第1部(1) 第3話【 竜脊(りゅうせき)の誘惑と影 】(下)
「ダメ……! お兄ちゃん、ダメえぇっ!」
ミーナの叫び声が、吹雪を切り裂いた。
ミーナは前に飛び出すと、
カイの膝に必死にしがみついた。
不浄の冷気で唇を紫色に腫らしながら、
ボロボロと涙を流してカイを見上げる。
「お兄ちゃんは……私を助けてくれた!
優しくて、温かい光をくれた!
そんなの……偽者なんかじゃないよっ!」
ミーナの小さな温もりが、
カイの凍りついた皮膚を通して、
胸の奥深くまで伝わってきた。
(……そうだ)
カイの瞳に、薄っすらと光が戻る。
(俺は、
自分のために戦っているんじゃない。
楽になるために生きているんじゃない……!)
『善き考え、善き言葉、善き行い』
それは、完璧な人間になることではない。
恐怖に震えながらも、
誰かのために手を差し伸べること。
絶望の底にあっても、
誰かの温もりを信じ抜くこと——
それこそが、父の言っていた
「真理」の姿だったのではないか。
(俺の心が試されている……? 違う!
俺の心が、この世界を照らすんだ!)
カイは震える両足で、
力強く地を蹴って立ち上がった。
「断る……!
意思を捨てた生き物など、
ただの肉の塊だ!
俺は……俺の意思で、この光を守り抜く!」
恐怖が消え去り、
澄み渡るような「覚悟」が
カイの全身を駆け巡る。
ガアアアアアンッ!!
爆発的な光の奔流が、
ランタンから解き放たれた。
それは、これまでのような黄金色ではない。
青白く澄み切った、
まるで
極北のオーロラのような「純白色の絶炎」。
「な……なに……っ!?」
ヴァルツが咄嗟に腕で顔を覆う。
光の波が山脈を駆け抜け、
地面に打ち込まれていたソーレム帝国の
「律法呪印の杭」が、
次々と激しい音を立てて砕け散っていった。
山を覆っていた不浄の黒い霧が、
一瞬にして蒸発し、
満天の星空が吹き開かれる。
「バカな……!
不浄の領域が破られただと……!?」
光を浴びたソーレムの鉄機兵たちが、
悲鳴をあげて倒れ込む。
甲冑に刻まれた呪印が焼き尽くされ、
彼らは
自らの鎧の重さに耐えかねて岩場に転がった。
「ヴァルツ!
これが……人間の『意志』の力だ!」
カイはミーナを抱き上げると、
光が拓いた崖の抜け道へと一気に走り出した。
「追え! 逃がすなっ!」
ヴァルツが咆哮するが、
呪印を破壊された兵士たちは
立ち上がることができない。
ヴァルツ自身も、光の残光に目を潰され、
追撃の足を止めざるを得なかった。
「……カイ、と言ったな」
ヴァルツは遠ざかる眩い光を見つめ、
苦々しく呟いた。
「お前はただの生存者ではない……
『真理』の刃そのものだ。……
もはや、生かしてはおかん」
吹雪が止んだ竜脊山脈の山頂付近。
カイとミーナは、
荒い息を吐きながら岩場にへたり込んだ。
ランタンの中で脈動する輝石は、
かつてないほど清らかな、
純白の光を静かに放っている。
「はぁ……はぁ……やったよ、ミーナ」
「うん……! お兄ちゃん、すごかった!」
ミーナが笑顔を見せる。
その頬には、少しずつ朱色が戻っていた。
カイが前方を仰ぎ見ると、
山脈の尾根の向こう側に、
広大な雲海が広がっていた。
そして、
雲海の切れ目から差し込む朝日の下に——
見たこともないような奇抜で荘厳な
大建造物が姿を現した。
鬱蒼としたジャングルの中に浮かぶ、
幾重もの巨大な環状都市。
空を突く無数の尖塔と、
鮮やかな金と朱に彩られた神殿群。
【ヴァルナ神国】。
万神と幻世を祀る、
アシャニアの数千年来の宿敵の地である。
「あそこが……ヴァルナ……」
カイはランタンを強く抱き直した。
山を越えた。
だが、本当の試練はここから始まる。
彼らにとって、自分は
「神々を汚す邪教の悪魔」
でしかないのだから。
「邪教などであるものか!」
カイは心で叫ぶ。
守護一族の生き残りであるカイは、
父の教えを反芻していた。
それまでの粗暴な生贄の儀式や
乱暴な宗教儀礼を批判し、
呪術的儀礼を排除した父。
そして高い倫理観
(「善き考え・言葉・行い」)を求める
宗教へと革新した父。
ソーレム帝国の侵略によって、
祖国は滅び、父は亡くなった。
父の遺志を継ぐのは自分しかいない。
改めて、そう思い定めた。
朝日に照らされながら、
カイとミーナは
宿敵の国へと第一歩を踏み出した。
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竜脊山脈の冷涼な空気は、
尾根を下るにつれて急速に熱を帯び、
湿り気を含んだ
青くさい風へと変わっていった。
【ヴァルナ神国】——。
無数の大河と原生林に抱かれた
その国土は、……。
明朝、6:30 に、第4話(上)を投稿します。




