過去編6
(11.02.20~14.04.29)
書き直し:16.06.25
「はぁ…はぁ…はぁ…」
酷い夢を見た。
酷く、残酷な夢を見た。
しばらくそこから動くことが出来なかった。しばらく呆然と天井を見ていた。
「ゆめか…」
ようやくあれが夢だったことを認識して、ほっと安堵した。
最近よく見る夢だ。おかげで最近は眠れていない。
最初はただの夢だと思った。しかし最近は連続してそれを見る。何かを伝えようとしているのか。
そして一瞬自分の背筋がゾクリとした。
今の夢は自分が血まみれの中、親友とその中に居た。その血は親友のものだった。
彼はそのまま冷たくなっていき、自分の無力さを、そしてその時代の残酷さを理解して、そこでいつも終わる。
しかしもう一つ見る夢がある。
皇帝を
この国を
恨む夢だ。
自分がそんな感情を抱いてはいけないことをわかっている。
しかしそれを思い出した瞬間、背筋が凍り、何もかも壊したくなる衝動に駆られる。
いいや、ただの夢だ。
何度それを思っただろう。
何度もそれを思った。しかし夢の中に居る自分は何度も何度も伝えてくる。
『僕は間違っていた。間違いを正さなくてはいけない。例え自分の命が付きようとも、僕は、この国を正さなくてはいけない』
それを思い出し、頭に手を添える。
「でも正しいことは一つもないって君は、言っていたじゃないか…?」
君はそれを押し付けているのではないのか?
大きくため息をついて、ベッドから抜け出した。
その夜はやけに涼しかった。
昼間の厚さが嘘の様に、冷たい風が吹く。
その時、風と共に小さな声が聞こえてきた。
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「お願いだ、誰か助けてくれ…」
「無駄だ。誰も助けることは出来ない」
「もう死にたいんだ」
「無理だ。許される訳がない」
「シュトラールだって助けられなかった」
「俺は誰も助けていない」
「シュヴァルツだって、無事かどうか」
「あの状態で無事だと思っているのはお前だけだ」
「もういい。死にたい」
「死ねない」
「うるさい!」
クエートは頭を抱えて叫んだ。
周りが黒く塗りつぶされた世界で。
しかし彼が叫んでも声々は止まらなかった。
「うるさいって」
「お前もうるさいぞ」
「そうだよ」
「うるさい!うるさい!」
はぁっと一人がため息をついた。そして近づいてくる気配を感じる。そして顎に手を伸ばして、無理矢理相手と向き合わせた。
そこにあったのは、自分と全く同じ顔だった。目を逸らそうとしても、それは許さなかった。
「お前は死ねない。お前は誰も救えていない。そして俺達は黙ることはない。
お前が思考を止めれば、一切、何も思い出さずに、感情も持たずに、脳内をからっぽに出来るなら話は別だがな」
「やめてくれ…」
「お前のその弱さがこれを招いたんだ。
お前のせいだ。俺のせいだ。だから俺は呪いをかけられたんだ。ドッペル・デュールをかけられたんだ」
クエートはその手から逃れ、首を横に振った。
「ほぉら、周りを見てみろよ。俺が居るだろう?
母親が生きていた時の俺、兵士になった時の俺、ヘルトが貴族になったばかりの俺、シュヴァルツに出会った時の俺、そして」
相手は眉に皺を寄せて、口角を上げたまま自分の手をそのまま胸に強く当てた。
「俺を恨む俺」
そしてその手を指さして、同じ表情で言った。
「お前は誰だ?」
「お、俺は…」
「お前なんて消えてしまえばよかったんだ」
「やめろ…やめてくれ…」
「お前さえ居なければ、シュヴァルツは死なずに済んだ」
「やめてくれ…」
「お前が代わりに死んでくれれば、俺だってこんな所で苦しまずに済んだのになぁ?」
「やめてくれ!」
『おーい?』
第三者の声がふいに聞こえてきて、クエートは酷く驚いた。
しばらくそんなことがなかったからだ。驚いたせいか、先程目の前に居た人物はもちろん、周りに居た人物さえも消えて居なくなっていた。
クエートの口は震えていて、声を出せなかった。
『あれ?これドッペル・デュールされた精神体だろ?何もないわけないのに。それか死んじゃったのか?
