未来編4
(11.02.20~14.04.29)
書き直し:16.09.03
逃げても逃げても追いかけてきた。もう足が覚束なくなっており、そして何度か転びそうになる。
しかしここで倒れてしまえば、後ろから追いかけている者達に捕まってしまう。
ようやく出口が見えてきて、そこから勢いよく出て行った。
酷く晴れた日だった。日に当たった皮膚が少し焼ける様な感触だった。足に力が抜けた。
誰かが酷くうろたえて、叫ぶ声が聞こえてくる。
だめだ。倒れては、そう自分で思ったのに、一瞬にして目の前が真っ暗になった。
「ここは私が止めるから、早く行って!」
突然ロウディットが倒れて、シュヴェアは彼の体を慌てて支える。ノルワールは少し苦い表情になり、そう叫んだ。反射的にシュヴェアはロウディットを引きずる様な形で走り出した。
「待て!」
異端者達は叫んだ。ノルワールの横を通り過ぎようとする者達を彼女は素早く投げ倒していく。
「ここは通す訳にはいかない…!」
ただノルワールは剣を持っていなかった。相手を止めるには体術しかなかった。
どこまで止められるか…彼女は心の中で少し不安に思っていたが、今の感触であれば、自分でもこの人数なら大丈夫だと、そう思った。
異端者達は一人の女性に自分達が足止めをさせられていることに焦りを感じた。
どうすればいいのだろう、早く行かないと対象が逃げてしまう。ひそひそと小さな声がノルワールの耳にも伝わってきた。
そこで彼女は思った。
彼等はただ一般人だったのではないか、と。
ましてや異端者だ。能力を持っていない者と、持っている者では実力の差が違う。
ここは勝てる。そう思った。
「やはり異端者だけではノルワールを倒すことは出来ないわね」
ゾワリと背筋が凍った。その声は、彼女にとってのトラウマだったからだ。
まだ新しい記憶で、その声の主がノルワールにやってきたことが脳裏に浮かぶ。唇の端を噛んで、相手の名前を苦々しく言った。
「グレッチャー…さま」
ナーザイナの妻で、そして今は彼等の息子の体に入って、その体を操っていた。
「この前されたことがよほど気に入ったのね。逃げ出すなんて、そう言う意味よね?」
ノルワールは黙ったまま彼女を見ていた。
何故、自分の息子にドッペル・デュールをしたのだろう、と考えながら。
彼女は自分の息子である、エーケンを溺愛していた。彼が転び、少しでも怪我をすれば騒ぎを起こして、彼を治療していた。それがやけに異常で、ノルワールは決して彼女に近づかなかった。
グレッチャーは、数年前に亡くなったと聞いていたのだが
「まさかドッペル・デュールをするために体を棄てたと言うのですか?」
思わず声が出た。突然のノルワールからの問いに、彼女は「うーん」と少し考える仕草をして、答える。
「確かに私は病魔に侵されていたわ。もう自分の命すら危ういって知っていた。
でもエーケンを一人ぼっちには出来ないでしょう?可哀想じゃない。こんなに愛くるしいこの子を一人にするなんて」
「…………」
「アルヴィナルのブルートが、ならドッペル・デュールをすればいいと提案してきたのよ。そうすればこの子と更にずっと一緒に居られるでしょう?なんて素敵な術なんでしょう」
「その術は、体を成長させずに、歳もとれずに、そして死体も残らないものだと知っていて、それを言っているのですか?」
低い声で問いかけると彼女はにっこりと笑って「ええ」と答えた。
「あなたは…自分の息子をなんだとお思いですか…!」
声に力が入る。反対に相手はのんびりとした口調で言った。
「私のかわいいエーケンよ」
「その子はあんたの所有物ではない!」
ノルワールは真っ直ぐに駆け出した。
「あなたの我儘でその子の人生を無駄にするな!」
ピクリとグレッチャーの眉が動いた。
「私の、我儘ですって?」
地面に倒れている異端者の剣を素早く手に取り、斬りかかる。
「そんなはずはないでしょう!」
彼女の炎のツオバーがノルワールに向かってくる。それをかわそうと体をひねった。
「私はウィアディリーの為、いいえ、ナーザイナ様の為に生きてきたのよ!私は一つも我儘を言っていない!私はナーザイナ様の為、この子の為、ウィーアリーの為に生きてきたのだから!
