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暴走する金メダリスト

 一週間が過ぎ、現れない鈴森の事を今一度考えていた。鈴森が新人として会社に居た時、仮の肉体だったのか、それとも自分の肉体だったのか? 仮の肉体だったら、あそこまで恐獣に恐怖するだろうか? 俺が恐獣を恐れていたのは死の実感があったから。俺がもし仮の肉体だったら、もっと気楽に異世界を楽しめたような気がする。それこそ、鈴森と同じようにゲーム感覚で秩序を乱した可能性も否めない。仮に自分の肉体だったとするなら、どうやって元の世界に帰る事が出来たのか? 確定ではないが、肉体があった場合は地蔵を使った帰還が出来ない。多恵が帰った後、何度か試した事がある。だが、何かに阻まれて通れなかった。恐獣の体に入り込んだ精神が帰還したと考えると納得できる。地蔵は精神体の通用路。そう考えると、やっぱり仮の肉体だったのかもしれない。記憶の順応が行われなかったから恐怖した…で決着? なんだか腑に落ちない。その一番の理由は、失われた記憶。あの執拗で厄介な鈴森を簡単に忘れられる訳が無い。新人の時は肉体があって、不死のツアー客の時は仮の肉体。肉体が有るか無いかで、世界に存在が反映されるか決まる。そう考えた方が納得しやすい。

 

 何故、鈴森の事をここまで考えたのかというと…。



 群馬エリア、狩人連盟本部。

 その名の通り、狩人を扱う組織の大元。俺が所属している会社も加入していて、ここで決定した事が行動計画に反映される。何故ここに居るかというと、押し寄せる不死のツアー客対策を計画に組み込んでもらう為。鈴森の話は、説明の為に必要だった。


「…不死のツアー客? 仮の肉体? 恐獣化? 正気なのか…真士郎………」


 目の前で俺の話を聞いているのは、実の父親、小代大二郎(こしろだいじろう)。なんと、狩人連盟の総帥。簡単に言えば、向こうの世界でいう総理大臣みたいなもの。まさか異世界に来てまで父親の肩書に辟易するとは思わなかった。


「そもそも鈴森とかいう奴が連盟に所属した記録が無い。本当に居たのか?」

「だから言っただろ? 元の世界に戻ったせいで消えてしまったって!」

「消えてしまった………なんとも都合が良い話だ。で、その都合の良い話の為に人員を割けと?」

「座して待っている場合じゃない! アイツらを早く倒さないと恐獣の進化が止まらない!」


 俺が撃退したせいで現状は危機感を覚える状態にない。まさか説得の材料を自ら捨ててしまうとは思いもしなかった。とは言っても、放置する訳に行かなかった。


「残念だが、この話は無しだ。お前の話だけでは賛同を得られない」

「………分かった。じゃあ、代わりに未踏エリアの情報と行動許可をくれ。俺が一人で戦う」


 狩人連盟は常に未踏エリアの情報収集をしている。どんな恐獣が生息しているか、どのくらいの進化速度か、狩場に出来る要素はあるか。機密事項扱いなので普通なら絶対に聞いても教えてくれない。息子である事を利用して何とか聞き出せたら良いなぁ……程度の考え。


「死ぬかもしれないぞ。それでも良いのか?」

「覚悟はできている」

「…良いだろう」


 予想に反し親父は未踏エリアの情報を開示した。これは連盟始まって以来の大事件。誰よりも厳密な総帥が息子の為とは言え禁を犯した。歴史に残るかもしれない異常事態だが、喜んでいいのか分からない。信じてくれたのか、不出来な息子が死んでも良いと判断したのか、どっちだろうか? 聞く勇気は無いけど…。



 鈴森から奪った剣と、貰った資料にある恐獣の特徴を照合。どうやら長野エリアの山岳地帯にいる飛翼種が材料に使われている。飛行の為に進化した翼骨は軽くて丈夫で、飛行しながら獲物を狩る為に骨の側面に刃物のような鋭さがある。武器への加工は手間が掛かるのだが、飛翼種の翼骨は握れるように細工するだけで使用できる。慣れていない鈴森が直ぐに試すには持ってこい。そしてこれは、ツアー客全員が初期装備として採用しやすいとも言える。ツアー客が一週間現れなかったのは、長野を拠点として行動しているからに違いない。