おーい』
「な…」
『お?』
何とか出した声が聞こえたのか、相手は少し嬉しそうな声を出す。
「なんの、用だ…」
『なんだ、生きていたんだ』
「だれ…だ…」
その問いかけに相手は一瞬黙ってしまった。そしてどこか覚悟した様に声に力が入っていた。
『シャルテン』
突然名乗ったその名前に衝撃が走って「え…」と呆然とする。しかしそれも束の間、急かす様に彼が聞いてきた。
『お前はなんて名前なんだ?』
「お、俺は…」
答える名前なんて、名前を答える資格なんて、醜い名前を…
だから
「う、ウェイトだ」
嘘をついた。相手は「うーん」と言って
『ふぅんウェイトか。変な名前だな』
とカラカラ笑って言う。クエートは戸惑うしかなかった。
「へ、変…」
『なぁウェイト、お前いつから生きているんだ?』
「いつから?今何年かわからないから知りようがない」
『そうか、精神体となった者は時間の感覚が無くなるのか…今は国歴四十一年だよ』
相手が聞き覚えの無いこと言い、クエートは何も言えなかった。一拍置いてから相手に聞く。
「国歴ってなんだ…?」
『え、国歴…を知らないのか、まさか国歴以前から生きている戦争時代の精神体か?』
「戦争時代…」
『またの名を差別の時代。ロイヒテン・ウィアディリーがそう名付けたんだ』
「ロイヒテンが?」
クエートのその言葉で相手は驚く。そして早口に言った。
『これは収穫だ!決めた!お前外の世界に出たいとは思わないか?
ずっとこんな所でうじうじしてても、退屈なだけだろう?』
ぬっと上から手が伸びてきた。クエートは知っていた。この手を取れば、自分は外に出られる。
『本当に、外に出たいのか?』
後ろから声が聞こえてきた。
『本当に、出て良いのか?』
後ろを振り返ると、あからさまに不愉快にな表情をした自分が立っていた。
『どうせお前が出た所で何も変わりやしない。
俺はもう世界には不必要な、異質な存在だからだ』
「それでも俺は、外へ出たい!」
クエートはそう叫んで、その手を強く掴んだ。
何かが変わると思ったんだ。
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「い、今なんと…」
「お前には当主を辞めてもらうことになった」
彼女の前には男達が数人居た。
「わ、私に秘密裏にそんなことが許されてたまるか!」
「しかしここに居る全員はもちろん、他の者も賛成してもらった。
お前は向こうの貴族に行ってもらう」
彼女は絶句するしかなかった。
「嫁として、行ってもらうのだ」
「は?」
「お前は女だ。それしか方法は無かった」
「ふ、ふざけるな!」
「ふざけてなど、居ないよ。こちらとして本当に残念だと思っている。
今まで当主ご苦労だったな」
「これ…」
クエートは小さい書籍を持って、外で読んでいた。今夜は満月で、夜でも本が読めた。
しかし彼の自分の体ではなく、シャルテンの体だったのだが。
『なんだよ、ウェイト』
「この小説ってフィクションなのか?」
『フィクションなんだけど、一人の女性を題材にしているんだ』
「誰?」
『えっと、シュネー・アーベントだったかな。彼女はアーベント家の当主だったんだけど、結局そこからデルカンドに嫁ぐことになって、結局そこから何も出来ずに死んだんだ』
「へぇ…」
『あーそうそう彼女は確かウィアディリー家の当主を殺害して、そのまま処刑されたんだっけ』
「え?」
『確かロイヒテン・ウィアディリーに恨みを持っていたんだよ』
その彼の言葉に、彼は慌てる。
「え、なんで」
『彼女をアーベントから追放したのは、ロイヒテンだったから、だったかな?』
「え?なんでシュネーをアーベントから追放したんだ?」
「それは彼女の思想が危険だと思ったからですよ」
横から声が聞こえてきて、クエートは驚きのあまり、肩を震わせ、意識をシャルテンに返した。
彼は落ち着いた様子で、小さなため息をついて「なんだ。お前か」と言うと、相手は少し怒った様子で口を開く。
「なんだではありません。独り言が聞こえてくると思えば、風邪を召されますよ」
「それで?彼女のどんな思想が危ないと思ったんだ?」
「彼女は実力主義者だった。それも偏り過ぎたね。
皇帝もそうだったけれども、確かに競争は大切だ。実力が大切と言う声もわかる。
しかしそれが偏りすぎてしまうと、あの戦争時代の様なことが起こりかねます。
