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過去編1

(11.02.20~14.04.29)

書き直し:16.04.23

自分の呼吸音しか聞こえなかった。

真っ暗な森の中、一人の少年は走っていた。

彼は必死で森の中を走る。ここで捕まってしまったら、自分は殺されてしまう。幼い少年はそれを察知して逃げ出したのだ。

そう、逃げる前に見たあの光景。

自分の母親だった人物は血まみれになって、床に倒れていたのだ。

それを見た瞬間、恐ろしくて一瞬動くことが出来なかった。

しかし相手はそれを隠す様に、微笑みながら、自分へ手を差し伸べた。

それがやけに異様で、異質で、恐怖を感じた。だから逃げ出した。

その選択肢は果たして正解だったのか、愚かな行為だったのか。今は判断することは出来ない。


逃げなければ。


後ろから二人分の足音が聞こえてきた。


もっと早く逃げなければ。

しかしその時。

後ろから炎の玉が飛んできたのだ。

小さくて軽い彼は、それが地面に当たった衝撃で軽く吹き飛ばされた。

そして地面に倒れ込んでしまう。

「やれやれ、やっと追いついた」

先程の気味が悪い男が肩に手を置きながら、ため息交じりの声で言った。

逃げなければ、と立ち上がろうとするが、それは止められてしまう。

土が動いて、自分の足が捕らえられてしまったのだ。

「全く困るんだよね。私は国の者で、君を捕らえる様に命令されているの。

他の者は殺してもいいってことだから、あの女は殺しておいたけど」

「………ぜ」

「ん?」

聞こえない程の小さな声だったので聞こえず、男は耳を傾けた。

「何故母さんを殺す必要があったんだ!」

その言葉に男は感嘆の声をあげる。

「言葉の選びが普通の子供と違うな」

「質問に答えろ!母さんは殺す必要なんてなかったじゃないか!」

その質問に男は考えるような仕草で、手を顔に当てて「んー」と言う。


「何故、と問われると特に理由は無い」


その言葉が衝撃的だった。

彼にとってあまりにも衝撃的で、息をするのを忘れてしまう。みるみる息苦しくなる。

「り、理由も…無く殺したと言うのか?」

「すぐに私に君を渡してくれそうだったけれど、それじゃつまらない」

「な、にを言っている?」

「普通親子とは、子供を見捨てないだろう?」

その普通が彼にはわからなかった。

自分が忌み嫌われていたことなんて、幼いながらでもわかっていたからだ。

だから知識を身に付けようと思った。

能力が無ければ違うもので補えばいい。

そう思っていた。

しかし母に愛されることなんて、永遠には来なかった。

目の前に居る男がそれを断ち切ってしまったのだ。

少年は男を睨みつけたが、相手は肩をすくめた。

「しかし君は生きている意味がある」

「は?」

予想外な答えに少年は聞き返す。

「あの母親は生きている意味は無かった。

しかし君には存在価値がある。だから私と一緒に行こう。

なぁに。悪いようにはしないさ」

相手の言っている意味がわからなかった。

自分はずっと家で勉強を、いや研究をしてきたから、普通の子供よりかは理解力があると、思う。

しかし相手の言っている意味がわからず、怒りが込み上げてくる。

少年にもわからなかった。

何故自分がこんなにも怒りを感じているのか。

何もかもわからなかった。

だから、胸ポケットに隠していた、石を取り出した。

摩擦さえ加えれば、爆発を起こすこの石を手に取った。

少年はそれを投げた。


もうどうにでもなれ。


そう思って。

静かな森は爆発音に包まれた。


-----------------------------------------



自分の呼吸音しか聞こえなかった。

地面に寝ころびながら、虚ろな目で映っていたのは、血を吸った赤い地面だけだった。

確かここは、と元の姿を思い出そうとする。

春には花畑になるはずだ。そして夏は緑が綺麗な草が覆い茂る。

今はそんな姿を想像できないほど、どんよりしていた。

植物は焼き払われ、土だけの色になって、そしてその土さえも血を吸って赤くなっていた。

その上には大量の死体が。

自分の仲間が居れば、敵の死体もあった。むしろ敵の死体の方が多いのではないか。

戦況は明らかにこちらが数で不利だった。

誰もが勝てないと思っていた。

誰もが絶望的な目をしていた。

誰もが自分はここで死んでしまうんだと思っていた。

こんな状況で上が「戦え」と指示が出ることに絶望した。

皆は自分の家族のことを思って絶望していた。

しかし自分はそんなことはない。

生きていても誰も必要としない、自分は必要とされていない人間だ。

そう思い、目を瞑った。その時一人の声が脳裏に浮かぶ。

『そんな寂しいことを言うなよ。クエート』

自分が兵士になった時に、友になった人物だ。

彼は笑顔で言った。しかし自分は信じなかった。

けれども、その言葉をいつまでも記憶に残っている。

「へ…」

友の名を呼ぼうとした。しかし声にならず、最後は息だけになった。

誰も生きていないのか?