我儘はあなた達よ!ウィアディリー!あなた達が私達の上に立って、ずっとずっとずっと権力を使って私達をないがしろにしてきたじゃない!」
ノルワールはグレッチャーの首に剣を向けて、動きを止めた。彼女の右腕は、避けきれなかったのか、黒く焦げた跡があった。
息を荒くして、ノルワールは彼女を睨んだ。
「その子を解放してあげろ。グレッチャー!
エーケン!聞こえるでしょ!ノルワールよ!あなたの声を聞かせて!」
「うるさい!
ああ、エーケン寝ていていいからね、全部お母様が守ってあげるから、答えなくていいのよ?全てウィアディリー家の戯言。あなたには毒なのよ」
カタカタと体が震え始めているのがわかった。
「エーケン!昔あなたに教えたことを全て忘れてしまったと言うの!あなたは!あなたのやりたいことをやればいいと教えたはずよ!」
「エーケン!聞かなくていいから!」
その瞬間、ビクンと体が震え、俯いたまま止まった。
ノルワールは剣を首筋から離し、しばらく様子を見ていた。
こんな幼い子に、何故、ドッペル・デュールをしたのか、怒りを感じながら。
「…………る…」
その体が声を微かに出した。ノルワールは少し構えて再び様子を見る。
「のる、わーる…さま…」
顔を上げた、彼の表情はどこか悲しそうな、求める様な、そんな苦しそうな表情だった。
「エーケン、久しぶりね。元気?」
ノルワールはそう声をかけるとエーケンはいつも通り暗い表情で彼女を見た。それを笑顔で見返す。
ナーザイナが居なくなり、数年が経った。そして彼の母親は病気でずっと寝込んでいる。
その日からだった、彼が会うたびにそんな暗い表情で人々を見る様になったのは。
「ノルワール様、こんにちは」
ぺこりとお辞儀をして、また目を伏せた。
「今日も相変わらずなのね。グレッチャー様の容体は相変わらずなの?」
「………」
「それとも、また何かグレッチャー様に言われた?」
昔から彼女は口うるさかった。それが床に伏せってから、更に酷く感じると、エーケンの表情を見て思う。
しかし彼はあまり口を開かない子供だった。何事も自分が感動したこと、嬉しかったこと、嫌だったことも口を開かず、黙っていた。
前に会った時に「母上が…」と口を開いてきたことが奇跡に近いことだと、ノルワールは思っていた。
『母上が、ずっと僕は何も考えなくていいって言うんです』
彼はまだ九歳だった。なのに母親の言うことに疑問に思っていることに少し驚いたのを思い出す
彼が生まれた時から知っているノルワールにとって、なんと成長が早いのだろう、と思う。自分の弟であるヒューウェイはただ、ただ兄のヴィルカーンを追いかけてばかりだったな、と懐かしい気もした。
しかし彼は一人息子だ。
確かに母親であるグレッチャーは彼が心配になるのもわかる。自分の息子がかわいく見えるのもわかる。しかしあまりに干渉し過ぎていると思っていた。
自分の親しか知らないが、あまりにも度が過ぎていると思っていた。
彼が少し母親のことをうっとおしく思ってしまうのも、わかる。話を聞いてうんざりした。
「剣術、教えてあげようか?」
そう言うとエーケンは顔をぱっと上げ、少し明るい表情になった。
体を動かすのが好きな彼は、手合せするのも夢中になっていた。まるで現実から逃避したいかの様な…
彼の技術はみるみる上達していった。おそらく力が強くなっていく分、ノルワールよりも強くなるのだろう。
ヒューウェイみたいに。
それが少し寂しくもあり、愛しくもあった。
けれど今のこの明るい表情をしている彼を見て、そんな寂しさはなくなっていったのだった。
「ノルワール様…」
ポロリと彼の目から大きな涙の粒が流れた。
「僕を…ころしてください…」
そう言われ、ノルワールは息を呑むしか出来なかった。
そしてその瞬間、「エーケンンンンンンン」と叫んだ。
しかしその叫び声を上げなくなったかと思うと「もう嫌だ!」と再び叫ぶ。
