皇炎の翼
俺は今、富士山の山頂で恐獣相手に張り込みをしている。登って直ぐは息切れや眩暈に見舞われたが、一日もすれば順応して楽になった。登山経験が無いから、これが普通なのか異常なのか判断できない。で、何故張り込みをしているかと言うと、討伐予定の恐獣が異常に強く、倒す手段を探さないと絶対に殺されるから。とは言っても、近づく事は出来ず、洞穴を出入りする光景だけしかヒントが無い。持ってきた食料と情報操作は明日までしかもたず、出来る事なら今日中に何とか倒したい。
肌をヒリヒリ感が襲う。これこそ、問題の恐獣が現れた証拠。岩陰に身を隠し、舞い降りる姿に注目する。頭上を通過し、洞穴の前に降り立つ。炎の翼から放たれる熱波で、洞穴を覆う鉱石以外全てドロリと溶ける。勿論、近づけば即死。弓で攻撃しても、弓矢が命中する前に消滅。対抗できる余地があるとしたら、洞穴を覆っている鉱石の利用。だが、固すぎて持ってきた武器では細工できない。洞穴の中に消える前に、体の特徴を今一度確認。炎の翼を持つ鳥のような恐獣。太陽を思わせる極熱の翼には、複雑な紋様が刻まれ、その紋様が炎の発生源。嘴は先端が丸く、獲物を啄むようには出来ていない。鈎爪も同様に先端が丸い。これで分かるのは、獲物を狩る為に利用しているのは翼より発せられる炎のみ。炎さえ御する事が出来れば、勝つ事は然程難しくない。そのきっかけとなり得るのは、洞穴に入る時に炎を消す事。
思考を張り巡らせていると、一瞬、脳裏に『フェニックス』と言う名前が過る。多分、あの恐獣の名だろうが、教えてくれた存在の意図が分からず怖い。ここに来てしまったが、記憶の恐獣を完全に信じた訳ではない。他に術がないから頼っただけで、気を許してはならないと常に気を張っている。
一時間後、フェニックスは炎を纏い洞穴から飛び出して行った。
今こそ洞穴を調査するチャンス、意を決して内部に潜入。内部は外と違って岩石が溶けた様子は無い。手に取って見ても、特段外の岩石と変わりはない。完全に炎を使っていない証拠。奥へ奥へと進むと、洞穴の中とは思えない明るさに包まれる。更にやや地下に潜った場所に、羽毛で出来た大きな巣を発見。近づいて羽毛を触ってみると、とても炎に耐えられるようには見えない。触っただけだから、実際はどうだろうか分からない。
「ピィピィ」
ヒヨコに似た可愛らしい鳴き声が聞こえる。巣を覗き込むと、小さな小鳥が三羽居る。状況を考えると、多分フェニックスの子ども。翼に紋様は無く、柔らかい羽毛に全身覆われている。しかも、恐獣とは思えないヨチヨチ歩きを披露している。もはや何処からどう見ても、ヒヨコにしか見えない……可愛い。
恐る恐る手を伸ばしてみると、一羽の子どもが手に乗って来る。
「ピピ、ピィピィ」
「お前が恐獣になるのか? 想像できないな…」
人懐っこく、初めて見る人間にも拘らず肩に乗り頬を摺り寄せてくる。本当に可愛くて、見ているだけで癒される。しかし、フェニックスを狩る為には贄にしなければならない。子どもを盾に炎を阻止し……って、何だか嫌な感じだ。狩りの為、生きる為、それは分かっている。でも、向こうの世界の観点が、記憶が、子どもを盾にする事を拒んでいる。
悩みに悩んだ挙句、子どもを盾にするのは止めた。ピィピィ鳴くフェニックスの子どもを肩から降ろし、頭をツンと突っ突いて洞穴の外へ向かう。フェニックスの子ども達は、ついてくる事も無く大人しく巣に籠っている。
外に出た瞬間、全身から冷や汗が滲む。
「キュオオォォォォォーーーーーー!」
フェニックスと鉢合わせ。洞穴が背後にある今なら炎を使えない。地殻獣の鎧で防ぎながら、飛翔剣で戦えば、もしかしたら倒せるかもしれない。だが、倒してしまったら子ども達はどうなる? 親を失った子どもが過酷な自然界で生きて行けるだろうか? 柔らかい羽毛、人懐っこい気質…少なくとも今の段階では生きて行けない。まだ、あの子ども達には親が要る。
後悔は残るものの、必死に走って洞穴から逃げる。だが、フェニックスは見逃してくれない。あっという間に追いつき、丸まった爪で突き飛ばされる。運悪く急勾配を転げ落ち、大岩に全身を強打。最悪にも腰の骨が完全に折れ、足が動かなくなる。仮に生き延びても…半身不随確定。目の前に降り立つフェニックス。翼の紋様が赤く光り、周囲の大気が急激に熱くなる。
生存確率がゼロになった途端、視界がモコモコしたものに覆われる。
「ピィピィィーーーー!」
視界を遮っていたのは、フェニックスの子ども。この状況、タイミング、庇っているとしか思えない。でも、どうして人間の俺を庇っているのだろうか? 何故、大切な母と対峙しているのだろうか?