手を自分の腹にゆっくりと当てる。

「クエー…ト?」

声が聞こえた。その声は聞き覚えのある声だった。

「おい、大丈夫か?」

それはこっちの台詞だ。心の中で呟く。

肩を揺らされる。生きている。大丈夫ではないが。喉が焼け声を出せない。

足は歩くことが出来ない。恐らく骨が折れている。

片腕だって、感覚がない。

けれど

「ごほっ」

自分にソーサリーをかけ、自分の傷を塞いだ。塞いだだけで、痛みは消えない。

「ごほっごほっ」

「生きていたか、クエート」

相手のほっとした声が聞こえてくる。

仰向けになったまま、相手を見た。

「ヘルト…」

「他の誰も生きていない。生きているのは、お前だけだ」

その言葉で自分が気を失う前の記憶が瞬時に蘇る。

「ヘルト…何をしたんだ?」

あの時自分はヘルトの隣に居たからわかる。

殆どの兵士が死んでいた。

残っていたのは数人と、そして自分達。

絶望的だった。元から絶望的な陣形だったのだが、命令が逃げることを許さなかったのだ。

だから自分達は逃げることが出来なかった。軍人は命令に従うしかない。

どんなことが起こっても、自分達が死のうと、国を、皇帝を守るためならば、この命を落とすのが美だ。

そう教えられてきた。

そしてここが自分の墓だと覚悟をした。

しかし仲間だった人達が死んでいくことが耐えられなくて、彼は必死になって仲間を助けた。

助けていた途中に、自分も敵に襲われた。

致命傷で、少し気絶をしていたようだった。そこまではわかった。背中を壁にもたれて傷を治そうとした。

その次だった。

自分の近くに立っていた人物の気配が異質だったのだ。

一瞬誰だかわからなかった。しかし後姿を見て分かった。

それを思い出しながら、もう一度聞く。

「ヘルト、お前はあの時何をしたんだ?」

彼は起き上がって、真っ直ぐ彼を見た。少し黒ずんでいる空気の中で、綺麗なエメラルドグリーンを見つめていた。

そう、彼は恐ろしい程までの力を出して、周りに居る者を全て焼き殺してしまった。

「お前はソーサリーしか使えないだろう?」

彼と出会った時のことを思い出しながら、恐る恐る聞いた。


---------------------------------------


「お前、どこから来たんだ?」

地面に倒れている少年に声をかけた。しかし彼は口をパクパクとするだけで、何も答えない。

カラカラに乾いた唇。そしてツオバーで燃やされたのだろうと思われる火傷もあった。

「生きていたいか?」

答えなど帰って来ないだろうと思いつつも聞く。

しかし彼は震えながら土を強く握りしめ、そして大きな粒の涙を目から流した。

「かあ…さん…」

彼は低い声でそう言って気絶をしてしまった。

「とりあえず傷を治さないとな」

そう独り言を言いながら、ソーサリーで傷を治していく。

「恐らくソーサリーなんだろうけど、まだ自分の能力に気が付いていないんだな」

ツオバーかソーサリー。その能力は教えられないと使えないものだった。

貧困の差が激しいこの時代。誰しもが自分の能力を教育されることがなかった。

そんな時間があれば、子供を働かせておいた方が効率的だったからだ。

しかし戦争が始まった今、その者達は次々と殺されて行く。彼等は自分を守る術を持たないからだ。

そして戦争が始まれば、兵士だけではなく、物取りも人々を襲う。

最悪ツオバーの能力を持っている者が居れば、食料や金目の物を盗むために襲うのだ。

もうそれが当たり前になった。

自分の両親は「嫌な時代になったものだ」と呟いていたのだが、自分にとっては当たり前のことだった。

そして自分の目の前に倒れている少年も、十分な教育も受けさせてもらえず、働いていたのだろう。

そして兵士か強盗に襲われてしまった。


この時代がどのぐらい続くのだろう?