「あなた自分が何を言っているのかわかっているの?何を言っているの?」
「いやだ…いやだ…!」
「答えなさい!エーケン!あなたは死んではいけないのよ!」
「もう…許して…ゆるしてください…」
「何を許すと言うの!あなたは悪いことは一つもしていないじゃない!」
「ちがう…違う…」
頭を抱えて、一人でに叫んだり、小さな震える声で言ったり、していた。それを見てノルワールは眉間に皺を寄せて彼の溝内を思いっきり殴った。
彼は大きく息を吸い「もう…嫌なんだ…」と言って倒れ込んでしまった。
辺りは静かになり、ノルワールは途方に暮れた。
無理矢理ドッペル・デュールされた彼を、どう解放してあげたらいいのだろう、そればかり考えて。
彼女はその時動揺していた。それを彼女は気づいていなかった。
そう後ろから足音がしたことさえ、気が付いていなかったのだ。
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「アルヴィナル家を…滅ぼす?本気で言っているのかい?」
テリーナが酷く狼狽えながら言うと、ツヴェルクは黙って頷いた。
「アルヴィナル家の方が、アルヴィナル家を滅ぼすって?なんの冗談なのですか…」
「冗談も何も言っていない。ただここに書いてあっただけだ」
「それは…?」
「メルシリア家の当主からずいぶん昔に預かった、禁書だ」
テリーナは更に混乱した。何故ハーリッドが禁書を持っていたのか、何故それをツヴェルクに渡したのか?
「昔、アルヴィナルとメルシリアには交流があったそうだ。それを、ブルートが壊した。彼自身にドッペル・デュールをしたことによって」
「そのことを…ご存じだったのですか?」
「確かに俺はツオバーだ。けれどずっとあれと暮らしてきたんだ。顔形が違っても間でわかるものだ。あれは、確かに俺達の父親と同じだ」
「けれどあなたはずっとナーザイナと共に行動してきた。少なくとも、彼の思考に賛同して、一緒にいたのでしょう?」
「…俺は父上に、ブルート・アルヴィナルに言われたからそのまま従ってきた。
それは再び姉上と会う為、いいや会う為と理由をつけながらもしかしたら、自分で考えることを放棄していただけかもしれない…」
ツヴェルクの話をテリーナは黙って聞いていた。
「姉上が亡くなって、そして俺は一人になった。牢でずっと考えていた。
何故姉は俺と一緒の考えではないのかと、ずっとずっと考えてもわからなかった。もしかしたら俺は必要とされていない人間だったのかもしれない。
そこでこの禁書を読んだ。これにはドッペル・デュールの解除方法が書かれている。だからブルートはこれを取り戻したがるのだろう。
そしてこの最後のページには、俺の本当の父上の願いが…書かれていた」
「あなたはブルートの言いなりになり、そして会ったこともない父上の言いなりに、次はなるのですか?」
その物言いに、ツヴェルクは力無く笑う。それは自嘲する様な笑いだった。
「確かにあなたの言う通りかもしれない。もしかしたら俺はこれからもずっと他人に依存して生きていく
しかないのかもしれない。それでも俺はアルヴィナルを滅ぼさなければならない」
「何故?」
「ブルート・アルヴィナルは人間を人間だとは思わない。他人を実験の道具だとしか考えていないからだ」
ツヴェルクの脳内でフィルチェイナの言葉が一瞬浮かんで、そして消えた。
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「一つ聞いてもいいかしら?ウェイト」
リヒトが息を荒くさせながら問うと、ウェイトは「なんだ」と彼も息を切らしながら言った。
「彼本当に異端者なのかしら?」
「あいつはあの時代にも生きていた異端者だ。伊達に今まで生きたって訳じゃない」
「五大貴族も落ちたものだな」
ケラケラと笑いながらブルートは言う、