人が人ではなくなり、国は崩壊してしまうんですよ」
「ふぅん。でも結局追放したら、その人物が復讐しにくることだって、あるだろう?この小説の中の女性は復讐しようとして、失敗しているけど」
「実際はその復讐は成功したんですよ」
「ああ、それでウィアディリー家の当主が殺されたとか」
シャルテンの言葉にクエートは絶句するしかなかった。そしてこの目の前に居る男はやけに詳しいと、違和感に気が付いた。
「ところでお一つ聞きたいことがあります。あなた何をしたんですか?」
相手と少し距離を取っていたのを、一気に詰めてきた。後ろに下がろうとしても、そこには壁があり、背中にぶつかった。
なお彼は近づいてきて、ダァンとシャルテンの横を叩いた。音が少し周りに響く。
「いいや?」
そんな彼を見てシャルテンは笑ってごまかす。
「まさかそんなお言葉を信じるとお思いで?そこまで私の力は低くありません。
あなた、ドッペル・デュールをしたでしょう!」
「何をそんなに怒っている?」
「ドッペル・デュールは危険な術だと、教えたはずです!あなたの命はあなた一人の物ではないことはお分かりでしょう!」
「危険なのは、精神体になる時だ。実際にドッペル・デュールをしたって体に支障はない」
「けれどこの術にはわからないことが多い!それをあなたがする必要なんてないんだ!」
「お前…」
「私はあなたをみすみす殺す訳にはいかない!私はこの国を立て直すために…」
途中で相手の言葉が途切れた。そして彼は頭に手を当てて、小さく震え始めた。
「違う…ちがう!」
「おい?」
「お前なんて知らない!お前の考えなんて知らないんだ!」
「大丈夫か?」
「俺に指図するな!」
「おーい」
「俺は、お前じゃない!」
ドッと鈍い音がした。そして相手は床に倒れた。
クエートは恐る恐るシャルテンに声をかける。
『お、おい…?』
「最近こうなることがある」
彼の声は静かで、低く、落ち着いていた。それが少しクエートに恐怖を与える。
『え?』
「特に酷いんだ。こいつの中に誰かが居て、そいつがこいつを指図しているみたいだ。
でもそれを聞いてもこいつは何も話してくれなくて、私にだってわからない。こいつの目の下。はっきりとくまが出来ているだろ。
ゆっくり眠れていないんだ」
『……』
「無理矢理にでも、寝かしてやった方がいいのが正しいのかわからないけど」
『この人は一体何者なんだ?』
「今の、ウィアディリー家の当主だよ」
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「どこだ…!どこに居るんだ!」
ロイヒテンは暗闇の中、一人で走っていた。
彼はずっと探している。走りながら、目的の人物を探している。
「どこなんだ!いいから返事をしてくれ!」
しかし相手は何も声を発せず、暗闇の中、音の無い中、ロイヒテンは走り続けていた。
「何故私の声に答えてくれないんだ!シュトラール!」
「何故かって?」
ふいに声が後ろから聞こえてきて、彼は少し焦りながら振り返った。しかし誰も居ない。
「あなたは結局何も出来ずに死んでしまったじゃないか」
声は続ける。
「あの後、あなたはヘルトの死体を抱き上げて、謁見の間に六大貴族…いいや俺が居なかったから既に五大貴族かな、を呼び出して、それから何をした?」
「わ、私はこの国を建て直そうと…」
「けれど決して皇帝になる気なんて、さらさらなかったのに?」
「私ごときが皇帝になるなど…」
「でも結局はあなたは皇帝代理として、その椅子に座った。
そしてあなたは人々からあの戦争の記憶を消すだけに専念した。だから国歴、と言う年号を変えたんだ。
だから早々と国民の記憶から戦争の時代を消すことが出来た、と思っているのか?」
「………」
「結局あなたは皇帝に権利を返し、その直後だったな」
後ろから鈍い音と共に、背中に引き裂かれる痛みを感じた。
ゆっくりと後ろを振り返るとそこには真っ黒に顔面を塗られた人物が、自分の背中に刃を刺していた。その刃の周りが勢いよく赤に染められる。
「あなたは許されることはない。
そしてシュネー・アーベントの願い…いいや、怨念はデルカンドに引き継がれる。
これもあなたの罪だ」
「なん…で…」
ロイヒテンの口から血が大量に吐き出された。
「なんで?あなたがその口でそれを言うのか!
