第132話 疾風と勁草
「ヨウム先生。応接間に来てくれる? すぐね」
教員室でシーモアに声をかけられる。
周りの職員は「またクレームか」と、嘆息まじりの表情で二人のやり取りを横目で眺めている。奇怪な風貌のヨウムにはクレームは恒例で、もはや誰も気に留めない。
西の空には沈みかけた陽光で真っ赤に染まる雲の帯がかかっていた。
ヨウムは窓から燃える空を、目を細めて眺め、深い呼吸を一つした。
シーモアと二人で応接間に入ると、そこにはラベンダ・オニガと同じ黒髪の、彼女の父が静かに背筋を伸ばして座っていた。こちらに気づいたオニガ家当主は、音もなく立ち上がり、深く会釈をする。隣のラベンダも倣い、スカートの裾を軽くつまんで優雅に一礼する。
学園長であるシーモアに儀礼的な敬意を表している。シーモアだけでなく、本来であればすぐにでも不満をぶつけたいであろうヨウムに対しても、同様の態度をとる。当主のその振る舞いだけで、随分な常識人で礼儀正しい家門だということが伝わってくる。
「お待たせしてすみません」
「こちらこそ貴重なお時間をいただき申し訳ありません」
「ご心配ごとをお伺いします」
シーモアは端的に用件を促す。
「はい。実は息女に本日の授業後の出来事を聞かされまして、学友のことをとても心配しているのです」
当主はヨウムの姿を上から下までじっくりと観察し、少し躊躇ってから探るように声をかける。
「その、失礼ですが、独特のご容姿をしていらっしゃる」
「ミスに蝕まれ、すっかり定着しております」
「ああ。左様でしたか。それは何とも災難なことでございました」
「学びが足りず、私の至らなさが招いた結果です」
「そうでしたか……。実は娘が心配しておりますのは、ヨウム先生がこのようなお姿であられるのにも関わらず、その……学友の女性は……」
コホン。
当主はその後に続ける言葉を憚って、気まずそうに一度咳払いをして仕切り直す。
「何でも、あろうことか、講堂で――つまり大勢の学生たちの前で、愛の告白をしたらしいではないですか。
常識的に考えて、淑女がそのような行動を起こすとは考えられません。恐れ慄いて然りという姿に、好意を持つ女性も……そうはいないでしょう」
オニガ家当主は礼節を持ってゆっくりと言葉を続ける。
「よって、何か悪意を持った危険な術で意思を操られているのではないかと、我々は危惧しているのです。娘を持つ父としては、このまま有耶無耶にしては、安心して学園に通わせることができません。一刻も早い真相の究明をお願いしたい」
まあ、もっともな意見だな。
全く身に覚えのない、苛烈な濡れ衣。それは男を社会的、人間的に叩き潰すに十分な冤罪。
にも関わらず、ヨウムは心の中で深く同意した。
貴族にとって世間体と名誉は何よりも重んじられる。
淑女令嬢には貞淑さと清らかさが求められ、そう振る舞うのが当然。人前で誰かに向かって――しかもこんな悍ましい風貌の男に向かって『好き』と口にするなど、軽薄を通り越して怪奇現象以外の何物でもない。
操られていると疑うほうが、よほど健全な思考回路だろう。
ヨウムは眉ひとつ動かさず、軸を立てる。
「我々」という言葉から、今年度の生徒とその親の多く――あるいは全員が同様の懸念を抱いており、オニガ家がその代表として訪れたのだと分かる。
大勢で押し寄せるのではなく代表者として訪問して下さるのだから、学園としても大変助かる対応だな。
当主は憂慮だけでなく義憤も抱いているだろうに、それをおくびにも出さず、落ち着いて対応している。
隣に控えるラベンダも騒ぎ立てず、静かに進行を見守っていた。ヨウムの容姿が恐ろしいようで目を合わせようとしない。時折、目の端で確認しては、瞼をぎゅっと閉じて小さく身震いをしていた。
それなのに、罵声の一つも浴びせてこないとは……。
よく教育されている。
ヨウムは他人事のように感心した。
「拝承いたしました。