塞がった視界に困惑しつつ、何も出来ずに苦痛に一人耐え続ける。
「…ニンゲン、ヨ。ナゼ、ココニ?」
「……お前を殺す為だ」
喋った事には驚かない、記憶の先で同じように言葉を話す恐獣を見ている。驚いたのは、自分の言葉。本当は嘘で逃れるつもりだったのに、内心とは裏腹に真実を語っていた。
「ナゼ、コロサナイ。子ヲ、使エバ…殺せたカモしれない…」
「…可愛いままで居て欲しかった……」
フェニックスは足を曲げて横に座り、翼を広げて器用に子どもを顔から退ける。
そして、覗き込むように顔を近づける。
「子を褒められるのは、母として嬉しい。しかし、脅威を許すほど迂闊ではない」
嘴を眉間に近づける。
丸まっているとは言え、本気で突けば簡単に貫ける。半身不随の体で迷惑をかけるぐらいなら、いっそ殺してくれた方が気が楽。俺が死ねば、深紅の夢は手に入らないし、賞金も手に入らない。攻略班もツアー客も、必要以上に攻撃を仕掛ける事は無くなる。死ぬ事の方がメリットが多いかも…。
「ピピィーー! ピィ…ピ」
フェニックスの子どもが、再び俺の顔に乗って来る。直ぐにフェニックスが退かそうとするが、爪を立てて断固として離れようとしない。
「母の言う事を聞きなさい。その人間は危険です」
「ピィ!」
「…何を根拠に?」
「ピピピ、ピィピィ…」
必死に俺を助けようとしている。理解できない。嘘で騙しているならまだしも、母を殺そうとした真実を知っている状態。普通なら、母に賛同して当然。
「………分かりました。しかし、このままでは…」
「ピィピィ、ピッピピ」
持ち上げた嘴が微かに開く。
「選択せよ。人間として死ぬか、同胞として生きるか……」
嘴から真っ赤な血が滴る。多分、この血を飲めば恐獣になってしまう。恐獣になったらどうなるのだろうか? 自我は残るのか? 見た目も恐獣に変化するのか? 疑問は尽きないが、大切な存在を悲しませない為には死を選ぶわけにはいかない。例え拒絶が待っていても、例え孤独が待っていても…。
返事の代わりに、口をゆっくり開く。すると、口の中に嘴が入り喉奥に血が注ぎ込まれる。熱い感覚がゆっくり喉を下り、胃を通過した辺りから一気に全身に広がる。途端、激しい激痛と熱さが耐えがたいレベルに至る。その反面、動かなかった足が動くようになる。
「…な、なぁ……どうなって、いるんだ? お、俺……死ぬのか?」
「安心しなさい。皇炎が馴染むまでの我慢です」
安心しろと言われても、この苦痛は十分死に値する。我慢する為に岩に噛り付き、剥がれても構わず爪を立てて耐える。それでも、猛烈な苦痛は終わりが無い。我慢は限界を超えて、ついには意識が途絶える。
フカフカの巣の中で目を覚ます。全身の痛みは完全に治まり、槍の傷もすっかり消えて無くなっている。隣では、フェニックスと子ども達が穏やかな様子で眠っている。警戒心も、恐怖心も、疎外感も無い。気付かれないように起き上がると、右手に何か固いものが当たる。拾い上げると、それは右目に入っていた骨玉。触れて確かめると、ちゃんと眼球がある。
「これが恐獣になるって事か……」
「目覚めたのですか?」
何故かフェニックスに親近感を覚える。母親に感じる安心感に似ている。心も恐獣になってしまった証拠なのか? それとも、助けてもらったから? 俺としては、後者であって欲しいけど…。
フェニックスは、俺の背中を覗き見る。
「皇炎が馴染んだようですね」
「…その先って、どうなるんだ? お前達みたいに変わるのか?」
「道を選ぶのはあなた。あなたが求む姿に皇炎は導く」
自分では見えないが、肩甲骨辺りがちょっとムズムズする。手を伸ばして触れると、肩甲骨の一部が妙に柔らかい。押してみると、皮膚の奥に細い骨のような物が指先にあたる。これ以上強く押すと皮膚が破れそうで怖くなり止める。