「まぁアーベント家は昔から平和主義の貴族だったから、戦いなんぞ知らないのだろうがな」
「あなただって体を取り込まないと動けないくせに何を仰っているのかしら?」
息を荒くしたままリヒトは笑いながら言った。ウェイトはそんな彼女を見て状況はあまり良くないと思っていた。
彼女は案の定疲れているし、ヒューウェイの体もかなり消耗している。ドッペル・デュールをしてすぐにここまで動いているのだ。それにロウディット達は無事に、逃げられたのだろうかと頭によぎる。
「クエート」
ボソリと声をかけられ、一瞬我に返った。しかしその一瞬呆然としていたその時間が致命傷となる。
腹を刺されそうになり、一瞬にしてそれを避けようとした、が横腹に刺さってしまったのだ。思わず悲鳴が口から洩れる。
「お前は昔から周りが見えすぎている。それが長所でもあり、そして短所だ。
自分のことがまるで見えていない。自分を見ようとしていないからだ」
ソーサリーで傷を癒そうとするが、傷が癒えない。刺さっている剣を見るとそこにはベルジゲルがびっしりと描かれていたのだ。
「結局他人は誰もお前を助けてはくれないのに、何故お前はずっと他人を気にする?
そうしたら他人はお前を好いてくれるからか?いやしかし結局人間とは自分の欲望ばかりに目を向けて、結局他人などには目を向けない、そう言う生き物ではないか」
その物言いにウェイトは鼻で笑う。
「お前の様にな」
「結局それが世界の真理なのだ。お前のそれも偽善なのだろう?結局自分の自己満足で動いているのだろう?」
「何を、ごちゃごちゃと」
ウェイトは歯を食いしばり、剣をブルートに突き刺す。彼はそれを避ける際、ウェイトから剣を引き抜いた。その時も再び彼の低い悲鳴が響く。
ソーサリーで傷を癒しながら、荒い息で言う。
「他人の為だとか、自分の為だとか、そんなのは結局俺には関係ない。
俺はお前みたいな人間にはなりたくないだけだ」
「ほぉ?俺みたいな?」
「そうお前みたいな」
「確かに、あなたみたいには生きたいとは思わないわね」
リヒトが一歩踏み出して、ウェイトの隣に立つ。そして手を動かして、彼にサインを送る。それを見たウェイトは少し驚いた表情をしたが、すぐに剣を構えた。
「実験ばかりを相手にしていて、人間から離れようとしているのかしら」
リヒトはブルートに斬りかかるが、微かな所で躱されてしまう。
彼女は小さな舌打ちをついて、次の攻撃に移るが、しかしそれも躱されてしまった。
「体によって運動神経も違って来てね。さすがウィアディリーと感動してしまうよ。これだけは彼等に感謝しているよ」
ブルートは今まで様々な人間に対してドッペル・デュールを行ってきた。そこで気が付いたのは、運動神経の違い。今までハーリッドの体の中に居たせいでヴィルカーンの体がやけに軽く感じていた。
もしこれがハーリッドの体であれば二人はとっくに彼を斬っていたのかもしれない。けれどヴィルカーンはウィアディリー家の中でも、剣術に長けていた。
ヒューウェイはツオバーでは兄に負けなかった。しかし剣術では彼に負け続けていたのだ。
ウェイトのソーサリーの能力でもそれに勝つことができない。
しかし先程のリヒトのサインには目を開いた。
援護が来ると言うサイン。
ソーサリーを回復の方に集中していたので、すぐには気が付かなかったのだが、確かに誰かがこちらに、向かって来ていた。どこか懐かしい、けれど誰だかすぐに思い出せない様な、そんな気配。
その時、リヒトの体が宙に浮いた。ブルートの力で押し出されたのだ。
彼女は壁にぶつかり、そのまま腰を床につけた。
ブルートはにんまりと笑って、剣を振り降ろそうとした。
間に合わない
ウェイトはそこから走り出そうとするが、先程の傷が痛み膝を床につけてしまった。
「やめろおおおおおおお!」
叫ぶウェイトに目を向けたブルートは笑ったままウェイトを見ていた。そして口が動いた。
「お前は 何年経っても 誰も 救えない」
