第1部(2) 第2話【 西進の荒野と鉄の商人 】(上)
東の空から、新しく青白い
夜明けが訪れようとしていた。
宿敵であったヴァルナの地を背に、
カイとミーナ、そして
世界の命運を担う一粒の輝石は、
敵の本拠地たる西方の暗雲へ向けて、
新たなる長征の第一歩を踏み出した。
東方の神秘大国【ヴァルナ神国】の
青々とした樹海を後にし、
西へ向かって進むにつれ、
世界は色彩を失っていった。
かつて
アシャニア王国とヴァルナ神国の間に
横たわっていたのは、
自然の猛威たる竜脊山脈だった。
しかし、
山脈の南端を迂回して西の果てを目指す
カイたちが踏み込んだのは、
草木も生えぬ褐色の大地——【灰塵の荒野】。
ソーレム帝国の軍勢が
進軍の途上で森林を伐採し、
地脈の霊素を絞り尽くして
干上がらせた、
いわば「帝国の残痕」である。
「風が……鉄の味がするよ、お兄ちゃん」
ミーナが
首に巻いた防護布を鼻まで引き上げながら、
ボソリと呟いた。
風が吹くたび、
白っぽい灰と黒い砂鉄が混じった粒子が
皮膚をチクチクと刺す。
「ああ、気をつけて歩こう。
ここはもう、帝国の補給路の領域だ」
カイは背中の荷物を背負い直し、
胸元の手提げランタンへと視線を送った。
ガラスの向こうの【原初輝石】は、
荒涼とした景色の中でも
穏やかな琥珀色の光を放ち、
二人を覆うように半径二メートルほどの
「澄んだ空気の膜」を作り出している。
灰塵がこの光の膜に触れると、
雪のようにふっと蒸発して消えていった。
前夜、
聖都の寺院で遭遇した「白銀の仮面」——
不浄すら纏わぬ「無の存在」の恐怖は、
カイの胸に深い爪痕を残していた。
だが、怯えていれば輝石の光はすぐに濁る。
カイは一歩踏み出すごとに
「自分はミーナを守り、西の都へ辿り着く」
という意志を強く持ち直し、光を繋いでいた。
ガタゴト……ガタゴト……
静寂の荒野に、重苦しい車輪のきしみと、
家畜の低い呻き声が響いてきた。
「何か来る……!」
カイは素早くミーナの肩を抱き、
街道沿いの巨大な岩の影へ身を潜めた。
短剣の柄に手をかけ、息を殺す。
荒野の地平線から姿を現したのは、
奇妙な大行商の隊列だった。
引いているのは馬ではなく、
全身を粗悪な装甲板で補強された
頭足類のような巨大な耕作獣。
牽引されている何台もの大型幌馬車には、
大量の鉄くず、煤けた魔導機関の部品、
そして
黒ずんだ鉱石の山が積み上げられている。
護衛の用心棒たちは、
ソーレムの正規兵ではない。
刺青を彫り、雑多な装具を身につけた
荒くれ者の傭兵たちだ。
「おい、急げ!
日が落ちる前に『第4補給廠』に入らんと、
影から不浄の獣が湧き出てくるぞ!」
「チッ、
このあたりの地脈はもうカラカラだ。
帝国がいくら鉄を買い叩くからって、
命と引き換えじゃあ割に合わねえよ」
男たちの下品な会話が
風に乗って聞こえてくる。
(商人……?
ソーレム帝国と商売をしている奴らか?)
カイが伺っていると、
隊列の末尾を走っていた一台の
馬車の車輪が、
不運にも岩の亀裂にはまり込み、
重い不協音を立てて脱輪した。
ガシャンッ!
「うわっ!?」
馬車から積み荷の金属パーツや、
小さな鉄製の籠が崩れ落ちる。
その中の一つ——
金網で固く閉ざされた
小さな籠がゴロゴロと転がり、
カイたちが隠れている岩のすぐ近くで
止まった。
「あ……」
ミーナが短く息を呑んだ。
籠の中で身を縮こまらせていたのは、
人間ではなかった。
体長三十センチほどの、
透き通るような
翡翠色の羽と髪を持つ小さな存在——
ヴァルナの樹海に生息する
「小精霊」だった。
精霊の身体は痛々しく衰弱し、
胸元にはソーレム特有の小さな
「律法呪印」の鎖が巻きつけられている。
「おい、積み荷をぶち撒けやがったな!
この間抜けが!」
傭兵の頭目が怒鳴り散らし、
脱輪した馬車の御手へ歩み寄る。
御手は怯えながら
ペコペコと頭を下げていた。
「す、すみません!
ですが、この精霊は
西の『錬金閣』へ運ぶ貴重な品で……!」
「知るか!
くだらん虫ケラ一匹探してる暇はねえ!
打ち捨ててさっさと馬車を引き上げろ!」
傭兵たちは
脱輪した馬車を強引に引き倒すと、
壊れた籠の回収もせず、
脱落した馬車を置き去りにして
隊列を急がせた。
彼らにとって、
精霊の一匹や二匹の損失より、
日の入りまでに
帝国の陣地へ滑り込むことの方が
遥かに重要だったのだ。
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隊列の遠雷のような足音が遠ざかり、
荒野に再び静寂が戻る。
「お兄ちゃん……」
ミーナが不安そうにカイの顔を見上げた。
カイは岩の影から滑り出ると、
転がった籠へ駆け寄った。
籠の中の小精霊は、……
本日。18:30 に、
第1部(2) 第2話(下)を投稿します。