それをふと思う時がある。

もしかしたら永遠に続くのではないかと思ってしまう。もうこの国民は疲弊していると言うのに。

うっと唸る声が聞こえてきて、我に返った。

思いの外意識が戻るのが早かったようだ。

そして少年は驚いた様に、いきなり起き上がった。

「誰!」

彼は自分の姿を見るや否や少し距離を置いて、警戒した。

「おいおい、助けてもらっておいてその態度はないだろう?」

少し苦笑いをしながら言うと、少年はきょとんとする。

「傷も治っているだろ?俺が治した」

そう言われ、少年は自分の横腹を見ていた。

「どのぐらい寝ていた?」

「ほんの五分ぐらい。急に起きてびっくりしたよ」

肩を竦めて言う。

しかし相手はまだ警戒を解いてはいなかった。

「なんで俺を助けた?」

「そこに倒れていたから」

「か、母さんは?母さんも倒れていただろ?」

その質問に無言で目線を逸らした。そしてつられる様に相手も同じ所に目線を送る。

そこには真っ黒に焦げた女性らしき人物の死体が転がっていた。

「多分、あれだ」

同じ方向を見ていた少年は、わなわなと震えて、小さな声で言う。

「う、そだ」

「俺も君のお母さんかはわからない。けれど君の体に腕を回していた。君と関係のある人物だろうと俺は思った」

その話を聞いていないのか、いるのか、少年はふらつく足で死体に近づいて、跪いた。

そしてその小さな背中は小さく震え、嗚咽する声が聞こえてきた。

この時代がまだ続くのか、と小さな背中を見て思う。

そして震える声で、少年は問いかけてきた。

「どうして、母さんを助けてくれなかった」

「俺は神じゃない。死んだ者を生き返らせることなんて出来ない。ソーサリーが使えても俺はただの人間だ」

その言葉に少年は顔を上げ、顔を見た。彼の顔は涙で濡れていた。

「ソーサリー…?」

「君が持っていない力のことだ。知らなければ一生使えないし、知れば大きな力になる。

ツオバーもソーサリーも」

「力…」

「そうだ。君は気が付いていないだけ。君自身にも力があるってことを。そして誰しもが持っている力を、殆どの人が知らない。教えられていない。

けど

俺なら君にその力を教えることが出来る」

「俺にも…力が?」

そう言って少年に近づいて、地面に座っている少年と同じ目線に合わせた。

「そうだ。君も力を手に入れることが出来る。

そうすれば、こんな時代も生き残れるかも知れない」

「俺は…」

「君は、生き残りたいか?」

「俺は…」

少年は言葉を詰まらせて俯いてしまった。

「その前に、お墓を作ってあげよう」

立ち上がって、真っ黒の死体に近づく。

「死者は戻らない。けどこのままでは君のお母さんがかわいそうだ。

寒くなっても暑くなっても、ここにさらされ続ける

そしてまたここで戦いが始まってしまったら、お母さんはまた危ない目にあってしまう」

そう言うと少年は泣きながら立ち上がった。

そして死体の近くに座って、砂をかき始める。その様子を見て、彼の近くで砂をかき始めた。

ふと少年を見てみるとまだ泣いていた。

少年はずっと泣いていた。

何時間も何時間も、掘り続けて、ようやく十分な穴を掘っても、彼は泣いていた。

死体をその穴に入れて、埋めても、泣いていた。

本当に自分の母親の死体じゃなかったかもしれない。

ふとそう思ったが、言わなかった。

そこまで残酷な現実を見せなくていいじゃないか。

墓の棒を立てて、横に並ぶ少年を見た。

「なぁ」

彼は泣きながら聞く。

「俺でも力を手に入れられるかな?」

「もちろん」

「手に入れたら考える」

「何を?」

「自分が生きたいかどうか」

「わかった」

一拍置いて、聞いた。

「君の名前は?」

「クエート。君は?」

「ヘルトだ」


-------------------------------------------