 翌日の早朝、早速長野エリアへ向かう事にした。早朝を選んだのは誰にも悟らせない為。知られると色々面倒なのもあるが、なにより母に心配を掛けたくなかった。まだ暗い時間、予想通り母はぐっすり眠っている。気付かれないように外に出ると、何故か元彼女が待っていた。


「どうしてここに?」

「…私も連れて行って」


 鈴森の記憶は無い。だから、会いたいという理由で同行したい訳ではない。それにそもそも、長野エリアに行く事は伝えていない。何故ここに居るのか不明。勿論、連れて行く気は無い。連れて行ったところで、足手まといになるだけ。


「ダメだ」

「…まだ怒っている? 嘘のせいで別れた事……」


 嘘と認識しているという事は…鈴森の記憶が残っている。これまでたくさんの人に鈴森の事を聞いたが、元彼女だけが認識している。これはどう考えたらいいだろうか? たまたま記憶が残っていた、もしかして……俺と同じ境遇だから。


「鈴森の記憶、残っているのか?」

「うん、全部覚えている。本当にごめん、私…昔の事を思い出すと分別が付かなくて……」


 昔の事とは、ほぼ間違いなく元の世界の事。この世界において強さは美徳であり、力を揶揄われ怒りを感じる場面はまず無い。予想はしていたが、まさか自分と同じ異世界に迷い込んだ存在とは思わなかった。気になるのは、仮の肉体か、本物の肉体か…。


「それより、痛みは感じるか?」

「うん、この間恐獣から受けた傷が…って、どうして?」

「自分の肉体でここに……なぁ、どうやってこの世界に来た?」

「この世界? 何言っているの」


 自分の肉体があって、記憶も保持している。でも、世界の違いを認識していない。って事は、元からこの世界の住人…そんな筈は無い。鈴森を知っている時点で、ほぼ間違いなく元の世界から来た。じゃあ何故、異世界に来た実感が無いのか? 


「…昔の事を覚えているか?」

「昔…? 良いけど……あんまり思い出したくないな…」

「ちょっとだけでも良い」

「………中学生の時、運動神経が良かったから友達が出来なかった。特に男子は、「女に癖に!」っていつも私を虐めて……」


 この世界にも学校というものはある。だが、小、中、高、大、と分類されておらず、中学生という単語は存在しない。今の記憶は間違いなく向こうの世界の記憶。多分、記憶の順応が進み過ぎて区別がつかなくなっている。


「お姫様は意外とメンタルが弱いな。大きかろうが、強かろうが、気にしなければ良いだろ?」

「…何で知っているの? 私の思い出…もしかして……?」

「…櫛山真桜(くしやままお)、生徒の嫌われ者で、教師の人気者」


 元彼女の正体は、中学生時代の有名人、櫛山真桜。恵まれた体格と天性の運動神経の良さで、次代の金メダル候補と呼ばれる逸材。しかし、そのせいで生徒達からは嫉妬の嵐。常日頃から教師連中から持て囃される様子が気に入らなかったようだ。何故知っているかと言うと、俺も同じ学校に通っていた。直接話した事は一度しかないが、それが運命の邂逅。6人の男子生徒に絡まれ泣いていた所に居合わせ、「大きくても、強くても、お姫様はお姫様だろ?」って言ったものだから今度は俺が標的に。だが、俺の親父はテレビに出るような有名な弁護士。直接的な攻撃は出来ない。そこで、悪い噂を流して学校全体で完全無視。その影響は長々続いて、高校卒業まで一人ぼっちで過ごす事になった。


「ありがとう…私、ずっとお礼が言いたくて……」

「礼は要らない。そんなもの貰ったって、俺の青春は帰ってこない……まぁ、真桜が悪いって訳じゃないが…」


 俺にとっても負の思い出だが、この際仕方ない。真桜がこの世界に来た瞬間を思い出せれば、向こうの世界に戻る方法が分かるかもしれない。そうすれば、向こうに戻ってツアーが出来ないように細工が出来る。悪評でも、通路の遮断でも。いざとなれば…物理的な脅しも可能。


