第1部(2) 第2話【 西進の荒野と鉄の商人 】(下)
傭兵たちは
脱輪した馬車を強引に引き倒すと、
壊れた籠の回収もせず、
脱落した馬車を置き去りにして
隊列を急がせた。
彼らにとって、
精霊の一匹や二匹の損失より、
日の入りまでに
帝国の陣地へ滑り込むことの方が
遥かに重要だったのだ。
隊列の遠雷のような足音が遠ざかり、
荒野に再び静寂が戻る。
「お兄ちゃん……」
ミーナが不安そうにカイの顔を見上げた。
カイは岩の影から滑り出ると、
転がった籠へ駆け寄った。
籠の中の小精霊は、
カイの手の中の輝石の光を浴びると、
怯えたように細い身体を震わせた。
ヴァルナの精霊にとって、
アシャニアの光は
「力を抑え込む異物」と
教え込まれてきたからだ。
「大丈夫だ……怖がらないで」
カイは腰の短剣を抜くと、
繊細な手つきで籠の鉄格子をこじ開けた。
そして、
小精霊の身体に巻きつけられていた
「律法呪印の鎖」に、
ランタンの光を静かに当てた。
じじじ……ッ
黒い鎖が煙を上げて砕け散る。
鎖から解放された小精霊は、
痛みが引いたことに驚いたように
目を見開き、
自分の小さな手足を見つめた。
カイの光は精霊を害することなく、
その身体を縛っていた
ソーレムの不浄だけを
綺麗に焼き切ったのだ。
「キュ……キュイ!」
小精霊は歓喜の声を上げると、
カイの周囲をパタパタと飛び回り、
ミーナの鼻先にちょこんと着地した。
「わあ……! よかったね!」
ミーナの顔に笑顔が咲く。
小精霊はミーナの髪に擦り寄った後、
カイに向かって一礼し、
西の空——
帝国が支配する暗雲の方向を指差して、
必死に何かを伝えようと小さな手を振った。
「西に……何かあるのか?」
小精霊は強く頷くと、
カイのランタンの取っ手に
しっかりと捕まった。
どうやら、
案内役としてついてくるつもりのようだ。
「……助けてくれて、感謝するよ、少年」
突然、背後から声をかけられ、
カイは跳ね起きるように振り返った。
壊れて打ち捨てられた馬車の陰から、
一人の男が立ち上がっていた。
ソーレム風の
機能的な革のコートを着ているが、
右腕と右足が重厚な
「鋼鉄の義肢」に置き換わっている。
歳は三十半ばほど。
無精髭を蓄えた顔には、
酸いも甘いも噛み分けたような
苦み走った笑みが浮かんでいた。
「俺はレノ。
見ての通り、あのドジを踏んで
置き去りにされた行商人だ」
男——レノは、
義足の関節をカタカタと鳴らしながら、
一歩前へ出た。
その視線は、
カイの手に握られた
ランタンの光へ向かっている。
「……驚いたな。
『不浄の鎖』を、
中身の精霊ごと
焼き切らずに鎖だけを砕く光か。
噂には聞いていたが……
お前が例の『アシャの生き残り』か」
「あんた……ソーレムの商人か!?」
カイは短剣を身構え、ミーナを庇った。
「そう警戒するな」
レノは両手を挙げてみせた。
鋼鉄の義手の指先が、
カチカチと金属音を立てる。
「俺はソーレムの生まれだが、
今のあのイカれた
『法の都』の信者じゃない。
ただの金儲けの商人さ。……
まあ、
昔は帝国の魔導技師をやっていたがね」
レノは自らの鋼鉄の右腕をポンと叩いた。
「帝国は今、
世界中から
精霊や不浄の資源をかき集めている。
すべては
『絶対の法』を完成させるための
兵器炉を動かすためにな。……
お前たちの探しているものは、
あの隊列の向かう先、
第4補給廠にあるぞ」
「補給廠……?」
「ああ。西への関門だ。
あそこを突破しなければ、
帝国の本土へは入れない。……
どうだ少年、
俺と取引をしないか?」
レノは不敵な笑みを深め、
胸ポケットから
一枚の古い羊皮紙の地図を取り出した。
「俺は
置き去りにされた積み荷と命が惜しい。
お前は西へ行きたい。……
俺が帝国の補給廠の内部構造と抜け道を
教えてやる。
代わりに、
その輝石の光で俺のこの義肢に溜まった
『不浄の毒』を浄化してくれ。……
悪くない取引だろう?」
カイはレノの瞳をじっと見つめた。
その目に、
ソーレムの兵士たちのような
冷酷な「法」の影はない。
だが、純粋な善意でもない。
己の生存と利害を計算する「人間の眼」だ。
輝石の光は、濁っていない。
レノの提案に応じることが、
今の自分たちにとって
「なすべき選択」であることを、
石が静かに示していた。
「……わかった。取引成立だ、レノ」
カイは短剣を鞘に納め、手を差し出した。
レノは一瞬驚いたように目を見張ったが、
すぐにニッと口の端を上げ、
冷たい鋼鉄の義手で
カイの手を強く握り返した。
「決まりだ。……
歓迎するぜ、少年。
ここから先は、本当の『鉄と法の地獄』だ」
荒野の向こうで、
帝国の補給廠が吐き出す黒い煙が、
茜色の空をどす黒く染め上げていた。
新たな協力者を得て、
カイたちの西への旅は、より深く、
危険な帝国の懐へと進んでいく。
【灰塵の荒野】の
地平線を埋め尽くすのは、
巨大な黒い鉄の砦だった。
ソーレム帝国【第4補給廠】。
無数の巨大な煙突から吐き出される
黒煙が空を遮り、
周囲には
酸っぱい鉄と油の匂いが充満している。
明朝、6:30 に、
第1部(2) 第3話を投稿します。