彼女をデルカンドに押し込めたのはあなただと言うのに!
だから彼女はデルカンドを実力主義の貴族に仕立て上げたのだ!見事に作り替えた!
それであそこから、力無き者は追い出されると言う結果になった。それに目を背けてお前は皇帝代理をしていたのだろう!」
「ぼ、くは…決してあきらめない…」
床に倒れ、意識が朦朧としながらも彼は言った。
「ぼくは…罪人だ…だから、この国を…皇帝を…正しい方向へ…」
そんな彼の前に一人の男が現れた。相手はロイヒテンをじっと見たまま、動かなかった。
ロイヒテンと全く同じ顔をした彼は、どこか悲しそうな、そんな表情だった。
「はっ…はっ…」
目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。確か、自分はあの夜シャルテン様に…と思い出して、青ざめて布団を跳ね除け、ベッドから降りた。そしてその恰好のまま、部屋を出て行った。
なんてことだ、彼はそう思いながら全速力で走っていた。従者が働いている中で、彼は人目を気にせず走っていた。
そして息を荒くしながら、目的の部屋に着いた。
息を整えようにも、整わなかった。仕方なしにドアをノックする。中から返事が聞こえてきて、ゆっくりとドアを開けた。
「なんだ、こんな朝から」
太陽の登り具合から、そこまで早くはないが、シャルテンはへらへらと笑いながら、椅子に座って本を読んでいた。
一方相手は顔色を青白くして、荒い息のまま言う。
「き、昨日は…申し訳ございませんでした」
「お前を運ぶのは苦労しなかったぞ」
その言葉に彼は「ごっ」と言葉を詰まらせながら「ご自身で運ばれたのですか!」と叫ぶ。その様子を見てシャルテンはカラカラと笑う。
「お前、だいぶん軽いからな。殆ど何も食べていないのだろう?」
その的確な指摘に、言葉を詰まらせる。
しん、となった部屋でシャルテンは一拍置いて、低い声で尋ねる。
「ウィアディリー家は重いか?」
「いえ!そんなことはありません!」
それは本心だった。
「お前はまだ俺よりも若い。しかしお前はもうその歳でウィアディリーの当主になってしまった。
前当主に殆ど教わることも無く。お前のその感じている圧力はわかる」
「そんな…恐れ多い言葉を…」
「ウィアディリー家は皇帝に最も近い存在。皇帝を支えるためにある。
だからと言って私自身は、お前が完璧に皇帝を支えていなくても良い様に思えるのだが」
「な、何を…?」
「私の父上はこれからもお前をこき使うだろう。それは父上がその考えを覆さない限り、お前に無理を言うことが多いと思う」
「い、いえ…そんな無茶など…」
「しかし私が皇帝になった時は、それをやめて欲しい」
「は?」
「昨日、何故私がドッペル・デュールをしたか、と問うていたな」
「はい…あんな危険な術をあなたがする必要などない、と…」
「一番上が自ら命を落とす行動は愚かしいと、私も知っている。しかしだからと言って上は何もしなくていいことなんてない。
寧ろ一番上だからこそ、全てを知っていなければならない。そうすれば、私の行動は限られる」
シャルテンは自分の胸を押さえて言う。
「ただ慈悲だけを与える存在になるのは嫌だ。全てを知るには時間が足りない。なら戦争時代に生きていたと思われる人物をドッペル・デュールをすれば早い。そいつから教えて貰えばいい」
「戦争時代に…生きていた、人物?」
「そう言うことだ。お前も夢のことばかり考えずに、自分のしたい様にすればいいんだよ」
シャルテンは立ち上がって、彼の肩を軽く叩いて、部屋から出て行った。
―戦争時代に生きていた人物
その言葉が頭から離れなかった。
バタンと絞められたドアを彼は呆然と見ているしかなかった。
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クエートはシャルテンに教えられて、ドッペル・デュールについての本を読んでいた。
