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深紅の種子

 リーゼルスに誘われ、森の種が居ると言う東京エリアの森へ移動。巨大な樹木を右へ左へ避け、奥へ進んで行く。しばらくすると、記憶と符合する風景が広がっていく。子どもの頃、父と一緒に狩りの練習をした思い出の場所。

 正面にある巨木には、槍の練習でつけた傷跡がくっきり残っている。傷跡に触れると、継承した記憶が蘇る。父が手取り足取り、心配そうに槍を扱いを教えている。握りが甘く、木を突いた瞬間ケガをした。父は殊更に心配を口にし、丁寧過ぎる手当をする。


「リーゼルス、ここなのか?」

「はい。もうしばらくお待ちください」


 リーゼルスは、木の皮を剥ぎ、指先で文字らしきものを刻む。

 俺は、その行動を何処かで見た気がする。あくまで気がするだけで、記憶も、経験も残っていない。


「なぁ、昔からここに住んでいたのか?」

「ええ。森の種は、人間が好きなので…」


 文字を刻んだ木の幹が、大きく膨らみ、人の形を成していく。木より生じた存在とは思えない黒色の鎧、表情が窺えない仮面、鉄鎖のような長髪。風体だけで判断するのは失礼だが、森の種と言うより機械の種。リーゼルスの雰囲気と比べると、その異質さが際立つ。


「お待たせしました」

「……森の種…なのか?」

「はい」


 畏怖の感覚が強く、母を想起する事は無い。


「…ごめんなさい」

「どうしたんだよ、急に?」

「実は、襲撃計画は存在しないのです…」

「嘘だった…のか?」

「はい。どうしても伝えたい事があったので、仕方なく」


 森の種は、深呼吸を繰り返し、仮面をゆっくり外す。露になったのは、母の顔ではなく、見知らぬ若い女性の顔。イメージしていたよりかなり若く、20代前半ぐらいにしか見えない。


「この顔に見覚えはありますか?」

「…いや」


 森の種がアイコンタクトを送ると、リーゼルスは巨木の奥に消える。


「記憶を辿って下さい。子どもの頃、特訓に励んでいた記憶を見つけて…」


 言われた通り記憶を久しぶりに辿る。過去へ過去へ潜っていくと、父と特訓に励む光景が脳裏に蘇る。しかし、何かがおかしい。父と俺以外に、誰かが居る。でも、見えない。


「お父さん以外に、誰か居ませんか?」

「…居たかもしれない。だけど……分からない」

「やっぱり、そうでしたか」


 森の種は、俺の眉間に手の平を押し当てる。


「あなたの記憶には、精神を保つ為にプロテクトが掛かっています。記憶の奥へ向かい、プロテクトを解除してください」



 気が付くと、記憶の奥、燃え盛る世界へ辿り着いていた。

 目の前に、もう一人俺が居る。多分、記憶の奥に居た恐獣。しかし、どうして俺の姿になったんだ? これでは恐怖を感じる事は無い。そもそも……どうして恐怖が必要だと感じた? 恐怖は何を齎す? 警戒、忌避、忘却……。


「俺は…何をそんなに()()()()()()んだ?」

「悪い事は言わない。さっさと引き返して、今日の事は忘れな。世の中には、知らない方が幸せって事もあるだろ?」

「……幸せが崩れる記憶なのか?」

「お前がそう思ったから、俺が創られたんだろ?」


 確かにこいつの言う通りだ。思い出したくない、もしくは、思い出してはいけないから、俺自身で記憶を封じた。しかし、それは以前の話。禍々しい恐獣の姿に見えていた時と、今では、過去を受け止める精神的土台が違う。


「恐れる必要が無くなった。だから、恐怖を感じなくなった……違うか?」

「……小さい時から守てやったのに、薄情な奴だ。だが、まぁ、役割を終えられるなら別に気にならないが」


 炎が消えて行く。


「さぁ、良く見ろ。これが忘れたかった記憶だ」


 もう一人の自分が消えると、風景が一変。木に囲まれた森の広場に、幼い俺が一人佇んでいる。近くに父の姿は見えない。代わりに、白いローブを纏った若い女性が巨木の後ろに隠れている。若い女性は、幼い俺に向かって「きっと大丈夫」と励まし、濡れたタオルをそっと差し出す。幼い俺は、警戒する事も無く差し出されたタオルを受け取り、「……さん、ありがとう」と笑顔を見せている。肝心の名前に当たる部分が聞こえない。記憶を操り、時間を巻き戻して同じ場面を繰り返す。すると、聞こえなかった部分が…鮮明になる。


「お母さん、ありがとう」


 若い女性は、母ではない。背格好、雰囲気、声、どれをとっても別人。

 しばらくすると、若い父が現れる。父は、若い女性を見つめ怪訝な表情を浮かべ、「どちら様ですか?」と問うている。これはどういう事だろうか? 幼い俺は「お母さん」と呼んでいるが、父にとっては赤の他人。俺が顔を見間違えた? 幾ら幼くても、そんな事は無いと思う。