オニガ家ご当主のご懸念、重々理解いたします。大切なご息女様をお預けいただいているからこそ、些細なことであってもご心配を抱かれるのは当然のことと存じます。保護者の皆様のわずかなご不安にも、我々は真摯に対応する責務がございます。率直にお話しいただき、感謝申し上げます」
シーモアは慇懃に礼を述べ、頭を下げる。それに倣い、ヨウムも丁寧に頭を下げた。
「実はブナさんは……」
シーモアはあえてこの場では「ブナさん」と呼ぶ。
「市井の孤児院育ちのお嬢さんでして。昔、そこで小さなミス爆ぜの事件がありましてね。こちらのヨウムに現場の対応を任せました。ブナさんは運悪くミスに侵食されてしまい、引き続きヨウムが治療にあたりました。その際に魔力が強いお子さんだと分かりましてね。ブナさんの将来のためにも、我が学園で勉強をさせるべきだと私が判断いたしました」
シーモアは丁寧にブナの経緯を説明しているが、事実は違う。
巨大なミス爆ぜの中で贄として葬り去られ、死にかけていたところを救出したのだ。ブナの過去は孤児院育ちなど生易しいものではなかった。
「――ですが残念ながら、孤児院育ちでは常識も学力もそのままでは到底足らず、学問をヨウムに、マナーを私の秘書のマーサに、その他のことを養護教諭のブレンナに任せることにしたのです。ですからブナさんはヨウムを父、マーサを母、ブレンナを姉のように慕っているのですよ」
シーモアはさらりとマーサとブレンナの名を出す。ヨウムだけがブナに関わっているわけではないと示したいのだろう。
「また、ブナさんは今年度の入試で首席を取るほど勉強熱心でしてね。入学前より、ヨウムの授業を大変楽しみにしていたのですよ。おそらくその気持ちが強すぎ、意図せず思わず声に出てしまったのだと、我々は認識しております」
「そうですか。では学園長にお伺いいたしますが、その……意思を操るような危険な術を使っている可能性は絶対にないと、言い切れますか?」
「勿論です。絶対にありません。というよりも、あり得ないのです」
「あり得ないとは?」
「我々魔力のある人間がミスを患う理由をご存じですか?」
「心を何らかの理由で大きく乱し、気を……病んだり、枯れさせたり、毒にさせたり、障るなどすることで、魔力に触れ、穢れ、ミスが生じると……」
「その通りです。人の精神と感情は魔術に密接に関わっています。
人の情念が魔力を通じて形になるのです。良い形であれ、悪い形であれ、魔力は本人の望んだ形に作用する。つまり、意識上であれ無意識下であれ、本人の望みや意思がなければ魔術は発動しません」
シーモアは丁寧に、力強く説明する。
「相手の心を捻じ曲げるような魔術は、理論上あり得ないのです。私は長年魔術を研究してきましたが、そのような不合理な術はただの一度も見たことがありません。絶対です」
「そう……でしたか。それを聞いて安心いたしました」
「では、ブナさんは本心から、あのような発言を? ヨウム先生を父のように慕い、授業を心から楽しみにし、そして満足していたと。そういうことでしょうか」
「私はそう認識しています」
ラベンダの問いに、シーモアは穏やかに答える。
「そう……なのですか」
ラベンダはそれでもなおヨウムの姿を見ては身震いし、晴れない表情をしていた。
「ブナさん本人に確認してみましょうか? 私の宣言魔法を使えば、本心でないことは話せなくなります。ブナさんの正直な気持ちが聞けると思いますが」
「本心でないことは話せなくなるのですか?」
「先ほどもご説明したように、心が望んでいないことに、術は作用しないのですよ」
「ですが……お友達に魔術をかけるなんて、失礼にあたります」
「それでラベンダさんのお気持ちが晴れるなら、ブナさんも喜ぶと思いますよ。誤解が生じたままの方が、本人も悲しいでしょう。今はブレンナと一緒におりますから、来てもらいましょう」
シーモアは手帳を広げ、ブレンナ宛てにメッセージを書き送る。
程なくして、ブナが応接間の扉を叩いた。