「そ、そんな馬鹿な…」
『何か見つけたのか?』
「ここの…瀕死になっている人物にはドッペル・デュールをかけることが出来ない。これは…」
クエートの頭の中でまさか、と繰り返し言っていた。
「まさか…そんなことを…」
本を乱暴にめくっていくと見覚えのあることばかりが書かれていた。
そして同時にその時のことが昨日の様に、鮮明に脳内で流れる。
「ああ…うぅ…」
そう体中が痛みで気が狂いそうだった。そんなのた打ち回る彼をじっと見ていた、人物が居た。
「おかしいな、シュトラール自体は死んでいなかったはずだ。だから今の状態でドッペル・デュールをしても、大丈夫なはずなのに」
遠くから声が聞こえてきた。実際には彼が倒れている目の前で独り言を言っていたのだが。
「どうだ?クエート。今はお前の意識なのか?」
理解出来なかった。
自分がシュトラールなのか、クエートなのか、何者なのか理解しようとも思わなかった。
「言語はもう話せないのか?」
ぼぉっと耳が鳴る中で再び聞こえてきた。言語が話せないよりも、痛みで何も言うことが出来ない。
顔が熱くなり、耐えられない。
いつまでこんなことが続くのか、わからない恐怖が沸き起こってきた。
そんな時
突然寒気に襲われた。
なんだ?と思った。そして思い出した。無理矢理体から精神を引き剥がされた時の感触を。
「い、いやだ…」
声を振り絞って出すと、相手は少し嬉しそうな声をあげた。
「なるほど、痛みの方が勝っているのか!」
嫌だ嫌だ、もう死ぬのは嫌だ!
助けて、助けてくれ、誰か、誰か助けてくれ!
嫌だ、死にたくないしにたくないんだ!
嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだ!
たすけて、たすけて!たす…け…
そこからの記憶は一切ない。
そこまで思い出して、全身から汗が噴き出した。
『大丈夫か?ウェイト』
シャルテンが脳内で話しかけているが、反応することが出来なかった。それを察したのか、先程よりも強く話しかける。
『おい!ウェイト!』
「あ…」
『もう今日は休もう』
「い、いや…」
『俺が疲れた。休もう』
クエートは渋々シャルテンの言う通りにした。
「あの人の体で成功しなかったから、まさか他の体では成功するなんて思いもよらなかったよ」
「な、何を言っている…?」
目の前に居るブルートが嬉しそうに語っていた。そんな彼を今まで見たことが無かった。
「鏡を見てみなよ」
言われるまま、部屋の壁にかけられている鏡を見ると、絶句するしかなかった。
「だ…だれだ…」
「今のその様子じゃ、クエートの精神がその体を操っているみたいだから、お前はクエートだ」
「これが…おれ?」
鏡に映っていた自分は、皺が多い顔で、少しやつれている様だった。だからブルートの言っていることが理解出来なかった。
「お、俺に何をした!」
混乱するあまり、叫んだ。しかし相手は特に気にする様子も無く、淡々と説明する。
「君にドッペル・デュールをかけた。
ドッペル・デュールとは、二人必要なんだ。一人は精神体にし、その精神を入れる器が必要となる。
それでこの術は完成する」
「そ、それを開発して何をしようとしているんだ…」
クエートは彼から少し距離を置いたまま、恐怖を感じたまま、小声で聞いた。
それを聞いて、ブルートの口角は更に上がり、醜く笑う。
「この国の能力ある奴を全て殺すこと」
「は…」
その言葉で一瞬にして、感覚が研ぎ澄まされる。
「お前は…」
何か気が付いた様子を見てブルートは眉間に深い皺を作った。
「そう言えば君、ソーサリーだったな。
それも、力の強い」
「何で…貴族に、こんなところに…」
それを口にした途端、頬に衝撃が走った。
「俺、そう言うの、腹立たしく思うんだよね」
体がよろけて、床に倒れた時理解した。自分は殴られたのだと。
「自分達もそうしてたじゃない。確か…シュヴァルツって名前だったっけ?