「ところで……いい加減、思い出したか?」

「…う、うん。まだ混乱しているけど、一応、私が別の世界から迷いこんだのは思い出した」

「何処から?」

「えっと………合宿の帰り、お母さんの迎えを待っていた時だったと思う。急に目の前が暗くなって…気が付いたら格好と持ち物が変化していた。海外合宿の帰りだったから……場所は、千葉の成田空港だよ」

「何か特徴的な物はあったか?」

「………よく分からない。でも、何かに躓いた…ような気が……」


 明らかに俺と違う場所から迷いこんでいる。しかも、暗転という視覚的な異変を感じている。俺の時とは違って、上手く記憶を辿れば帰れる道を見つける事が出来るかもしれない…と思ったのだが、当の本人の記憶が曖昧なまま。思い出せる気配がない。

 予定外の希望に惑ってしまったが、俺がすべきは「異世界なんて…」と思わせる事。近道に頼ってはいけないって事だろう…。


「……さぁて、出発するか」

「ねぇ、私は?」

「ダメだと言っただろ?」


 もともと連れて行く気は無かった。俺と違って真桜は家族に愛されている。優しくて心配してくれるお母さん、頼り甲斐があってどんな事でも相談に乗ってくれるお父さん。命を落とす役割は荷が重すぎる…。


「嫌! 絶対ついていく!」

「帰れって! お前に人間が殺せるのか? 殺せないだろ? だったら死ぬだけだ!」

「でも…嫌!」


 元々こんなに執拗な性格だったのか? それとも、この世界の影響なのか? どっちにしても困った。真桜は俺より強い。無理やりが通じない…。


「私が何で知っていたと思う? シンのお父さんに頼まれたんだよ…守ってやって欲しいって」

「親父が……」


 まさか親父が真桜を寄こしたとは思わなかった。いつも出来損ないと言われ、いつも愚息と説明され、いつも笑顔を見せない。そんな親父が俺の為に? 信じられないが、機密事項を教えた異常事態を考えると、あり得るような気がする。


「ねぇ、良いでしょ? 連れて行ってよ~…」

「…親父が頼んだとしても、連れていけない! お前を大切に想ってくれる両親の為にも…そして、「シン」って勝手に呼ぶな!」

「嫌ッ!」


 何度ダメだと言っても帰らないから、仕方なくそのまま長野に向かう事にした。ただし、一切言葉を交わさず無視したまま。



 長野の入って三日が過ぎた。だが、目的のツアー客は今のところ見つかっていない。鬱蒼と茂る森の中、恐獣の気配に怯えながらの探索は骨が折れる。相手は狩った事が無い強敵、出会ってしまったらツアー客と戦う前に死ぬ事だってあり得る。茂みのカサカサ音、小動物の動き、狩人としての直感。頼れるもの全部に頼って何とか今のところ生きている。

 だが、大事な直感を真桜が遮る。


「ねぇねぇ、もう一度私と付き合って?」

「断る」

「何で? 自慢じゃないけど、結構美人だと思うけど」

「美人でも感情的過ぎる。俺には無理だ」

「ごめん、もう裏切ったりしない! だから…ね?」


 こんな感じで度々訴えてくる。だが、俺の心は完全に冷めてしまっている。怒りとか、悲しみとか、失望とか、もうそんな次元ではない。単純に恋愛感情を抱けない存在になってしまっている。例え淡い経験をしたとしても、過激な行動に出たとしても、俺の心は絶対に動かない。もし鈴森と付き合わなかったら、可能性はあったかもしれないが…。


「ねぇ…」

「もういい加減に…」

「違う! あそこ、見て」


 真桜が指差した先には、岩場の陰に設置されたテントと男女のペア。雰囲気からカップルのようだが、険悪なムードが漂っている。女の方は「こんなつもりじゃなかった」と嫌悪感、男の方は「狩りゲーはこういうもんだ!」と熱弁。ツアーに対する認識の違いが今の状態に繋がっているようだ。不死相手は一人で十分。何とかこの状況を利用して二人を離れ離れに出来ないだろうか…。


