殴り続ける。顔面が潰れ肉体が死んでも、止まらず殴り続ける。

 死を経て、獅子面は新しい肉体で復活。俺は気付いているが、殺戮衝動は死体相手で気付かない。冷静になった獅子面は、深紅の夢を回収するため邪魔な俺(殺戮衝動)に心臓攻撃。だが、絡みつく何かは直ぐに消えてなくなる。


「黄の権能が…効かない!」


 発した言葉に反応して、殺戮衝動は方向転換。新しい体に殴りかかる。しかし、同じ展開にはならない。光のバリアで殴打を防ぐと同時に、バリアの一部が弾けて礫となって反撃。小さな礫なのだが、威力は絶大。貫通せず体内に残り、一秒後ぐらいに爆発。バリア攻撃を止めれば反撃は防げるのだが、殺戮衝動がそんな判断をする筈もなく闇雲に攻撃し続ける。

 全身が血まみれになった頃、バリアに異変。小さな亀裂が刻まれ始める。直ぐに修復されるが、殴打を受ける度に亀裂は大きくなっていく。


「何だ…この力は? 深紅の夢は体内に無い…では、何がこれほどの…?」


 疑問を晴らす言葉を殺戮衝動は持たない。強烈な一撃で光のバリアを打ち破り、獅子面の胸に拳を叩き込む。見た目にも肋骨が砕けたと分かる有様で……何やら苦しそうに蹲る。感覚を共有していないアバター状態の筈なのに、今の一撃に対してはダメージらしきものを感じている。表情が曇り、呼吸が荒く、攻撃の意志は消え、愚息に対する悪態も失せる。


「て、撤退だ……」


 獅子面は、ツアー客を引き連れ脱出。怯えて逃げる様子は、見ていてスカッとする。欲を言えば、町の住人に酷い事をしたツアー客も蹂躙して欲しかったが、殺戮衝動は不思議と追撃をしない。ただ、だからと言って主導権は返ってこない。

 視線が動き、腰を抜かす彩矢を捕捉。攻撃の意図があるのか不明だが、じっと見つめたまま動かない。


「…ニ、ニンゲン…にく、た、食べ…たい」


 断じて俺はそんな事思っていない。勝手に殺戮衝動が発した言葉。しかし、彩矢は事情を知らない。俺の言葉と思って真に受けている。恐怖に顔を歪ませ、這いずるように逃げる。


「来ないで…お願い。もう悪い事しない…だから…ね」

「食わせろ…その肉」


 食人なんて絶対嫌だ。何が何でも止めないと、真の意味で恐獣になってしまう。俺はまだ人間で居たい、俺はまだ人として戦いたい。だが、思いとは裏腹に制御できない。フェニックスは俺次第だと言っていた。もしかしてこれが俺の意志なのか? いや、そんな筈は無い…無いと思いたい。


「止めなさい……食べたいなら、私を…食べなさい」


 こんな最悪の状態で、瀕死の母が彩矢を庇う。殺戮衝動にとってはどっちでも構わない。目の前に居る母を標的に選ぶ。絶対に、絶対に止める! 何をどうしたらいいか分からないが、必死に止めたい意志を強く持つ。しかし、感情は届かない。

 殺戮衝動は、乱雑に母を掴む。


「真士郎…私は、あなたを……」


 嫌だ、嫌だ、嫌だ! 誰か助けてくれ、誰か止めてくれ、俺を殺してもいい。だから、頼む…。祈る事しかできない自分が嫌になる。こんな愚かな俺なら死んだ方が良い! 

 渾身の祈りが通じたのか、天井を破壊しフェニックスが舞い降りる。

 嘴が首筋を強く押すと、殺戮衝動が跡形もなく消え主導権が戻る。それに伴い、痛みと共に強烈な脱力感に襲われる。


「ありがとう……」

「道を選ぶ事の難しさ、身に染みたようですね」


 ようやく戻った体で母を抱きしめる。溢れる血は、既に致死に等しい。薬でどうにかなるレベルを超えている。助かる可能性はフェニックスの血以外に無い。


「頼む…母さんを、救ってくれ」

「気持ちは分かりますが……それは出来ません。その代わり、深紅の夢を使っては如何ですか? 狙われるリスクはありますが、助かる筈です」


 俺と母で何が違う? 深紅の夢は俺の中に在った。にも拘らず、何故フェニックスの助けが必要だったのか? 異世界に迷い込んだ人間には効果が無いのか? それとも、別の理由があるのか? この世界に来てから?が尽きない。

 でも、今は迷っている場合じゃない。獅子面の残した肉体から深紅の夢を回収。フェニックスの指示に従い母の傷に埋める。すると、傷口から大量の血が溢れ出す。失敗かと思ったが、しばらくすると血が治まり傷口が綺麗に塞がる。

 回復した母は、素っ頓狂な顔でキョロキョロしている。死んだと思ったら完全復活していた、そりゃ驚くに決まっている。俺としては、殺戮衝動だった姿をどう思っているのか…怖い。


「母さん、俺…」

「よく頑張ったわね」

「…でも……」

「あなたのお陰で町は救われた。胸を張って良いのよ」


 彩矢を喰おうとした姿を見ても、母はいつもと変わらない。優しくて、温かい。でも、だからこそ…これ以上迷惑を掛けられない。


「……やっぱり母さんには敵わない、気が軽くなった。でも、助けてもらうのはこれが最後だ。さようなら、父さんと仲良く……」


 彩矢を睨み「喰われたくなかったら…」と、これ以上の嘘と裏切りを牽制する。彩矢さえ黙っていれば、母の中に深紅の夢がある事はバレない。少なくとも、直ぐには…。ただ、前例があって効果はあまり期待できない。でも、今は諦めるしかない。早くしないと、怯えた町の住人達がフェニックスが攻撃してしまう。効かないかもしれないが…俺自身が攻撃される姿を見たくない。


「フェニックス、居候させてもらえないか?」

「あなたが望むなら…」


 ゴワゴワしたフェニックスの背に乗り、翼の付け根にしっかり掴まる。


「真士郎…何処に行くつもり?」

「もう、真士郎は居ない。俺の名は、シン。恐獣の…シンだ」


 殺戮衝動が抑えられない以上、これまで通りの生活は送れない。人間として生きる事は諦めていない。でも、人間としての環境は諦めた。人間として、恐獣の世界で生きて行く。それが…今の俺が選べる唯一の道。

 母は、俺の名を何度も呼んだ。「真士郎、真士郎」と聞こえる度、胸が締め付けられる。こんな別れ方なんてしたくなかった。でも、仕方ない。

 これ以上声が聞こえないように耳を塞ぎ、フェニックスに急いで帰るように頼んだ…。

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