剣が振り降ろされた。
あの音が、頭の中で響く。
フィルが斬られた時の、あの音が、離れていても頭の中で響いてきた。
その音が、離れない。
キィイイイイン
しかしそこに響いたのは、肉を斬る音ではなく、金属がぶつかるその音だった。ウェイトはそこで自分が目を逸らしていることに気が付き、顔を上げ、リヒトの方を見ると、
そこには、ツヴェルクが、居た。
彼はリヒトとブルートの前に立ち、剣を構えて立っていた。
そして彼は剣を力いっぱい弾き飛ばし、ブルートがよろめいた所で、ツヴェルクは真っ直ぐと彼を見つめたまま、そこから動かなかった。
すると彼の前にぽつっと炎が現れる。
そしてそれは次々と円を描いて行き、そしてウェイトが見たことのない紋章が出来上がった。
それを見たブルートは呆気にとられ「なぜ…それを…」と絶句した様子で目を見開いて見ていた。
それは美しい炎で、ウェイトは、リヒトさえも見惚れていた。そして逃げようとしたブルートを追いかける様にその炎の紋章をそれにぶつけた。
辺りはブルートの醜い悲鳴が響き渡り、彼を焼いた。
「くそ…くそ………くそぉ!」
ブルートは暴れ、剣を壁に打ち付けた。そしてツヴェルクに襲い掛かる。
ツヴェルクは静かに息を呑んで、それを見ていた。
その時
「が…は…」
彼の胸から刃が突き出ていた。
後ろを見るとそこにはヒューウェイの姿が目に映った。
どこか辛そうなそんな表情で、彼はブルートを、ヴィルカーンの体を突き刺していたのだった。
彼は何とかして、体をよじりゆっくりと手を出した。
その手はヒューウェイの頭に乗り、そして言った。
「辛い、おもいをさせてしまったな」
ヒューウェイの目から大粒の涙がぽろぽろと流れていた。
「なき、虫なのは…変わっていないな…」
フフッとヴィルカーンは笑う。
そして
「ありがとう…術を解いてくれて…」
ツヴェルクの方を向き、そう言った。彼は少し驚いた表情で、「あ、ああ」と言う。
「俺は…俺として…しねる…」
彼がそう言った瞬間、ヒューウェイは彼の体から剣を引き抜いた。
引き抜かれた彼の体から大量の血が流れ、そして彼は倒れた。
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ノルワールは途方に暮れていた。エーケンはグレッチャーから離れたいと思っている。しかしドッペル・デュールがそれを許さない。
拒絶をしているのに、それが許されないなんと残酷なことなのだろう。
その時、ざりっと土を踏む音が聞こえてきて、反射的に振り返った。
「テリーナ…さん…?」
そこにはテリーナが苦笑しながら立っていた。
「どうやらお一人で片付けられていたご様子ですね」
彼は少し自嘲気味に笑う。そして彼女の足元に倒れている少年の姿を見て、彼は眉間に皺を寄せた。
「こんな子供まで…」
「いいえ」
彼女はテリーナの顔を見ずに、ただその子を見て否定した。何を言っているのかわかっていない様子で彼女を見ていると、ポツリと言った。
「ドッペル・デュールを解く方法があれば…彼を救うことができるのですが…」
眉間に皺を寄せて、悔しそうな低い声が彼女から漏れ出る。
「ならツヴェルクさんに会いましょう」
テリーナは笑顔でそう言うと、ノルワールはきょとんとした表情で彼を見た。テリーナは少し戸惑いながら「ツヴェルクさんが禁書を読んでいて、これならブルートだけを倒せるのかもしれない、って仰っていたので、おそらくその術を解く方法がわかったのではないかな、と思うのですが…」
「か、彼はどこに…!」
「僕よりも先に屋敷に入って行きました。裏から入って行ったのでここを通らなかったのですが…
どうやらアルヴィナル家は様々な通路があるらしく、二手に分かれた方が早く見つかるのではないかって…」
「な、なら彼が目を覚ます前に!早くしないと…!」