「真桜、女の方を何とか誘い出せないか? 例えば……良い観光名所があるとか言って」

「観光名所? ここじゃ綺麗な景色ぐらいしかないよ…」

「好評を得る必要はない、別行動させるだけでいい」


 ツアー客は精神の投影のみで体との繋がりはない。例えるなら、コントローラーを握ってモニターを見ている状態。視覚に頼った観光は可能だが、味覚などの感覚に頼った観光は出来ない。二人を分断するのが目的だからこれで十分。


「でも、喜んでくれた方が良いかも。観光目的が強くなったら狩りはどうでもよくなるかも…?」


 考えもしなかったが、確かに観光目的が強くなればゲーム感覚の連中は減るかもしれない。口コミや宣伝が増えればマスコミも動く、そうなれば残虐な狩りは行い辛くなる…と、思う。だが、喜ぶような経験を提供できるとは思えない。


「喜ばせる事、出来るのか?」

「…やってみないと分からない」

「じゃあ、やってみろ。ダメでも気にする必要はない」


 モニター越しの観光が上手く行くか分からないが、やらないよりはマシ。俺は自分の役割に専念して、期待は真桜に委ねる。

 真桜は早速女に接近。巧みに会話に引き込み、女を連れだす事に成功。笑顔で去って行く二人を見ていると、これから彼氏をボコボコにする事が悪い事のように思えてしまう。

 真桜と女が十分の離れた事を確認して、ゆっくり男の背後に迫る。女が勝手に別行動をして事で怒りが余計に強くなり、俺が間近に迫ってもなかなか気づかない。気配を殺して剣を構え声を掛ける。


「やあ」

「…はっ! なんだ、観光客か…敵かと思ったぞ!」

「残念だったな」


 飛翔剣(ひしょうけん)(鈴森から奪った剣)で胸を貫く。相変わらず伝わってくる感覚には慣れない。仮の肉体だったとしても、何度でも蘇るとしても、人間を殺すのはやっぱり罪悪感が強い…。


「お、お前…例のプレイヤーキラーか?」

「やっぱりゲーム感覚か…まぁ、人の事は言えないか」


 男は死に、直ぐに次の体で現れる。だが、何故か恐獣形態ではない。恐獣だったら多少勝率が上がると思うのだが…。それとも、恐獣になるよりも人間の方が強いのか?


「お前知っているか? その命に賞金が掛かっている事」

「賞金?」

「1000万円の大金だぞ! あくまでゲーム目的だったけど、近くに現れたら欲しくなるのが心情だろ?」


 衝撃の金額、ゲームの厄介者排除に払う額じゃない。多恵は金持ちだったのか? 鈴森の話では旅館の看板娘。だとするなら、有名な老舗旅館だった? でも、有名だからと言ってゲームに1000万円も出すだろうか? そんな事をしたら、ツアーの為とは言え女将の怒りを買うような気がする…。


「そいじゃあ、狩らせてもらおうか!」


 疑問に頭を悩ませルのは後回し。今はこの男を排除するのみ。

 飛翔剣を構えて素早く背後に回る。その瞬間、自ら持っていた小刀で心臓を突いて死ぬ。訳も分からず動揺していると、三体目の体はテントの中から完全装備で現れる。大鎌、重鎧、重盾のセット、どれも初めて見る素材が使われている。どうやら装備を取る為の陽動に使った模様。行動の理由は分かったが、鈴森に比べて手際が良いのが何とも気持ち悪い…。男は、大鎌を構え襲い掛かって来る。素早い動きで翻弄するのは良いが、隙を作るような動きではない。ただ速く動いているだけで、いざ攻撃に転じても空振り。態勢を崩して踊った体に飛翔剣を刺すと、呆気なく三体目も死亡。


「あっれ~、おかしいな。ゲームだったらもっとうまく動けるのに……」


 精神のコントローラーはゲームのようにはいかない。指先で体現する動きは上手いかもしれないが、思考で体現する動きは苦手のようだ。

 三体目の死体から装備を剥ぎ取る四体目。


「部活は? ゲームばっかりだったんじゃないのか?」

「うるさい!」


 装備し終わると、同じように速いだけの動きが始まる。今のままなら余裕だが、油断していると慣れて強くなるかもしれない。なにより、まだ恐獣になる手段も残されている。鈴森の件もあるから脅威になるとは言い難いが…。