彼女は良くて、俺は駄目なわけ?」
「そ、そういうことじゃない…」
「まぁ彼女はウィーアリーと一緒に居たから、気が付かなかったのだと思うけれど。
俺はお前のその体の奴にここに連れて来られた。あの時はまだ異端者って名前も全くなかったなぁ」
懐かしそうに、天井を見上げて言った。
「母親を殺し、国の為俺をここに連れてきた。
まさか俺がお前達を殺す為だけに研究し続けているにも気が付かずに。
例えば、ベルジゲル」
クエートもその術の名前は知っていた。アルヴィナル家が新しい術を開発した、と。しかしそれは殆ど今は使われていなかった。
「何故なら、異端者を殺すだけなら必要ないからな。
ベルジゲルはツオバーソーサリーの能力を封じることが出来る。
紋章を押し付けられると、ほら」
ブルートはクエートに近づき、細かい紋章が書かれた紙を額に当てられると、悪寒が走った。そしてブルートの手を叩いた。
「そう。使えなくなる。
これはその体に直接この紋章を書いていないから、離れればまた能力を使うことが出来る。
ならそれを体に直接刻まれたら?」
笑い声を噛み締めながら、ブルートは続ける。
「お前達は簡単に異端者になれるだろう?」
「ま、まさか…能力を持っていたのに、国民は殺され続けた。もう異端者は居ないはずなのに…それは…」
「実験的に俺がベルジゲルを作った」
「お、お前は仮にも貴族だろ!そんな国民を不幸にするなんて!」
「最初に言っただろう?この国の能力ある奴を全て殺すって」
絶句するしかなかった。
この男の復讐する心は根深かったのだ。
止めなければ。
クエートは本能がそう叫んだ。
だからすぐに起き上がって、ブルートを捕まえた。彼の肩をしっかりと強く捕まえる。
彼は何をされているのか理解出来ない様な表情で、クエートを見ている。
震える声が出てくる。
「お前は、生きてちゃいけない…」
「何故?」
「お前のその思考が危険だ…!」
その言葉はブルートの頭の中に何度も響く。
そう目の前の、元の体の主に言われたことがあったからだ。
同じ顔、同じ声でこう言われた。
『お、お前はメルシリアを実験体にしたのか…
実験して死なせたのか…このベルジゲルを完成させるために…?そのためだけに実験体として…メルシリアを…?』
頭を手に当て、一人で笑い始めた。自嘲するような笑いだった。しばらく笑った後、彼は脱力した。それでも彼は、笑っていた。
『ははっははははっ私は…なんて失態を犯してしまったんだ。
お前を、連れて来なければ、お前を貴族にしなければよかった。お前は、生まれなければよかった…!』
それを思い出して、笑いが込み上げてくる。
「ははっ…」
「な、何がおかしい!」
突然笑い出したブルートにクエートは震えた声で聞く。
「お前達だって、お前達だって俺と同じじゃないか。
異端者を殲滅して、能力がある者でも異端者として殺して、お前達と何が違う!