「ツオバーとソーサリーは同時に使える人間は居ないって、お前が言っていたことだ。

軍の中で両方使える奴なんて居なかった。

けどお前は今ツオバーを使っただろ?」

クエートの言葉にヘルトはため息をついた。

「どこから説明したら、いいかな」

その様子を見て、クエートは黙った。そして彼も黙ったままだった。

「いや、いいよ」

「え?」

「お前が話したくなければ、話さなくていい」

「いや、でも…」

覚束ないままでクエートは立ち上がる。その様子を少し不安そうにヘルトは見ていた。

「いいよ。俺は聞かない。聞きたくない」

「おいおい、むきになるなよ。拗ねるなよ」

「むきになってないし、拗ねてもない!」

二人はそう言いあって、二人は向かい合い、笑った。

「こんな無残な中で笑うとは思わなかった」

ヘルトがそう言って、二人は我に返った。

「本当に無残な戦争だ」

指示されたことを二人は思い出していた。

誰しもが絶望した戦争だった。

無理だと、誰しもが言った。隊長すら無理だと言った。

しかしそれを突っぱねてこの戦いを命令した。

誰しもが思った。

自分が戦わないからそんな命令を下せるのだ。

自分が昇格したいから、そんな命令を下すのだ。

自分の地位の為、皆を殺したのだ。


『国の為に死ねるのならば、本望だろう』


そう言って命令を下した。

誰しもが死にたいわけではない。いくら国の為に死ぬのが美だからと言って、誰も死にたくない。

「こんなことが許されてたまるか」

ヘルトは低い声で唸った。

「そうだな…ぐっ」

クエートは腹を押さえて、またしゃがみ込んでしまった。

「大丈夫か?クエート!」

「だい、じょうぶ」

ソーサリーは傷が塞ぐことが出来ても、傷の痛みを無くすことは出来ない。

「とりあえず、ここは撤退しよう…」

「でも誰かが生きているかもしれない」

その言葉にヘルトはため息をつく。

「お前の体力が持たないだろ…

それに冷静になって探知してみろよ。誰も、生きちゃいない」

「隊長も…?」

「………」

クエートもわかっていた。わかっていた、けれど実際に探してみれば誰かが生きているかもしれない。そう思い込もうとしていた。

「いや、単に探知出来ていないだけだろ…?」

そうだ。きっとそうだ。

再びクエートは立ち上がる。

「死体の下に埋もれているだけかもしれない」

「クエート」

「あの爆発が起こる前は皆生きていたんだ。俺が傷を治していたから。

もしかしたら」

「クエート」

眉間に皺を寄せながらクエートは止めようとする。

「ヘルト、先に行っててくれ…一回り見てから俺も後から…」

「クエート!」

ヘルトが叫んで、彼はビクリと肩を震わせた。

「俺もそう思ってソーサリーで生きている奴を探した。

でも生きていたのは、お前だけだった」

気絶をしていようが、生きている人を探し出せるのがソーサリーだ。死体はソーサリーでも探知出来ない。

それを彼も理解していた。

「そんなことない!」

「落ち着けって!」

真正面から言われ、クエートは黙るしかなかった。ヘルトはクエートの肩を掴んで項垂れる。

「お願いだから落ち着いてくれ。生きていたのはお前だけだったんだ。お願いだから、その命を大切にしてくれ」

どうもクエートは自分の命を投げ出すところがある。

それがヘルトにとって恐怖でもあった。

それによって彼が死んでしまうかもしれない、と言う恐怖が。

「そう、か…」

クエートは膝を床につけて、俯いたまま言った。

そこでようやくほっとする。

が、その時

「ごほっごほっ!」

クエートがまた咳をし始めたのだ。

もしかして、とヘルトは思う。ここの空気は異様に汚染されていた。いくらソーサリーで傷を治したからと言って、汚染された空気の中に居るのは危険だと彼は判断する。

「ほら、クエート。おぶるってやるから背中にもたれろよ」

