第130話 始まりと陽だまり
第一部から続けての130話目になります。
第二部 純愛編の始まりとして 1話目となります。
これは……。ものすごく、やりづらくないだろうか?
教室の前方に座る学生たちを見ながら、男は緊張した。
男は奇怪な姿をしている。
薄墨色の肌。手は黒い斑点があり、無骨な樹皮のようになっている。人より少し大きな眼窩には、暗い緑青色の瞳。背は低い。おどろおどろしいその姿は伝統と品格ある学園の教師にはおよそ見えない。
そのため例年、男の受け持つ授業は必修科目でありながら、講堂の前方はいつも生徒が寄り付かず、がら空きになっていた。ましてや、講師の目の前の最前列中央の席など、埋まったことがなかったのだ。
それなのに――
*
授業が始まる前、ヨウムは資料を運び入れるために講堂の扉を開く。
教卓の目の前、最前列の机には、眩しいほどの笑顔を浮かべた芒色の髪の女生徒が一人座っていた。
「早くないか?」
ヨウムは女生徒に声をかける。まだ講義の開始時刻まで二十分もある。
「一番乗りで席を確保しています」
女生徒は満面の笑みで一つ頷く。
いつから居たんだろう……。
素朴な疑問が湧いたが、ヨウムは怖くてその質問を口にできなかった。
「次からは、そんなに早く来なくても大丈夫だぞ。あと、もっと後ろの席でもいいと思う。多分……そこは……一人浮いて、離れ小島になるから」
資料だけ机に置き、ヨウムはもう一度時計を確認する。このまま教室で醜悪な風貌の自分と二人きりでいるところを見られれば、女生徒の評判に関わりかねない。
「また時間になったら戻るから」
そう言って、女生徒を一人、講堂に残して出て行った。
そして、再び教室に戻ると――
増えてる……。
机の前に陣取っていた先ほどの女生徒は、離れ小島で、孤立などしていなかった。
最前列のど真ん中に座る学生はブナ。この辺りでは珍しい芒色の髪と、朝焼けの空のような燈色の力強い瞳が印象的だ。
今年度、魔術古語魔導学園、基礎中等部入学試験の首席である。
その左にラムサム。政界、社交界だけでなく、この学園の教師からも評判のよいエスターライヒ家の三男。今年度の入試の次席で、ブナの叩き出した規格外の点数がなければ、兄達と同様に首席の座を手にしていたはずだ。
右に、芸術の名門かつ屈指の資産家であるオニガ家の一人娘、ラベンダ。
その後ろにアラン・ノイマーと、ランドール家のカレンとビオラの双子の姉妹が座っていた。
ヨウムはこんなに間近に生徒を感じて講義をするのが初めてだった。
いつも前の席は空いていて、閑古鳥が鳴いていたのに。
ダメだ……。
やはり、すごくやりにくい。
ラベンダは明らかにヨウムの風貌に気味悪がっている。血の気が引き、唇まで真っ青になっていた。
アランは教科書を立てて顔を隠している。手が震えているため、教科書も一緒に揺れてカタカタと音がする。
双子は机に顔を埋めて突っ伏し、肩を支え合っていた。
可哀想に。何も知らずに、ブナに誘われて座ってしまったんだろう。
ラムサムだけが爽やかに笑顔を湛えていた。
卒業した兄からすでに私の話は聞いているのかもしれない。
それにしても、微動だにしないとは、胆力のある子だ。
ヨウムは素直に感心した。
「ちょっと……ブナ。あなた、ヨウム先生はすごく良い先生で、授業も分かりやすいはずだって、言ってたわよね。自信満々に」
「はい。言いましたね。自信満々に」
「私たちが怖い先生らしいわよって教えてあげたら、優しい先生だって言ったわよね。それは誤解だって」
「ですね」
「僕が、化け物みたいな先生らしいって言ったら、そんなことないですよって、笑って否定したよね?」
「はい。言った通りだったでしょう?」
ブナは一人満足そうに答える。
皆は沈黙だけを返した。
話が筒抜けなんだが……。