彼女が目を覚ましてしまえば面倒なことになる。その慌て様にテリーナは少し慌てて止める。
「それよりもノルワール様。お怪我を治してください」
「あ、そ、そうですね…」
自分の怪我に手を当てた時、ふと彼女は気が付いた。
「あれ…あなた…ソーサリーは…」
その瞬間テリーナの肩が小さく震え、そして彼は自嘲気味に笑った。
「どうやら能力自体が無くなってしまった様でして…僕は、もう五大貴族には居られないでしょうね」
「そんな…馬鹿な…」
「僕にも何故こうなってしまったのかわからないのですが…けれどまぁ、こうなってしまったのなら、もう何もできることは無いでしょう」
ノルワールは彼の経歴を知っていた。ウィアディリーに仕えるべきの彼はメルシリアに飛ばされてしまった。
それがいかに屈辱だったに違いない。
「けれど」
そんな彼が口を開く。
「デルカンドでは無くなったら、僕は坊ちゃんに仕えることが出来ないと思うと少し、残念ですね」
苦笑いをしながら、彼はそう言った。
そんな彼の頭をノルワールは撫でた。
「大丈夫、その時は私からメルシリアに言うわ」
「それは心強い」
ははは、と彼は笑い、そしてエーケンを抱えて、再びアルヴィナルの屋敷に入って行った。
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頭痛が激しい。
ガンガンする。
体も動かない。
暗い。
視界が狭い。
「いだ…い…」
思わず声が出た。その声はまるで自分の声ではない、そんな声だった。それに一瞬戸惑ったが、頭痛でそれさえも考えられなくなった。
とりあえず痛い。
どうすればいいのかわからない。判断できない。
どうしたらいいんだ…どうしたら…
「ヘルト!」
大きな声が響いた。顔を上げると、どこの廊下だろうか、見たことのない景色が目の前に広がっていた。しかしそこは酷く懐かしい。
「どうかしたか?大丈夫か?」
そう声をかけてきたのは、ウェイトだった。あのフィルが生きている時に見かけた、彼その者だった。
「くえー…と」
しかしその口は勝手に彼の過去の名前を呼ぶ。しかし彼も特に不可解に思っていない様子で再び「大丈夫か?」と声をかける。
「だい、じょうぶ…」
そう言って自分は立ち上がった。そこで違和感に気が付いた。
これは自分であって、自分ではないことに彼は気が付いたのだ。
まるで自分の意思が通じない、体を自由に操ることができない。そのことに気が付いたのだ。
頭痛はまだするのに、自分は大丈夫と言い、動こうとする。正直このまま眠ってしまいたい程の辛さなのに、自分は立ち上がろうとしている。
それにクエートとは呼ばない、ウェイトだ。
頭がガンガンする。
何が何だか理解できない。
そこでクエートは耳元でこう囁いた。
「なら異端者を抹殺しないと」
その時自分の表情が歪んでいく様な気がして、そして言った。
「そうだな。異端者は抹殺しないと」
そしてロウディットの頭の中で、自分を追いかけてきた彼等の、姿が見えた。
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まさか、と思った。
ドッペル・デュールを解いてしまう方法があったことに驚いていたのもあるが、目の前の青年にもリヒトは驚きを隠せなかった。
あの時の少年だ。面影をはっきりと残して、成長していたのだ。
あの自分自身が笑う死神と称される様になった、あの皇帝の暗殺を阻止した、あの任務。
おそらくあれはもう忘れられないだろうとずっと思っている。
十年と経っているのだが、今でも忘れない。あれは自分の監督不足だったのだ。そもそも彼を含めてその任務を行うべきではなかったと、今でも後悔している程だ。
そしてそれは一瞬にして起こった。
彼がその暗殺部隊の一人に捕まり、そして怪我を負わされた。それは深い、気絶しててもおかしくはない程だった。