彼は何も言わずに、ヘルトに背中を預けた。

「んしょ」と言って立ち上がり、歩き始める。

「本当に、本当によかったよクエート。お前だけでも生きていてくれて」

「………」

「こうしていると初めて出会った時のことを思い出すな」

「そうだな」

「あの時よりお前、重たくなったな」

あの時は歳のわりに小柄な少年だった。

「当たり前だ。どれだけ成長したと思うんだよ」

「そうだな」

そう言って力無く、笑う。

「ほんと、ごめんな」

「なんでヘルトが謝るんだ」

「どうしてだろうな…謝らないといけない気がして」

「俺達は誰も悪くないよ。悪いのは」

「……」

クエートは最後まで言わなかったが、ヘルトは彼が何を言いたいのか心の中で思った。

『貴族達だ』

そう。貴族が全て悪い。戦争させているのも貴族達だ。

しかし

「戦争をさせているのは、皇帝かもな…」

ポツリとヘルトは言う。

クエートは「え?」と聞き返すが、彼は何も言わなかった。

そしてヘルトは血まみれた地面を歩いて帰った。


---------------------------------


「生きていたのは、お前達だけ、だと?」

頭を下げたまま二人は貴族の前に膝を床についていた。そしてその質問にヘルトが「はい」と答える。

その答えに貴族は小さな舌打ちをする。

「なんとも根性のない奴等だ」

その言葉にクエートの拳が震えた。

「まぁいい。皇帝に謁見をする。この辺りは制圧できたからな」

二人はついて来る為に着替えをメイドに持って来させた。

「…今回は大きな傷を負ってしまったな」

ヘルトは静かに言うと、クエートは振り返った。

「俺は、俺は、どうしたらいいんだろうな」

「それは俺もだよ」

「……そう、だな」

―違うんだ。クエート

ヘルトは言葉で肯定しても、心の中ではそのことを否定していた。

「面を上げよ」

皇帝が仰々しくそう言うと、貴族一人だけが顔を上げた。

後ろに膝をついているヘルトとクエートだけは頭を上げず、ジッと床だけを見ていた。

だからこの部屋にどれだけの人数が居るか、ソーサリーでしか探知することが出来ない。

この部屋に入ってきてすぐに地面に膝をつけたからだ。

「して、生きていおったのはお前達だけとな?」

皇帝の質問に貴族が答える。

「はい。窮地に追い込まれましたが、私めの力で勝つことが出来ました」

その言葉に皇帝は「ほぉ」と声を上げる。

またクエートの拳に力が入る。

「お前が直々に敵に手を下した、と?」

「最終的にはそうせざるを得ませんでした。

死んでいく部下達を見殺しにしていくことが出来ず、本来ならばキングは前に出るべきではないのですが…」

「………いる………」

隣で膝をついていたクエートの声が聞こえてきて、ヘルトは驚いた。

横目で見る彼は明らかに怒りで震えていた。

しかしまだ貴族達は彼の声が聞こえなかった様で、喋り続けていた。

―駄目だクエート。我慢しろ。

横目で精一杯彼を見て、頭を横に微かに動かす。

―我慢しろ。お願いだ。

ここで発言してしまっては、命が危ない。

皇帝の前で殺された人物が居たと、軍隊で噂になったことがある。

皇帝の意思を受け入れられず、否定した貴族だった。

だから皇帝に直接殺害されてしまった、と。


「何を言っている」


今度ははっきりと、クエートが言った。

ピタリと二人が話していたのを止めた。

―終わった。

頭からサーッと血が引いて行った様な気がした。

そしてクエートは勢いよく立ち上がった。

「お前は明らか戦況が不利だとわかっていながらも、俺達に進軍する様に言ったのは誰だ」

彼の口は止まらず、早口で捲し立てる。

「戦場に一歩も出て来ず、隊長が撤退を申し込んだ時も、お前は一切意見を聞き入れなかったじゃないか!

お前の指示のせいでどれだけの人数が死んだか!