皆がやっていたから、命令だから、と言い訳は聞きたくない。
異端者にとって、殺された者達にとってはそれは全く関係ないことだからだ!」
「お、俺は…」
「お前も異端者を殺すことによって優越感があったんだろ?」
「ち、違う!」
「力が無い者を傷つけて、殺して、自分の方が強い。自分の方が価値はある。自分の生きる意味は」
『違う!』
自分の叫び声で目が覚めた。息が荒く、しばらくここがどこなのか、理解出来なかった。
しばらくして気持ちも、呼吸も落ち着いてきて、自分が今どこに居るのか、理解出来た。
『昔の、夢か?』
シャルテンが静かに問いかけてくる。
「ごめん…」
『どうやらお前は自分を卑下しすぎている所があるようだ』
「え?」
『実力があるのに、自分は劣っていると、どうしても考えてしまう。そこがお前の一番の悪い癖だ』
「え?え?」
彼が突然何を言っているのか理解出来ずに、聞き返す事しか出来ない。
『私も手伝ってやるから、その一番の悪い癖を、少し治してみないか?』
「い、いや…でもどうやって…」
『その癖が出たら、注意してやる。だからお前も私の過ちを正して欲しい』
「お、俺は…」
相手からそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかった。
『私だって人間だ。お前だって人間だ。誰だって間違えることはある』
「違う…皇帝は…神だ…」
それを言ってシャルテンの少し驚いた様な声が聞こえてくる。
『なんだ知っていたのか。私が皇帝候補だってことが』
「もっと言うと、確実な皇帝候補。次の皇帝と言うことは知っていたよ。名前を聞いたらね…」
『でも父上も私も人間だ。人間が神などなれないし、それはおこがましいことだ。
私は差別のことを知りたかったから、お前をドッペル・デュールした。なら何故お前は私の体に入ったんだ?』
「……何かが変わると思ったんだ。俺の中の、全てが変わると思った。
けど、俺は結局変われないままかもしれない…」
『何かが、変わる…』
シャルテンは言葉を繰り返し、そして力強い声で聞いてくる。
『変わりたい、変わる覚悟はあるのか?』
「………」
『人間は必ずしも時間が過ぎても全く同じ、と言うことは無い。体も、顔も、性格も、そして考えも。
必ずどこか変化しながら生きて行くものだ。
無意識の中で変わっていくのは、簡単で、そして奈落の底に落ちていく原因になる。
楽な方向に行くのが、人間だから。
仕方ない。それは確かに仕方がない。私だってそうだから。
けれど、この国の大勢の人間の上に立つ私が許される訳がない。
自分一人だけでは無理だ。
だからウェイト、一緒に変わろう。良い人間になれる様に、変わろう。
私も覚悟を決める。だから君も、ウェイトも覚悟を決めてくれ』
「……いいのか?俺で…」
『もしかしたら裏切るかもしれないって?
それはあり得ないよ』
シャルテンは自信を持って言った。それを聞いてクエートは苦笑いをする。
『お前は裏切らないし、裏切れないだろ?』
「それはそうだ」
クエートはもう、体を借りなければ生きていけないのだから。
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「皇帝は全く歳をとらない…」
「もう皇帝の座についてから三十年は経つのに…何故昔と変わらないお姿なのか…」
「政治は国民にも、私達にも過ごしやすいよかった…しかし…」
「三十年前と全く同じ顔だ…」
「化け物か…」
「永遠に皇帝の座に就くのか…」
「さすがに国民もおかしいことに気が付いているだろう…」
「どうしたものか…」
「もう次のシャルテン様を…」
「しかし今の皇帝はまだ亡くなっていない」
「本来は、今の皇帝が亡くなってから新たな皇帝を就かすべきだ」
「しかし…」
「死なないのか…」
「私はもうすぐ死ぬ」
謁見の間に一人だけそう告げた。
相手は顔を上げて、皇帝の顔を見た。三十年前と変わりない姿の、その顔を。
皇帝は全体重を、椅子の背もたれにかけ、ぐったりとした状態で座っていた。
「最期に、これだけはお前だけに伝えないといけないと思って、ここに呼んだ」
「最期だなんて…そんな…」
「いいや、お前だってわかるだろ…私がもう限界を越えていることを」
「………シャルテン様にはお伝えしないのですか?」
「………あれは本当に良く出来た息子だ」
「まさかあなたが養子にすると言った時は驚きました。反対意見も多かったのに、あなたは彼を養子にした。