それ程の深い傷だったのに、彼ははっきりと目を見開き、暗殺部隊をじっと睨んでいたのだ。ギリギリと、ギリギリと歯を鳴らして。
その時だった。大きな爆発が起こってしまったのは。
リヒトはソーサリーでそれを相殺することができたのだが、隊員の半数は彼の力によって殺されてしまったのだ。そしてもちろん、暗殺部隊は全壊していた。
彼は力尽きたのか、床に突っ伏していた。
すぐさま彼にソーサリーをかけ、他の隊員にもソーサリーをかける。
そしてにっこりと笑い「このことは内密にね」と念を押したのだ。それが笑う死神の所以だった。
「大きく成長したのね」
ポツリと小さな声で言うと彼は振り向いた。
「覚えていないだろうけれど、お久しぶりね、ツヴェルク・アルヴィナル。
あの後あなたの父上にあなたの近くに居て欲しいと部下に願いを出したのだけれども、それを拒否されてしまって、あなたを心配していたわ」
ツヴェルクは少し呆然としながら立ち上がる。リヒトも服に着いた埃を払いながら立ち上がった。
「けれどもあれはアルヴィナルの創立者、だとそこのウェイトから聞いているわ。アルヴィナルを裏切る様なことをしてよかったのかしら?」
そこで彼は思い出したのか「ああ」と頭を下げた。
「これは失礼しました。リヒト・アーベント様」
その様子を見て、彼女は少し目を大きく開く。
「覚えていたの?」
「もちろんでございます。俺を助けてくれた、あなたを忘れる訳がない」
あの時、リヒトは気が付いていなかったのだが、ツヴェルクには意識があった。うっすらと目を開けると、『大丈夫、大丈夫だから』と声が聞こえてきた。
『こんな所で死んではいけないよ。あなたはもっと生きて、もっとたくさんのことを学ばなくてはいけないのだから』
少し憐れんだ様なそんな声だった。
そして酷く消衰して、精神が安定していなかった時も、彼女は付きっ切りでツヴェルクの看病をしていたのだ。
『父上はすぐに来てくださいますからね。それまでは私が一緒に居ます』
きっと母親が居ればこんな風だったのだとそう思っていた。
「あの時は本当にお世話になりました」
再び頭を深く下げる。
「いいわ、あなたのその元気な姿を見ることができたのだから」
「先程の質問…俺はアルヴィナルを滅ぼすためにここに来ました」
「自分の貴族を自分で壊そうと?」
「知っていますか?
アルヴィナル家の当主は必ずブルート・アルヴィナルをドッペル・デュールしなければなりません」
「今ではそれが壊れていて、彼はウィアディリーの長男にまで手を出した様だけれども、私は知らなかったわ」
「俺はブルート・アルヴィナルがどれだけ残酷な人間か、知っています。一緒に暮らしてきたわけですから。
そしてどんな実験をしてきたかも知っています。この禁書に書かれていましたから。
これを読んで俺はアルヴィナルはもう存在していてはいけないのだと、考えました。
けれどアルヴィナル自体は俺とブルートしかもう存在しないのですから。だったら俺自身が、ブルートを消したら…皆喜んでくれるんじゃないかなって…」
「皆?」
「姉上と、父上。です…母上は、もうどんな方だったのか覚えていなくて…
あの時は姉上が一人で震えていたことしか頭にないので、彼等の為になるかなって…
結局は俺の中ではそれなんだなって思うのですけど」
「後悔はしていないんだろ?」
後ろからヒューウェイが話しかけてきて、ツヴェルクは力無く頷いた。
「ならそれでいい。あなたが決めたのだから、誰もそれに関して口を出すことはできない」
「あなたの兄上なのに…その…」
「俺が殺したんだ。あんたじゃない」
そう言ってヒューウェイはツヴェルクの肩を軽く叩いて、出口へと向かって行った。
「彼も選んだの。この結果を」
リヒトは一歩先に出て振り返った。
「さすがに他人の選択まで責任を持ってはこの先がしんどいだけだわ」
そして手を伸ばし「行きましょう」と言うとツヴェルクは頷いて一歩進んだ。