「…面白いと思っていたのに、全然動きが悪い! これじゃあ俺のテクニックが生かせない!」


 やり込み派では無さそう。一先ず安心。ただ、大金が絡んでいるから簡単には諦めないだろう。何とか諦める事を願って殺し続けるしかない。



 5時間経過。

 男は恐獣になる事なく戦い続けている。依然慣れる様子は無いが、5時間も戦えば疲れで俺が弱くなる。速度に反応出来なくなり、攻撃が翳めるようになった。苛々しているなら早く止めろよと思いながら、俺自身がやや消極的になっている。躱す事に専心しているようでは、いずれ負けてしまう…。


「クッソ! 1000万、1000万…1000万! 何が何でも殺して貰ってやる!」


 ヤケクソになっても人間のまま、もしかしたら恐獣になれないのかもしれない。それでも、不死であるだけで十分脅威。こうして疲弊すると余計にそう思う。腕が重くて致命傷を与えられない、足が痛くて回避が危うい、汗も流れなくなった体は異常な熱さと怠さを訴える。

 そして遂に…足が縺れて倒れる。


「へ、へへへ…やっと、やっとだぜ! 1000万、いっただっきま~~~~す!」


 振り翳した大鎌が夕日に照らされた瞬間、悔しさを噛みしめながら死を覚悟した。脳裏には未練の数々が過る。不思議なのは、意外にも真桜や多恵の顔がよく出てくる。どっちも嫌いなのに、親父や母よりも現れる。走馬灯ってのは初めてだが、もしかしたら好きや嫌いとかじゃないのかもしれない…。


「待ちなさい!」


 声の主は、男の彼女。

 予想外の展開に、呆気にとられる。


「何だよ! 邪魔すんな!」

「この世界にとって狩りはゲームじゃないってよ。もう止めて帰ろう」

「ゼノスが作った仮想現実なんだぞ! NPCに毒されんな!」


 ゼノスと言ったら、世界的に有名なゲーム会社。ゲーム以外の様々な業種でも成功している稀な企業で、企業規模は世界最大と一部では言われている程。ゼノスだったら1000万円の報酬ぐらい余裕、その気になれば上乗せも十分あり得る。

 そして、この情報によって俺の誤解が判明。多恵は元凶ではない。正確には、『今は』元凶ではない。鈴森の時は確かにツアーの運営だったが、何かがあって運営がゼノスに移管された。


「…そう、そんな事言っちゃうんだ……」


 女は、ニヤニヤ笑いながらテントから槍を持ってくる。これも初めて見る素材。


「…何する気だ?」

「決まっているでしょ? こうするのよッ!」


 いきなり心臓を貫く。

 あまりの事に呆然と様子を窺う事しかできない。


「ふ~、良い気持ち♪ やっぱりムカついたら怒りをぶつけないとね」


 反論を受け付けず、男の全身に槍を刺しまくる。日頃の鬱憤が溜まっていたのか、単に短気なのか、見ているこっちの方が恐ろしくなる。


「さてと…あんたとは別れるから」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! ただのゲームでそんなに怒るなよ…」

「だ、か、ら、ゲームじゃないって! 問答無用! 二度と顔を見せないで」


 男はもうゲームどころじゃない。別れたくない一心で説得を試みるが、女は一切応じない。縋っても、土下座しても、プレゼント攻撃しても、女の心を動かす事が出来ない。結局30分に渡る説得は成功せず、男は失意に蝕まれて向こうの世界に帰っていった。

 女に未練は微塵も無い。満面の笑みで俺に手を振って近づいてくる。


「ねぇ、真桜の何処が好きなの?」

「は? って事は、まさか……」


 いきなりの質問に驚いたが、それよりも大事なのは真桜を知っている事実。最低でも知り合い以上は確定、向こうの世界の情報を得る良い機会になるかもしれない。


「なぁ、色々聞きたい事が……」

「ねぇねぇ、何処が好きなの? 教えて教えて~」

「そんな事より…」

「顔? 体? 性格? ねぇねぇ~」


 ダメだ、全然聞けそうな気配がない。女って皆こうなのか? 付き合ったのも真桜が初めてだし、母は男勝りで参考にならない。情報を得るためには質問に答えて満足させるしかない…のか?


