厄も積もれば
夢を見た。
またあのカラスの夢だ。
幾度となく皮膚を裂かれ、肉をついばまれ。現実感のない苦痛に襲われる。
「レン……」
「問題ねぇよ……」
「そうじゃなくて」
ふと我に返って周りを見る。
「死んじゃう」
「うわああぁぁぁぁ!? ミツル!? おまっ……大丈夫!? ではない!? ご、ごごごめん!?」
知らず知らずのうちに、俺はミツルに馬乗りになって、その手で首を思い切り絞めていたのだ。
「だいぶ……うなされ……えほん……だいじょ……?」
首にはくっきりと痕が残り、爪が食い込んだ痕跡すらある。おまけに意識も朦朧としている有様だった。
「あ、あああ……え、ええええっと……?!?!」
「レン……」
「な、なに!?」
「今までありがとう……」
「ぎゃぁぁぁぁッ!! やめろよぉッ!! こんな終わり方あるかよ!!」
お前勝手に死ぬんじゃねえよ! 原因俺だけど!!
慌てふためく俺に、ミツルは虚空を見詰めながら言葉を絞り出す。
「最後に……レン……オレはキミに隠してたことがあるんだ……」
「な、なんだよ……言って死ぬとか無しだからな!? なっ!?」
「実はオレ……レンのこと……」
「……、」
一瞬の静寂。
俺とミツル、二人の呼吸音と、窓の外から聞こえる鳥のさえずりのみがこの空間を満たす。
そして──
「レンのこと、いじめてみたかったんだ……」
「今それ言う!? 俺地味にずーーーーーっとお前にイジメられてた自覚あるからな!? 最近は特に!!」
何を言ってんだコイツ!! こんな時までふざけやがって!!
「……」
「……おい? ミツル?」
いつの間にか目を閉じていた。呼び掛けても返事がない。揺すっても、ビンタしても、鼻を摘んでも。呼吸さえ、していない。
「え……あ……あ……ぁ……!?」
触れた手が冷たい。
「うそだ……」
鼓動も聞こえない。
「ミツル……」
完全に、死んでしまったのか……?
「わかったよ……お前に、何されたっていいからさぁ……頼むよ……勝手に死んでんじゃねぇっ!! 何だってするから、目ぇ開けろよ!! おいぃ……。」
「うん、わかった。」
…………。
「ふぁ?」
「何でもするって言ったよね?」
「おばえばがぢゃねぇのぉぉッ!? うわはぁぁぁぁッ……!!」
「レ、レン……鼻水……いでっ……わかったよ、ごめん……いだっ!? ごめんなさい! ぐわはッ!? 申し訳ありません!! あいやそれはダメ!! それ投げちゃダメだよレンーーっ!?」
◇ ◇ ◇
夢の中で俺は、確かに苦痛を味わっている。
その夢が一体何を意味しているのか、それとも意味など何もないのか。いずれにしろ、眠る度にああなるのはゴメンだ。
そしてその事に関してミツルが何かに勘付いている気がしてならない。本人にそれとなく探りを入れても、ほんの少しもボロを出さないのはアレだが、しかし。そもそもの原因、元凶たるアイツを疑うなという方が無理な相談だ。
「というわけで直に聞きます。お前何か知ってるだろ」
「まぁ、心当たりがないわけではないけど」
「やっぱり。……それともう一つだけ聞きたい。」
「うん」
俺は、後ろから聞こえる声と、左肩にかかる重さに心底うんざりしながら、そして気恥しさを怒りで誤魔化しながら、ミツルに異議を唱える。
「も、もう満足しただろ……放せよ」
ベッドの上で、ミツルの胡座の上に俺は座っている。いや、座らせられている。
『何でもする』と言ってしまった自分を恨む他ないが、ただ座るだけならと侮っていたのも事実。無論コイツはその程度で終わらせるようなヤツではない。
悪戯好きという面ではめちゃくちゃ性格が悪いヤツなのだコイツは。
「うーん……あむん」
「あひっ!?」
ほらやっぱりやりやがった!! 首噛んだッ!!
