第135話 お姫様の暮らしとお茶会
「ねえ? 今日の午後、お部屋に遊びに来ない?」
ブナが授業開始早々に騒動を起こしてから一週間ほどが経った。
どう収拾させたのか不思議なほど、学生たちは翌日にはもう何もなかったような顔で過ごしていた。
そんな中でのランドール家の双子からのお誘いだった。
「ラベンダもいらっしゃるって」
ブナは毎日、午後の授業が終われば当たり前のように図書館へ通っていた。図書館は楽しかったが、ランドール姉妹の部屋には別の興味が惹かれた。
「伺いたいです。ですが、私は貴族の礼儀に詳しくありません。大丈夫でしょうか?」
双子は目を見合わせる。
「大丈夫よ。気にしないわ」
「むしろ私達、市井のお話も聞きたいわ」
ブナは頷き、了承した。
午後の講義が終わり、寮の自室に戻る。
「相変わらず、いいお部屋ですね」
今日も部屋は、ブナのいない間に綺麗に掃除されていた。
洗面台には水飛沫一つなく、家具はどれも丁寧に磨かれている。真新しい清潔なタオルがかかり、カーペットが敷かれ、机や椅子などの調度品はシンプルながら小洒落ていた。ベッドはヨウム家のものより柔らかかった。
部屋は一階で、大きな窓からは手入れの行き届いた庭が望めた。
食堂へ行けば貴族の学生向けの食事が出てくる。風呂は時間で予約すれば使用でき、一人で使うには十分すぎるほど広く美しい。
洗濯は籠に入れておくだけで、洗われ、アイロンをかけられ、畳まれた状態で戻ってくる。
掃除、洗濯、料理という日課がなくなった時間を、ブナは全て読書と勉強に注ぎ込むことができた。
「至れり尽くせりですね。どこぞのお姫様になったかのようです」
これが寮生の貴族の紳士淑女にとっての普通なのだと、ブナは驚きを持って理解した。
ランドールの双子はさらに部屋も大きいという。しかも五階、最上階だ。
一階の一番狭い部屋でこれほど快適なのだ。世のお姫様がどのような部屋に住んでいるのか。
ブナは絵本の中を覗いてみたい衝動に駆られた。
双子の部屋をノックすると、二人が笑顔で迎え入れた。
既にラベンダは、優雅な仕草でお茶を楽しんでいる。
ブナはテーブルに並べられた茶菓子より、バルコニーの先の景色に目を奪われた。
「おおおー。何ですかこれは。これがお城ですかー」
学園の敷地は高い丘の上にある。
学生寮は岩山の切り立った側に位置しており、ランドールの双子の部屋からは、遮るものがなく遠くまでよく見渡せた。遠くに市街地が見え、雄大な高原と滔々《とうとう》と流れる川までもが一望できる。
ブナがいつも必死に登って辿り着いていた山の高台からの景色に近いものを、この部屋から毎日、一日中眺められるのだ。
ブナは感嘆の息を漏らす。
「お城じゃないわよ」
「寮の一部屋よ」
「お部屋の広さは、まあまあよね」
「そうね。二人で暮らすには」
「まあまあ?」
ブナは二人の言葉に耳を疑う。
「何をおっしゃるんですか。五十人で住めますよ」
双子はブナの本気を冗談だと捉え、顔を見合わせ、ころころと笑い出す。
「だって、部屋の中に階段があります!」
「寝室は上なの」
「花まで飾ってあります!」
「そうね」
「調度品だって、見て下さい。白で金で、ツルツルのふかふかですよ!」
「大理石ね」
「ビロードね」
「おおお、お風呂までついてるんですかー。部屋の中なのに?! 何ですか、このキラッキラはー」
「ステンドグラスね」
「普通よね?」
「普通じゃないですよっ。ぜんっぜん、普通じゃないですよっ」
部屋は豪奢な調度品で満たされていた。
中心には滑らかな大理石の天板を持つテーブルがあり、その脚は複雑な彫刻で飾られている。
テーブルを囲むソファは光沢のある天鵞絨張りで、柔らかなアイボリーが白と金を基調とした壁紙に調和していた。
壁際の飾り棚には鮮やかな生花が豊かに飾られている。
壁の本棚に並ぶ書籍は、錦の表紙のもの、金銀で箔押しされたもの、宝石の散りばめられた装丁のものまであった。
そのすべてが、ブナには絵本の中の城の情景と重なった。
壁紙の模様、絨毯の糸、引き出しの取っ手、花瓶の絵、机の木目。
ブナはありとあらゆる箇所を見ては、はー、とか、ほー、とか、へー、などという息を吐いた。
部屋は細部に至るまで美しく、どれもその存在自体が価値を示していた。
双子は、そんなブナに興味を示していた。
「市井とそんなに違うの?」
「違います」
「何がそんなに違うの?」
「全てが違います」
「どうしてそんなに違うの?」
「なぜ、でしょう? でも、必要ないものに、お金はかけられません。机も椅子も本も必要ですが……こんなにキラキラしている必要はないのです」
双子は顔を見合わせる。
「それじゃ、心がうきうきしないわ」