「…性格だった」

「だった? 今は違うの?」

「とっくに別れている。今となっては好きなところは無い」


 真桜の知り合い(?)は、怪訝な表情で睨みつけてくる。

 友好的な態度は成りを潜め、怒りに満ちた言動で一喝される。


「……真桜を弄んだわね!」


 槍を構えて襲い掛かって来る。

 疲れた体を気合で奮い立たせ、何とか第一撃は回避。だが、5時間も戦った代償のせいで逃げ切る余力が無い。執拗な刺突を繰り返し、覚束ない俺は一方的に追い詰められる。真面に戦っても勝ち目はない。


「別れを告げたのは真桜の方だ! 噂に惑わされて勝手に!」

「そんな子じゃない! あんたが捨てたんでしょ!」


 真桜を過大評価している。いや、やや妄信している。イメージが崩れる事を許さず、妄信した虚像だけが判断基準として居座っている。説得は不可能。こうなったら、真桜が帰ってくるまで持ち堪えるしかない。



 1時間経過。

 俺は限界を超え意識が朦朧としてくるが、相手は疲れることは無い。気の許すまま幾らでも戦う事が出来る。こんな筈じゃなかったが、またも死を覚悟するしかない。諦めるなと思うかもしれないが、現実は厳しい。


「もう好きにしろ!」


 飛翔剣を投げ捨て、大の字に倒れる。

 女は、躊躇いなく槍を心臓に向ける。


彩矢(あや)! 止めて!」


 猪を担いだ真桜が現れる。

 じっと女…もとい、彩矢を見つめ、猪を下ろし弓の弦を引く。


「今直ぐシンから離れないと………殺すわよ!」

「どうしてこの男を庇うの? 真桜を捨てた最悪の男よ!」

「違う…違うよ……私が全部悪いの、私が…信じてあげられなかったから……」


 流石の彩矢でも真桜本人から聞いた言葉なら納得する。これでようやく落ち着ける。


「……洗脳されているのね。だから、こんなクズを庇うのよ…」


 どうやら俺の考えが甘かった。彩矢は真桜を妄信している、それこそカルト宗教の信者のように。幾ら本人が真実を告げても、ありとあらゆる「もしかしたら」を総動員して真桜にとっての不都合を消そうとしている。

 彩矢は、人並外れた速度で俺を突き刺す。

 咄嗟の反応も実らず、脇腹を貫通。


「彩矢!」

「安心して、クズが居なくなったら洗脳を解いてあげるね」


 素人とは思えない槍捌きで、右太腿、左腕を貫く。獲物(おれ)が痛みに苦悶する様子をじっくり眺めながら、柄の方で顔面を殴打。あっという間に顔が腫れ上がる。敢えて殺さず甚振る方法はこの世界には存在しない。向こうの世界特有の楽しみ。


「…許さない」


 真桜は、弦を力一杯引き絞り弓を射る。

 山なりの軌道は、彩矢の肩、膝裏、腰を射貫く。そのせいで、構えた槍を存分に振るえなくなる。


「真桜が…私を? 全部…全部……このクズに洗脳されたせい!」


 自ら舌を噛み切り、新しい体で再登場。更に洗練された動きで弓矢すら躱しながら、前の体から槍を奪取。速攻俺に狙いを定める。だが、真桜も黙っていない。超人的な体幹で走りながら弓を正確に射て、彩矢の行動を制限。その隙に俺の傍まで走る。槍の正面に立ち、弓を引き絞り彩矢の眉間に合わせる。彩矢は真桜を大事に想っている為、構えた槍を振るえない。