 記憶の中から現実に引き戻される。


「シン、大丈夫ですか?」


 心配そうに見つめる森の種の顔が、記憶の中にあった若い女性の顔に瓜二つ。雰囲気も、声も。まるで夢の延長戦のような錯覚に陥ってしまいそう…。


「どういう事なんだ? あの記憶は……?」


 森の種は、俺の頬を押さえ、瞳を見つめる。


「森の精霊である私に、他の生物のような生殖機能はありません。それ故か、子どもに対する憧れが強く、抱く日を夢にまで見てしまう程。そんなある日、目覚めると下腹部が大きく肥大化していた。急な異変に驚きつつ調べてみると、宿っていたのは人間の子ども。何故、人間の子どもが? 何故、宿る筈の無い体に? 疑問は幾つもあったけれど、私の心には育てる以外存在していなかった」


 突如、記憶が再生される。真っ暗な世界の中で、ドクンドクンと響く音に癒されている。これは…心音。母体の中に居る時の記憶がこんなに鮮明に残っているなんて思いもしなかった。心音と共に聞こえる「ありがとう」と泣く声、「楽しみにしている」と摩る音。


「10か月後、遂に待ちに待った日が来た。激しく長い陣痛に耐え、朦朧とする意識の中聞こえてきたのは、大地が割れるような大きな産声。全ての疲労を忘れ、産声がする方へ手を伸ばす。触れたのは、小さな小さな手。柔らかくて、温かくて……握っているだけで幸せを知れた」


 森の種は、生まれたばかりの俺を大事そうに抱えている。壊してしまわないように怯えながら、優しく、これ以上ない満面の笑みで見つめながら。


「私は、この子を永遠に守っていくことを誓った。どんな障害があっても、どんな敵を迎える事になっても、絶対に離さない」


 森を切り開き作られた広場で、幼い俺は、ふわふわ浮かぶ光と遊んでいる。愉快に笑う様子から察するに、こちらの世界では心豊かに過ごしているのが分かる。向こうの世界とは…大違い。


「しかし、思わぬ事態が決意を引き裂いた……」


 白いローブを着た森の種が、木の裏に隠れて俺を見守っている。「きっと大丈夫」とタオルを差し出し、俺はそれを「お母さん、ありがとう」と笑顔で受け取っている。これは、プロテクト解除後に見た記憶と同じ。しばらくして父が現れ、「どちら様ですか?」と問うた後、俺の表情が変化。母と慕っていた森の種を、首を傾げ他人を見るような目になっている。そして、「お父さん帰ろう」と自ら手を引いて森の種から遠ざかっている。一体、何が起きた? 二人三脚で生きて来た母を、何故……俺は捨てた?


「納得できなかった私は、去って行く姿を追った。そして、ようやく過ちに気付いた……」


 父の手を引く俺が向かったのは、小さな村。木の骨組みに藁を掛けただけの原始的な家屋と、細々とした畑しかない寂しい場所。ところが、俺が足を踏み入れた瞬間、現在の東京エリアの町に変貌。これ程の異変が起きたにも拘らず、俺は何事も無かったかのように自宅へ真っ直ぐ進んでいる。


「あの日、子どもを宿したのは奇跡ではなかった。深紅の夢によって齎された……必然だった」


 記憶の再生が終わり、封じていた理由が分かった。


「深紅の夢が、俺を創ったのか?」

「……はい。眠っている私を一時的に火の種にし、強い意志を伴う願望を具現の力を使って成立させた。新しい主を得る為に……」

「どうして、二つの世界に記憶が存在している?」

「生まれた瞬間、深紅の夢はあなたの体に入った。しかし、幼い精神は深紅の夢に耐えられず、拒絶反応を起こし二つに分離。一方は肉体に残り、一方は……別の世界に」

「………別の世界に飛ばされたのが、俺か」


 深紅の夢は、この世界の体に残された。しかし、深紅の夢が意思として反映させたのは、別の世界に飛ばされた俺。その所為で、体に残っていた心と記憶が塗り潰され、再現された俺の意志は理想の世界を創造した。まさか、誰かの未来を奪っているとは思わなかった。知らなかったとは言え、償う必要があるだろう…。


「森の種……いや、レイナ。最後に教えてくれ、俺はどうやってこの世界に来た?」


 実は、その答えは大体想像できている。だけど、自分一人の意志では確証出来る段階まで見れない。心の弱さ、未練、全てを断ち切る為には……残酷な力が必要。


「あなたは……車に轢かれた。通勤途中、予期せぬタイミングに……」

「前を向いていたから、誰だか分からない。教えてくれ」

「………あなたの、母です」


 記憶が鮮明に蘇る。この世界に迷い込んだ瞬間、俺は車に轢かれた。確かに予期せぬタイミングだったが、タイヤの擦れる音、電信柱を薙ぎ倒す轟音、振り向くきっかけは在った。振り返った俺の目には、真っ直ぐ俺を見つめハンドルを握る母の姿。戸惑いも、迷いも無く、ただただ俺を狙う意思が灯っている。今にして思えば、母も俺を嫌っていたのかもしれない。他人を見るような目、余所余所しい態度、「母さん」と呼ぶ事への嫌悪、思い出せば思い出すほど映像が出てくる。親父だけだと思いたかった、せめて母だけは味方のままで居て欲しかった。その願望が記憶を封じ、都合良く改変していた。


