第133話 霽れ後、閉幕
「失礼いたします」
ブナは入り口から部屋全体へ、一礼をする。
「御用でしょうか」
「うむ。ブナさん。一つ、ご学友達の安心のために、ラベンダさんの質問に答えてくれないだろうか。宣言魔法を一度かけるが良いかな」
シーモアは好々爺の顔で優しく微笑む。
「はい。かまいません。それで誤解が解けるのなら、私もありがたいです。質問とは?」
シーモアが宣言魔法をブナにかける。
ブナの首回りが術式で輝く。それを見て、ラベンダがゆっくりと言葉を発する。
「その……学園長から伺ったのですが、ブナさんはヨウム先生を父、マーサさんを母、ブレンナさんを姉のように慕っていて、ヨウム先生の授業をとても楽しみにしていたというのは、本当かしら。今日の発言は、授業が楽しくて感想を漏らしただけだと」
ブナは左手で右肘を支え、右手を顎を添え、首を傾げながらしばし考える。
ヨウムは返答の内容については心配していなかった。ただ一点だけ、訂正が入ることは、覚悟していた。
「どちらかというと、お母さんですね」
まあ、そうなんだよな。
かつてブナを預かっていた際、ヨウムはしきりに兄という立場を押し通そうとした。
結局、ブナの中の「お母さん」を覆すことは、ついぞできなかった。
ラベンダとオニガ家当主が、不思議そうな顔をする。思考が追いついていないようだった。
「マーサさんには、化粧品の使い方から洗顔の仕方、髪の梳かし方を習いました。お作法も、あーでもないこーでもないと、とても根気よく丁寧に、できるようになるまで、お付き合いくださいました。
ブレンナ先生には、お気に入りのお店や美味しいものをたくさん紹介していただきました。お話し好きで、お会いするたびに私の好きなお茶菓子を用意してくれます」
ブナは静かに続ける。
「ヨウム先生には、ものすごい量の勉強を教えていただきました。勉強だけでなく、物事に対する考え方や取り組み方なども一緒に。
穏やかで、笑顔を絶やさない、絵本のお母さんのような温かさがあります。
皆さんがそれぞれ、絵に描いたようなお母さんでした。でも、やはり……一番の、お母さんは、ヨウム先生です」
ブナは力強く頷いた。
「お母さんの中のお母さんです」
「えっと……」
当主が当惑した表情でシーモアを確認する。
シーモアはいつもの笑顔で「術はかかっていますよ」と告げる。
「……そう。では、ブナは、本当に授業が、ただ楽しかっただけなの?」
「はい。とても楽しみにしていました。五十分前から席も確保していました」
……そんなに前から来ていたのか。
想像以上の時間に、ヨウムは密かに呆れる。
「実際に授業を受けてみると、理路整然としていて、内容は分かりやすいのに、折々、小難しく派生する雑談も挟んでくる。
毎日の課題で、分からない箇所を分からないままにさせない丁寧さと厳しさも相変わらずで――特に、最後のあれです」
ブナは嬉々として続ける。
「試験を免除したり延期したいという訴えが、単なる嘘の理由だと皆、分かっているのに、苦言を呈するのではなく、あえて考察させるという手段をとる。
そうすることで、事前にその手を使えなくさせてしまう――あの用意周到な根回しが、もうヨウム先生らしくて最高です」
ブナの瞳の奥には、ただひたすらに純粋な、狂気にも似た光が爛々と輝いている。
その朝焼けの色の瞳は燃えるように熱を帯びる。
「本当に……ヨウム先生を、信頼なさっているのね」
「はい、とても。信頼し、尊敬しています。ヨウム先生のような大人になりたいと、常々思っております」
「人生の目標にもなる先生だと?」
「はい」
ブナは胸を張って、迷いなく答えた。
なぜだろう。
誤解も蟠りも確実に解けていく。
なのになぜか、それとは別の、不憫で居たたまれない冷やかな空気が、静かに漂っている。
コホン。
その空気を醸し出していた本人が、誤魔化すように咳払いをした。
「ブナさんが、人の内面をいかに大切にしている学生であるか、よく分かりました。首席挨拶の宣誓の内容は、娘からも聞いております。それが単なる美辞麗句ではなく、偽りのないお気持ちであることも、直接お話を聞いて理解いたしました」
当主はシーモアに向き直り、姿勢を正す。
「本日のご対応により、娘を安心して学園に通わせることができます。お時間をいただき、ありがとうございました」
当主がシーモアとヨウムへ深々と頭を下げる。ラベンダも、美しい屈膝礼をする。
「ブナさん、確認もせず先走った私どもの非礼を、どうかお許しください」
ラベンダが丁寧に謝罪をする。
「とんでもないです。私こそ、配慮の足りない行動をしてしまいました。ご心配をおかけいたしました」
こうして、今年度最初の授業とクレーム対応は幕を下ろした。
*
「さすがに今回は、疲れました」
面談が無事に終わり、ヨウムはシーモアから渡された紅茶を口に運びながら、学長室でぽつりと呟いた。
「おや、珍しいね。君が弱音を吐くなんて」
「ブナは……賢いのに猪突猛進で、行動が読めないのが本当に困ります。今回の講堂での発言には、さすがに神経が擦り減りました」
「ほっほっほ。今回は代表がオニガ家で助かったね」
他の名家の学生は寮に入り、実家がこの街にない地方の学生も多い。オニガ家は市街地に屋敷を構え、ラベンダ本人も寮ではなく屋敷から直接登校している。必然的に学園に近いオニガ家が今回の件を取り仕切ることになったのだろうが、不必要に騒ぎ立てるような家柄でもなく、面談はつつがなく終わった。
「本当です。当主とラベンダの様子を拝見しましたが、ブナの友人として、安心して任せられます。あんな状況でも、ブナに対して終始、配慮を持って行動してくれていました。ぜひこのまま交友を深めてほしいです」
「君……あの状況下で、そんなお父さんな目線で観察してたの。結構図太いよね」
「ありがとうございます」
呆れ顔のシーモアに、ヨウムは心から礼を言った。
このミスに蝕まれた異形の姿で、学園の教師という仕事を選んだ。この学園に留まり、魔術の研究を深めることを決めた。
その時から、腹は決まっている。
クレームの度にめげたり、先の心配などしていられない。そんな繊細さは、もうとうに手放したのだ。
ヨウムにはミス爆ぜの事件で家族を失った過去がある。
その日以来、ミスの成り立ちと消失について、学び続けてきた。
統理より、首を言い渡されるその日まで、やるべきことをやるのみだ。