「どうしてクズの為に…?」

「………後悔するよ」


 教祖の言葉でも狂信者は止まらない。真桜を躱し、俺の首に向かって槍を放つ。

 だが、真桜は尋常ならざる力で槍を掴み、握力だけで圧し折る。


「絶交ね」


 真桜は俺の手から剣を抜き取り、彩矢に向かって振り下ろす。単純でありながら、完璧で無駄のない太刀筋。空間や音まで一瞬途絶えたように思えた。しかし、彩矢は諦めない。直ぐに復活して俺を狙う。だが、それすらも真桜は許さない。神業の剣技で現れた途端に斬り捨て御免。ところが、現れた彩矢はフェイク。さっき別れたばかりの男が盾代わりに登場。どうやって見た目を変えたのか分からないが、真桜はすっかり騙される。その隙に彩矢は男の大鎌を俺の首に…。


 グサッ!!!


 何が起きたのか分からない。ハッキリしているのは、動きを止めた大鎌に大量の血が滴っている事ぐらい。血を辿っていくと、真桜の腕が血の染まっているのが窺える。ただ、血の元は真桜ではない。腕のその先、彩矢の胸。


「真桜……どうして?」


 胸を貫いているが、致命傷ではない。辛うじて急所を外し、死なないように剣を刺したまま角度を調節している。彩矢が幾ら死のうと動いても、それを予期して死を回避する位置へ剣を移動させる。死ななければ新しい体で戻れず、結果的に束縛された状態になっている。その状態で足を引き上げると、仕掛けていた罠が起動。予め切っていた弓の弦が彩矢の体に巻き付き真の意味で拘束。剣から手を離し、彩矢を睨みつける。


「シンは何も悪くない、私が悪いの。嘘を真に受けてシンの言葉を信じず、怒りに任せて別れを告げた。しかも、嘘を流した張本人を次の相手に選んでしまう裏切りまで犯した…」

「真桜は…そんな事しない……」

「いつまで幻想に縛られているの? 私だって普通の人間。間違いを犯すし、失敗もする。彩矢が想像する私は…何処にも居ない……」


 現実を直視するのは誰だって辛い。俺も異世界に逃げたいと思っていたから気持ちは分かる。でも、逃げたって現実は消えない。いつか必ず直視しなければならない瞬間がやって来る。彩矢にとってその瞬間が今日だった、それだけ。あとは、受け入れられるかどうか…。


「……ごめんなさい」


 ようやく教祖の言葉が届いた。これで今度こそ生存確定。

 気が抜けた瞬間、意識が無くなる…。



 激痛に目を覚ますと、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。頬を照らす炎の灯りを頼りに、見える範囲で置かれた状況を調べる。焚火の周辺に人影は無い、真桜も、彩矢も、不死のツアー客も…。棒に刺さった猪肉が良い感じで焚火の炎で焼かれ、何とも言えない香ばしい匂いが漂っている。猪は恐獣にとっての餌、近寄って来ないか些か心配。だが、一流の狩人である真桜がその程度のミスを犯すとは思えない。何らかの手段で恐獣が寄らないように施している。体を起こし、受けた傷の状態を調べる。弓の弦を使って縫合し、化膿止めの臭い薬と包帯が巻かれている。立ち上がりたいが、太腿の傷が裂ける可能性があり不可能。今は安静にしているしかない。


「起きた?」


 茂みから現れた真桜は、沢山の草を握っている。薬草だと思うが、俺は見た事が無い。だが、そんな事はどうでもいい。


「…彩矢は何故あそこまで強い? どう考えても普通じゃない」

鬼道流(きどうりゅう)槍術(そうじゅつ)の継承者、鬼道彩矢(きどうあや)。一子相伝の武術だから知らないよね…」


 強敵相手に一時間も耐える事が出来た自分を褒める一方、真桜との圧倒的な実力差に落胆。だが、それでも真桜に任せようとは思わない。虚しくても、悔しくても、絶対に俺が不死のツアー客と戦う。「何故?」と問われても答えられないが…。


「ねぇ…まだ怒っている?」

「許してやってもいいぞ。ただし、条件がある」


 茂みに視線を移すと、彩矢がこっちを窺っている。戦っている時とは裏腹に、申し訳なさそうにお辞儀をしている。

 流れは予想外だが、必要なモノは手に入りそうだ…。

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