そして結局パートナーをつけなかった」
「私には必要ない。どうせ化け物だから。相手を怖がらせてしまうのと、そして皇帝の妻とは誰もやりたくはないだろ」
「裕福を求める者なら、たくさん居たじゃないですか」
「違う。私はそれは求めていなかった。だったら、最初から一人でいいさ…」
「それで、私に伝えたいこととは?」
「昔、ドッペル・デュールをしてお前に見つかった時があったよな。すごく責められたあの日」
相手はそれを聞いて少し苦笑いをした。
「あの時は…精神状態が安定していませんでしたから…ご迷惑をかけて…」
「誰の精神をドッペル・デュールしたか、お前に伝えないといけないと思って」
相手の話を遮って、皇帝は言う。相手は少しきょとんとした表情で皇帝を見返した。
「戦争時代、差別時代で生きていて、当時のウィアディリー家と、まだウィーアリー家が存在していた時を知っている人物。そして英雄、メルシリア家のことをよく知っている。
そして時折、お前と同じ様なことを発言する者。そして彼もお前を誰かと重ねて見る時がある」
『おい、皇帝…何を…』
頭の中で何度もウェイトが話しかけてくるが、全て無視する。
「もしかして、まさか、と思ったことは何度もあった。けれど最期に、お前に伝えたくて」
彼は目を見開いて、皇帝を見ていた。
「その顔は見覚えがあるって顔だな…待ってろ、今変わってやるから…」
ふっと皇帝の力が抜けて、顔を上げた。それはウェイトに変わった。
「なんなんだ…突然…」
体も顔の皺も殆どない皇帝は、明らかに弱っていた。それはウェイトにわかっていた。だから最期はゆっくりさせようと、ずっと何も言わず過ごしていた。
「戦争時代、差別時代で生きていて、私達を知っていて…ヘルトも知っている人物…」
それを聞いた瞬間、どこか懐かしいと思った。ヘルトの名前が出てきたからだ。そして同時に疑問にも思う。
「何故…ヘルトを知っている?」
目の前に居る男はあの時、シャルテンだった時、ドッペル・デュールをしたのを責めた、ウィアディリー家の当主だった。
「信じてもらえないことはわかっている。けれど私はロイヒテンとシュトラールの記憶を、あの時の記憶を持っている」
「は?」
ウェイトの反応を見て彼は苦笑いをする。
「シュトラールは、シュヴァルツを助けられなかったのを酷く後悔して、ロイヒテンは志半ばに、シュネー・アーベントに殺されてしまった」
それを聞いて、ウェイトの背筋が凍りつく。
「それを酷く後悔して、私は次のウィアディリー家の当主に乗り移ってしまったのかな…」
「それは…」
かける言葉が見つからなかった。
「結局メルシリアは存続させることは出来たけれど、ウィーアリーは…存続させられなかった。その前に死んでしまったから」
「待て、メルシリアは存続させることは出来た?」
ヘルトが生きていれば、そんな言い方はしない。彼は少し暗い表情のまま続ける。
「ヘルトは…皇帝を殺害し、自ら国民に殺されることによって、国の憎しみを一人で抱えて死んでいった…
けれど私にはその事実が辛くて…メルシリアをあえて英雄とした。ロイヒテンの時はもう絶望的だったと思っていたけれど、今メルシリアは英雄と言われている。結果、彼を英雄とすることが出来たんだ」
「そう、だったのか…」
「あの時代は私達の罪だ。だから同じ過ちを繰り返さない為にも、もう死に向かわない為にも、命を賭けて変えていかないとって…
けれど、まさかクエートがドッペル・デュールをしていたなんて…」
その名前を久々に聞いて少し照れくさくなる。
「ブルート・アルヴィナルが実験としてしていたんだ…」
ウェイトは瞼が重たいのか、眠たそうに目を閉じては開けたりしていた。
彼はそんなウェイトを見ながら少し困惑しながら言う。
「アルヴィナルは問題ないと思うんだけど…」
違う、違うんだと言いたかったが、目が開かなかった。口も声も出なかった。
たまにしか会わないアルヴィナルから、ブルートと同じ気配を感じたことがある。
それを感じるたびに自分から出る殺気を抑えるのに必死だった。
「クエート?」
「…………もう」
「皇帝?」
彼は素早く皇帝に近づいて、手を掴んだ。
その手は酷く冷たく、震えていた。
「皇帝!」
強く呼びかけても、彼の目はうっすらと開かれた状態で、そしてぱさりと音を立てた。
掴んでいた手は砂となり、彼の指の隙間から通り抜けてしまった。
謁見の間の椅子には、砂と、皇帝が着ていた服と、そして黒い箱だけが残されただけだった。