さて、フェニックスの言葉を解釈すると恐獣の姿に変化する事は無さそうだ。俺は人間で居たい、人間として皆の傍に居たい。その欲求は絶対に失われない。
「そうか…良かった。ところで、どのくらい寝ていたんだ?」
「三日です」
頭が真っ白になった。俺が群馬エリアを抜け出し富士山に登る事が出来たのは、東京エリアで身を隠す事を条件として提示したから。そうじゃなかったら、心配性の父が群馬から出る事を許してくれなかった。で、俺がちゃんと東京に居る事を確認する為に、三日後に部下を派遣する事になっている。その時に居なかったら、事態収拾まで拘束されてしまう。因みに、現状二日過ぎている…。
「マズいな…今から戻っても拘束は待逃れない……」
「そんなに怖いなら、帰らなきゃいいのに」
初めて聞く可愛らしい声。辺りを見渡しても、フェニックスと子どもしかいない。
肩にフェニックスの子どもが乗って来る。何となく、俺を庇ってくれた子どもに見える。誇らしげに胸を張り、ピョンピョン飛び跳ねる。
「まさか、お前が喋っているのか?」
「ずっと喋っていたでしょ! お母さんに「助けてあげて」って何度も頼んでいたのよ」
「あ、ありがとう…」
同族になったから声が聞こえるようになったのか。可愛らしい見た目に、可愛らしい声。背負ってしまった業に目を瞑れば笑っていられるのだが…。
「じゃあ、残ってくれる?」
「そうは行かない。役目を放棄して逃げ出したくない…」
「別にいいでしょ? もう人間じゃないんだし」
ちょっとだけ「良いかも」と思ってしまった。目当てである俺がここに居れば、群馬エリアの危険性は薄れる。だが、今度はここが危険になる。俺を助けてくれたフェニックスと子どもが、死んでしまうかもしれない。まさに、恩を仇で返す。そんな事は出来ない。
「残念だが、人間じゃなくても役目は変わらない」
「まぁいっか。でも、絶対また戻って来てよ! 私、シンに決めたんだから!」
「決めた? 何を?」
「今は内緒」
嫌な予感がするが、今は悠長に構えている場合じゃない。俺が居ないと知ったら、父は無茶をしてでも探しに来る。そうなったら、群馬エリアの防御は滅茶苦茶、東京エリアの危険性も上がる。被害が広がる前に、拘束されに行かなければ…。
「分かった。また戻って来る」
「約束よ」
急いで洞穴を後にする。振り返ると、フェニックスと子ども達が見送りしていた。遠ざかっていく姿を見ていると、何だか寂しくなる。就職が決まって親元から離れるような気分。今の状態で父や母と会っても大丈夫だろうか? 心の底から家族と思えるか不安で堪らない。
下山する頃には辺りは真っ暗。大岩周辺に散らばっていた装備の回収に手間取ったせいなのだが、結果的にはこれで良かった。と言うのも、恐獣には何故か夜行性がおらず、昼間よりも安全に移動できる。来た時は怯えながらだったが、帰りは堂々と道の真ん中を歩ける。
と、言った矢先、遠くで茂みがガサガサ音を立てている。夜で視界が効かず、何処で音が鳴っているか分からない。特異体質の恐獣かもしれないと慎重に歩を進めるが、誤って木の枝を踏んでしまう。無情にもガサガサ音はこっちに近づいてくる。こうなったら、応戦するしかない。
「真士郎!」
飛び出してきたのは、口裏合わせを依頼した同僚。泣きそうな顔で想像するのは、俺が居ない事がバレて滅茶苦茶怒られた。だとすると、ゲームオーバー確定。以後拘束生活を送る事になりそう。
「はいはい、分かった。帰ったら俺が弁明する。だから安心しろって…」
「違う! そうじゃない! 東京が……侵略された!」
母の顔が浮かび、心配で心配で堪らない。もしもを想像する度、胸が苦しく吐きそうになる。だが、同時に、俺がまだ人間である証拠だと安心する。