不憫な子たちだ。怯えきってるじゃないか。
ヨウムは他人事のように同情する。
居心地の悪い中、ヨウムは仕方なく年度始まりの自己紹介から始めた。
「基礎中等部、必修科目担当のヨウムだ。
中等部の必修科目は三つ。クロエ先生の基礎魔導学実技、アーノルド先生の魔導史、そして私の基礎魔導学座学だ。どの科目も単位を落とすと進級できずに来年も同じ授業を受けるか、退学になるので気をつけるように」
教室は後方を中心に、ヨウムの奇怪な姿に怯え、ざわついている。
ヨウムは他の教員がよくやる、出身や家門、趣味の話などの自己紹介は一切せず、生徒が身構え、一心に気にしていることに、前置きもなく本題に入った。
「魔力は、先天的に与えられる者にだけ与えられ、そうでない者が後天的に魔力を得ることはない。魔力量も然り。成長期に器を鍛え、魔力量を増やすことは可能だが、個人が持つ器以上に増やすことはできない」
ヨウムは身近な話題から触れる。
「魔力を持つ者は、持たない者に比べ、それだけで身体が強く、健康だ。運動能力にも差があるとされ、平均睡眠時間は少なく、平均寿命は長いという統計がある。罹患率、有病率どちらも魔力を持つ者の方が圧倒的に少ない。
あらゆることに恩恵を受けられると思われる魔力だが、魔力を持つ者だけが罹る特有の病がある。それが《《ミス》》による患いだ」
そして世界に厄禍を生む、「ミスの患い」について説明し始める。
「患いは気の病だ。感情と魔力が反応することでミスを生じる。
患いの症状は様々。早めに治療すれば問題にはならない。だが、適切な処置がされていないミスは精神および身体を侵食し続ける。侵食したミスは、本人の中から外に出て、周囲を蝕もうとする。さらに蝕みが進むと爆ぜる。
このミス爆ぜは禍だ。
爆ぜたミスは魔力を持つ者、持たない者を関係なく蝕み続ける。ミス爆ぜの現象は古来より発生の記述が残っている。医療魔術の分野が進み、魔導医技術師が確立されてからミス爆への適切な対応が可能となり、ミス爆ぜを起こした際の死亡率は格段に減ったが、適切な対応がなければミス爆ぜは今も死と隣り合わせだ」
ここまでは、どの貴族の家でも家庭内学習で教わる内容だ。簡単な話題に生徒たちの肩から、わずかに力が抜けていく。
ヨウムは生徒が忌避している、自分の風貌に関して触れる。
「稀に、ミスに侵食され、ミスが己の魔力の中に定着してしまう者がいる。定着したミスによく現れる症状が――黒化、圧縮、眼窩吐出、脱毛、硬化、浮腫。まあ、色々ある。
私の姿は、ミスの定着によるものだ。定着したミスは本人の魔力と絡まっており、治療の手立てはない。逆を言えば、躍動することがないため、新たな宿主を見つけて蝕もうと周囲に影響を与えることはない。よってミスが侵食することも、症状が感染することもない」
再び教室がどよめく。緊張や不安が伝播し、囁き声や身じろぎの音が教室内に広がっていく。生徒たちは不安そうに顔を見合わせる。目や耳を塞ぐ者もいる。
普通は症状があっても一つや二つだ。それ以上であれば通常は死に至る。
ヨウムのように全てが揃って現れることは稀だ。
説明したとて、それでも恐ろしいものは恐ろしく、不安なものは不安なものだ。
理由は分かった、安全は保障された――それでも簡単に受け入れられるものでもない。それが嫌悪というものだ。
その底冷えするざわめきの中で、ただ一人。最前列に座る芒色の髪の生徒だけが、春の陽だまりのような満面の笑みを湛えていた。
髪と瞳の神秘的な色合いと、端麗な顔立ちも相まって、妖精か女神のようにも見える。
……この場において、これほど異質な笑顔もないな。
ヨウムはその異様な光景を、冷めた思考の隅に留める。
背後で止まない波紋を置き去りにしたまま、彼は何事もなかったかのように、淡々と次の授業へと言葉を繋いだ。