お前は安全な所で俺達を見ていただけじゃないか!」

しん、と耳が痛い程静かだった。ヘルトの背中は汗でびっしょりだった。

そしてその沈黙を破ったのは皇帝だった。

彼は声をあげて笑っていたのだ。

「なるほどなるほど。なるほどな」

そう言って皇帝は立ち上がり、ゆっくりとした仕草でクエートの前に立った。

「お前はそれが許せない、と?」

「自分が発言したことによって死んでも悔いはない」

「お前はただ死にたいだけなんだろう?」

そのやり取りを見ていたヘルトは背筋が凍る様な気がした。この皇帝は一瞬でクエートの性格を当てた。

しかし当のクエートは眉に皺を寄せてた。

「そうやって自分の命を危うくして、楽しむタイプだ。自覚は無いみたいだがな」

「そんなことはない…です」

「まぁいい。もう一度聞こう。今のこいつの報告は全て嘘だった、と?」

「そうです」

「貴様!」

貴族は立ち上がって、怒りを露わにしてクエートの胸倉を掴んだ。

「こいつは何もしていません」

「お前等の行動は俺の成果になんだ!それだけでも誇りに思え!」

「なるほどなるほど」

皇帝は満足そうに頷いて、そして次の瞬間。


「くそだな」


そう言って自分の腰にかけていた剣を鞘から抜き出し、瞬時に貴族の首に一突きを入れた。

貴族は自分が何をされたのか理解出来ていない表情で、目を大きく開いて、口から血を吐いた。

クエートとヘルトはただ絶句をするしかなくなった。

この皇帝は表情を一つ変えずに、貴族を、自分の国民を殺害したのだ。

「あり得ない、と言いたい様な顔だな」

皇帝は笑顔で続ける。

「お前がして欲しかったことじゃないのか?」

「は…はい…でも…」

「無駄な人間を行かしておくことほど無駄なものはないからな。お前達はもう下がっていいぞ」

呆然としていると、皇帝はそのまま部屋から出て行ってしまった。

その後に従者がぞろぞろと皇帝の後に部屋を出ていく。

その時呆然としながらクエートは視線を感じた。

その方向へと目線を向けると、一人の男が彼を見ていた。はっきりとは分からなかったが相手は笑っている様な気がした。ほんの少し、ほんの少しだけ口角を上げている様に見えたのだ。



「俺は…間違っていたのかな」

数十分経ってクエートは口を開いた。

二人共動く気力も無く、そのまま床に座り込んでしまったのだ。

貴族の死体の近くで。

その部屋に死体を片付ける従者がやってきたが、二人を咎めなかった。だから二人はそこで呆然としていたのだ。

「何を?」

ヘルトは聞き返す。するとクエートは顔を上げ「だから!」と少し大きな声を出して、また俯く。

「あんな発言をしたから…殺されてしまったんだ」

チラリと死体の方へと目を向ける。大きく目を見開いた死体を見て。

「いつもですよ」

従者はポツリと言う。予想外の人物から返事をもらい、クエートは戸惑う。

「最近は特に酷い」

「いつもあなたが死体を?」

クエートの代わりにヘルトが質問をする。

「はい。それが俺の…いや私の仕事ですから」

ヘルトは少し相手を観察する。それに気が付かず次はクエートが質問をする。

「皇帝は何故自ら手をかけるのでしょうか?他の人に頼むことだって出来るはずなのに…」

「楽しいからでしょう」

「楽しい?」

「はい。初めて怒りの感情を露わにして、兵士を殺したことがあったのです。その時、彼は笑っていた。

そこからです。皇帝が自ら手をかける様になってから」

その話にクエートは青ざめる。

「しかし死体を片付けるだけがあなたの仕事とは…とても思えません」

今まで黙っていたヘルトが、ゆっくりとした口調で話しかける。

相手は黙ったままヘルトを見ていた。

「あなたのその腰にかけている剣の飾り、それはウィアディリー家の家紋に似ていますね。

そこまで似ているけど少し違う。あなたはもしかしてウィーアリー家の人物なのではないですか?」

そう指摘され、相手は黙って自分の剣の柄を見て、触る。

「こんなの、もう今じゃ形だけですよ」

「けれども二番目に皇帝に近い貴族ですよね?」

「それも、形だけ…」

相手は目を伏せたまま話を続ける。

「昔はウィアディリー家も皇帝を止める力があったはずですが、当主が病気になってから、なかなか政治に、戦争に関わることが出来ず、未熟な私の兄が当主の代行をする様になりました。

しかしやはり未熟なのは未熟。

もうウィアディリー家に皇帝を止める力も無い。そう。この前当主を失ったウィーアリー家もね」

「だから、こんなにも戦争が続いているのですか」

クエートは二人が何を話しているのかついて行けず、きょとんとしていた。その様子を見て、ヘルトは「ごめん」と苦笑いをする。

「クエート行こう。つまらない話をしてしまったね」

「あ…ああ…」

「待って下さい」

死体を手際よく片付けたのか、もう死体は、流れた血は全て綺麗に無くなっていた。

そして相手は立ち上がる。

「失礼ですが、あなたはただの兵士ではないですね」

その言葉にヘルトは目線を逸らす。

「俺の名はシュトラール・ウィーアリー。

あなたの名をお聞きしたい」

「俺は…」

真っ直ぐ見つめてくる目が酷く辛かった。

それは昔から知っている目。変わりない目。

その目は確信を得ている目でもあった。

嘘はつけない。


「お久しぶりです。シュトラール様

ヘルト・メルシリアです」


だからヘルトはそう答えるしかなかった。


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