首筋に当たる歯の感触に、ゾクゾクと肌が粟立つ。まるで、この前の仕返しとばかりに、強弱をつけて弾力を楽しむかのように噛んでくる。舌のヌルッとした感触がこそばゆい。
「あ……あや、や、あっ、あっ……」
「んぅー、いあいほはおひい。(意外と楽しい。)」
噛まれている箇所よりも僅かに下辺りがチリチリと音を立てる。ミツルが、メイリーンの施した首輪に干渉しているのだ。少しずつ、確実に、パチン、パチンと拘束が緩んでいく。
「ちょっ、ちょっとたんまっ……あっ……よしやがれって……うぅっ……」
ゾクゾクする感覚が徐々に、ジンジン、ズキズキと敏感になり、動悸が激しくなるのを感じ始めた。だが、それとは別に、何か得体の知れないものが湧き上がるのを感じ、妙な焦りが背中を寒くさせる。
「や……やっ…………やッ………」
そして──
「やめろつってんだろーーーーっ!!」
──その瞬間、ミツルが吹き飛んだ。
それだけではない。室内の物があちこちでめちゃくちゃに吹き飛ぶ。まるで竜巻が発生したかのように。
そしてその中心にいるのは、俺だった。
「……え」
後に残ったのは宙を漂う細やかなガラス片。埃のようにゆったりと降り注ぐ様は、いつかテレビで見たマリンスノーのようで。
「ミ、ミツル」
「ううう……」
壁に叩き付けられ、苦痛に表情を歪めるミツルを見付けると同時に、緩やかに降下していたガラス片が今度は雨のようにバラバラと地面に落下する。
「レン……どうやらキミに吹き飛ばされたみたいだ……」
「見りゃわかるよそんなもん! 今の何!?」
「さぁ……ん? レン、首輪が」
「あ? あれっ?」
喉元から違和感が消えている。触ってみても、そこにあったはずのものはない。
「何だ、どうしたってんだよ……色々ありすぎだろ今日! 厄日か!?」
「メイリーンなら何かわかるかも……」
「いやー、流石の私もお手上げよ。さっぱり分からん。」
「うわ、どっから湧いて出たんだよ」
いつの間にかミツルと背中合わせで腕を組み、眉間にシワを寄せているメイリーンに思わずギョッとする。
「首輪は消えた。跡形もなく。それはこの私も確認済み。もう首輪の反応も帰って来ない。つまり……」
「つまり?」
「首輪は解除された。じゃから、その……こう、な?」
メイリーンは自分の頭の上を両手でポンポンする。やってみろと言っているように。
「頭?」
恐る恐る……などとまどろっこしいことはせず、さっさと変なモノが付いたりしていないか確かめる。
「あ、あるわ。変なモン。思いっきりあるわ。変なヤツ。」
厄日確定演出など願い下げだ。払い除けてやる。そして寝る。
心底怠い身をベッドに投げ出して、無気力な目で天井を見上げた。はーっと息を吐こうとしたその瞬間、視線を遮ってオレンジ色の丸い手鏡が──
「現実なんて見たくない!! 見ない!! イヤァーーーーっ!!」
艶のある黒髪の中、二対にひょこっと跳ねるのは耳。
仰向けになった身体の腰あたりに感じる違和感は恐らく尻尾、というか何気なしに偶然手に触れてしまったフサフサ感は確実に尻尾。感覚もある。
異論は認めたい。
メイリーンが容赦なく向けた手鏡に映る姿は、そう、猫耳少年である。
何が『そう』だふざけるな俺。
属性過多である。
精神疲弊度MAXである。
希望は今のところありません。
俺、もうダメかもしれん……。
沈黙の中、ナチュラルに猫耳を触ってくるミツルの手を容赦なく叩きつつ、次の動きを考えるのだった。