「…ありがとう。これで、覚悟を決められた。レイナ……母さん。今、大切な子どもを返すよ」


 心を肉体から切り離し、願望で塗り潰したもう一つの心『アノン』を掘り起こす。そして、記憶の全てを抱え込んで記憶の奥深くへ落ちて行く。

 俺は、必要のない存在。

 俺は、居てはならない存在。

 俺は……愛される事の無い存在。

 俺の全てを消し、未来をアノンに返そう……。


「……お母さん?」

「アノン? アノンなの?」


 無邪気な笑み、幼さの残る声色。そこには、もう、シンは居なかった。アノンに全てを譲って、一人記憶の闇に堕ちて行った。

 レイナは、蘇ったアノンの事しか頭にない。愛しい我が子を抱きしめ、その温もり、匂いを、心ゆくまで堪能する。消えてしまったもう一つの心など初めから無かったかのように……。




 翌日。

 帰って来なかったシンを心配し、ミネが森にやって来た。表情に焦りが溢れ、今にも泣きそうな状態。


「シン、何処に居るの? 返事をして」


 シンの声は帰って来ない。その代わりに、巨木の裏からリーゼルスが現れる。


「どうなさいましたか?」

「リーゼルス、シンは何処に居るの?」

「シン? はて、どなたの事でしょうか?」


 リーゼルスは、決して嘘を言っていない。シンにまつわる記憶が消えて、アノンの記憶に置き換わっている。シンが創ったモノ、シンが変えたモノ、シンが齎したモノ、全部この世界から消えてなくなった。ガーヴィスがミネを一人森に向かわせたのも、愛の灯が消えてしまったから…。


「何用ですか?」


 レイナが、アノンを引き連れて現れる。

 その瞬間、ミネの表情は晴れる。だが、強烈な違和感に苛まれ足は前に進まない。見た目はシンだが、中身は別の誰か。


「シン……じゃない?」


 レイナは、俯き加減でそっと真相を明かす。


「ごめんなさい。シンは、もう居ない……」

「…どういう事?」

「シンは、過ちを償う為に自身を犠牲にした」

「過ちって何? シンが何をしたの?」

「………」


 答えられないレイナの代わりに、ミネはその心に聞く。見えてきたのは、シンが居なくなるまでの全て。そして、その時にレイナが感じていた事。


「………どうして、シンを愛してくれなかったの? 自分の手で育てていないから? それとも、可愛くないから?」

「違う! どちらかしか選べなかった!」

「……身勝手な言い訳だよ。選べなかったんじゃなくて、()()()()()()…でしょ? アノンばかりしか頭になくて、シンは初めから犠牲にするつもりだった。森の種なら、その力を使って肉体を創れた筈。深紅の夢が起こした奇跡を既に知っているから、再現する事は簡単だったよね? それをしなかったのは、一人で立てない未熟な心を補強する為でしょ?」


 全てミネの言う通り、レイナには何も言い返せない。


「私は、諦めないよ。大好きなシンを取り戻す為なら……何でもする」


 母の直感が、ミネを危険視。

 即座に木々を操り、硬質な蔦で全身を縛り上げる。


「シンを奪った事、本当に申し訳ない。でも、アノンは渡せない!」


 強く締まる蔦だが、ミネから生じる炎が瞬く間に焼き払う。


「安心して、まだその段階じゃない。全て試して、それでもダメだったら……その時、覚悟を決めて」


 ミネは、シンと同じ炎の翼を広げ、森から飛び去る。

 レイナは、ミネの秘めたる力に怯える。しかし、後悔は無い。アノンを抱きしめ喜びを実感し、ミネとの対決に備える事にした。アノンを守る為に…。




 ミネは、富士山に里帰り。久しぶりの巣穴に懐かしさを感じつつも、その胸に詰め込んでいたのは不安と決意。フェニックスの答え如何によっては、レイナと戦う必要が生まれる。愛の灯を大事にしたいミネにとっては選びたくない選択。


「お母さん、居る?」


 巣穴の奥へ向かうと、獣状態のフェニックスが幼い子たちに餌を与えていた。


「お帰り」

「ねぇ、お母さん、話があるんだけど………」


 フェニックスは、大きな羽根でミネを抱き寄せる。


「残念だけど……アノンから引き離す事はできない」

「……やっぱり、そうなんだ。ありがとう、教えてくれて……」


 ミネは、一粒の涙を流し決意を固める。

 アノンを殺し、シンを取り戻す…。


「待ちなさい。方法が無いとは言っていないわよ」

「え? ほ、本当?」

「一か八か、あの方に頼んでみましょう。あなたの熱意があれば、或いは……」


 フェニックスにとって、この決断は大きな賭け。失敗すれば、全てが水泡と帰す……どころではなく、培ってきた一族の歴史が途絶える事になりかねない。本当は何があっても避けるべき選択。しかし、フェニックスも母。子が嘆く姿を見たくなかった…。

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