生活必需品にうきうきなど必要なのか。
文化の差とはこうも人の価値観に隔たりを生むものか。
ブナは静かに驚いた。
「二人はどうしてわざわざ同じ部屋を希望したの? この部屋、本来は一人用でしょ?」
ラベンダが耳を疑うようなことを言ってのけた。ブナは思わず聞き返す。
「一人用?」
「そうよ。寮の部屋はどれも一人用のはずよ」
「そうね。でも私達、昔から常に一緒だったし、何より、お恥ずかしい話、寮暮らしをきちんと出来るか不安だったの」
「だから、二人暮らしの方が心強くて」
「寮暮らしの何が不安なのです?」
ブナは素朴な疑問をぶつける。
「あら、だってメイドがいないのよ?」
「髪を梳くのも、着替えをするのも、お風呂に入るのも、勉強をするのも、全て自分達でやらなきゃいけないのよ?」
ブナにとっては至れり尽くせりの生活。その生活に令嬢は不安を覚えるなど考えもしなかった。
「ところで皆さんは選択授業はどうされるの?」
カレンの質問にラベンダが答える。
「私はどれも選択しないわ。義務じゃないもの。家に帰ってお稽古もあるし、他にやりたいこともあるので。ブナは?」
「芸術は……声楽を。中等部でも声楽はディアナ先生がご担当らしいので。生活は乗馬です。馬に乗れたら活動範囲が広がります。運動は、弓です。絶対弓です」
「弓術?」
「男性が狩猟会や社交会で披露するものじゃない?」
「女性が選ぶなんて聞いたことないわ」
「それ、全部受けるつもりなの?」
「そうですよ。お得セットです。三つ受けてもタダなら、全て受けておく方が断然お得です」
「普通は必修ではないから、選んでも一つくらいよ?」
「魔導学の授業もあるし」
「ねえ」
驚く双子に、ブナは話を振る。
「お二人はどうするのですか?」
「実はね、ブナに相談なのだけれど。私たち、市井の生活というものを知ってみたいの。どの授業が一番、市井らしい教科かしら?」
ブナは双子がテーブルに広げた授業説明書を確認する。
芸術、運動、生活からそれぞれ上限一科目ずつ、自由選択と記してある。
芸術:絵画、彫刻、声楽、演奏
運動:弓術、剣術、舞踏、バレエ
生活:料理、馬術、言語、刺繍
「どれも市井らしくないです。しいて言うなら料理でしょうか。これは市井の子はだれでも普通にやります」
「誰でも? 料理人でもないのに?」
「料理人が作るような立派なものではなく、日々の料理をします」
「そうなのね」
「あとは家畜を育ててる人は馬にも乗るでしょう」
「貴族が馬に乗るのは……騎士道の名残で、今は男性の社交会のためよ」
「広大な敷地で狩猟会とかするのよ」
「狩猟! いいですね」
ブナは目を輝かせる。
「しかし、なぜ中等部の選択授業は、貴族のための授業がこんなに多いのでしょう。魔法と関係ありません」
「それはこの学園が、もともと王族や貴族の血筋の方々のための修道院だったからよ」
「修道院?」
「古来より魔力が多いのは貴族の特徴だったのよ。同時に、家門維持において、ミスを患わないことはとても大事だったの。
だから、家督を継がない次男や三男が、魔術やミスについて研究するために、修道院に集い、魔導学の研究を務めていたのが始まりよ」
ラベンダは続ける。
「学長の家門であるシーラン家が創設者で、その血筋は元々王族にあるのよ。だから、修道院はその後も王侯貴族の御子息御子女も受け入れてたのよ。
その後、貴族女性たちの嫁入り前の教養の場にもなったわ」
「学長の遠いご先祖様は王様だったんですか……。それで、あらゆるところが絢爛豪華なのですね。修道院なんて、本来は質素なはずなのに」
「一つの就職先みたいな役目だったのよ」
「でも、それならなぜ、こんな雪の多い断崖絶壁な場所に?」
ブナの質問にカレンとビオラが答える。
「魔力暴走やミス爆ぜが起きても大丈夫なように、あえて都から遠く離れた僻地の岩山の上に建てたのよ」
「時代の変化のたびに、新しく、必要な建物を増設していったの。様々な時代の建築様式で増築されているから、文化遺産的にもとても貴重なのよ」
「それで旧校舎の道が迷路みたいに入り組んでるんですね。講堂から、学食まで、随分遠回りしなくてはいけません」
「ところで、ラベンダ。他にやりたいことって何かしら?」
「えっ。それは……」
カレンの質問に、ラベンダが、どことなく気まずい顔をする。
コホンと、小さく咳払いをしてラベンダは話を始める。
その咳払いの仕草を見て、ブナはラベンダの父を思い出した。
「やりたいことというのは、つまり、その。恋よ」
「恋?」
「まあ。素敵。うきうきしますね」
「お話、詳しく伺いたいわ」
「恋?」
聞きなれない言葉にブナは二度、聞き直した。




