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ハッピーエンドで良いんですか?

 本間はカウンターを見つめていた。きっと自分の行為を反省しているのだろう。しかしミワの悲しみや苦悩を想えば、その程度の反省で許せるはずが無かった。


「奥さんも、君がミワと関係を持っている事を知っていたのだろう? ミワも母親に知られている事を知っていた。そんな関係に耐えきれずにミワは家を出た。そんなミワの気持ちを知っていたからこそ、奥さんはミワを連れ戻す事を諦めて私に預けた。家に連れ戻せば、またミワが君との関係に悩む事になってしまうからだ。君はミワの気持ちが解っているのか! 奥さんの気持ちが解っているのか!」

 ボトルの裏側にある鏡の中の本間は、神妙な顔で目の前のグラスを見詰めている。

「済まない事をしたと思っています。でも、美和ちゃんはそんなことまで遠藤さんに話したんですか?」

「ミワがそんな事を話すわけが無いだろう。全て私の推測だよ。ただ、ミワを見ていると解るんだよ。ミワがどんな苦しみを抱えているのか……。本間君、君にはわかるか? ミワの気持ち。奥さんの気持ち。そして、私の気持ち……。きっとどれも解っていないんだろうな? 少なくとも、君の奥さんにはグッドエンドすら訪れないだろう。君のせいだよ。奥さんが君とミワの事を知りながら言い出せなかったのは、ミワに対して後ろめたい気持ちが有ったんだと思う。自分が君と結婚しなければ……。自分が昔の彼氏である君に惹かれなければ、こんな事には成らなかったはずだってね。まさか君がミワとそんな関係になる様な男だとは思っていなかっただろうからね。奥さんはミワに対して、一生謝り続けることだろう」

 鏡の中の本間は、顔を伏せていた。表情はうかがえなかった。

「美幸にも美和ちゃんにも悪い事をしました。自分がシッカリして居れば、美和ちゃんとそんな関係にならなければ良かったんですが、気持ちを抑えきれませんでした。あの日、美和ちゃんが何と言っても断るべきでした」

 その言葉は私の怒りに油を注いだ。その怒りの炎は本間だけでなく、私自身をも焼き尽くす炎だと解っていながら……。それでも私は燃えさかる怒りの炎へと身を投じた。

「まだミワに責任を押し付けようとするのか? ミワにそんな事を言わせたのは君だろう! 君の理解力と状況判断力が欠如している為に引き起こした事だろう!」

「そうです、全て自分の責任です。美和ちゃんの気持ちも考えずに……。その後も美和ちゃんの気持ちの弱い部分に付け込んで、ずるずると関係を続けてしまいました。自分はどうしようもない男です」


 本間は頭を垂れている。私は本間に対して、相当なダメージを与える事に成功したようだ。しかし、その見返りは大きかった。

 私は本間以上のダメージを受ける事になった。ミワが本間に抱かれているところまで想像しなければならなかったのだ。

 私とミワの関係には、常に本間の影が付きまとっている事を意識しなければならなくなった。私は本間の代役なのだ。このダメ男の代役を続けなければならないのだ。

 いつの日か、代役ではなくなる日が来たとしても、本間の代役から始まった恋で有る事に変わりは無いのだ。

「君はミワと奥さんを不幸にしているんだぞ。その責任の重さをもっと感じなくてはいけない。大人気ないと言われようが、自分の事を棚に揚げていると言われようが、私は君を未来永劫許す事は無いだろう」

 私は立ちあがり、落ち込む本間をひとり残してバーを出ようとした。

「遠藤さん、ちょっと待って下さいよ」

 本間が私を呼び止めた。


 この期に及んで、何の話が有ると言うのだ! 立ち止まって振り向こうかこのまま立ち去ろうか、躊躇している私の背に本間は信じられない言葉を投げ掛けて来た。

「遠藤さん、自分はいつも遠藤さんの背中を追いかけて来ました。つまらない感情に左右される事無く、いつでも冷静に状況を分析して、常に正しい判断を下す。そんな遠藤さんを尊敬していました。遠藤さんの様に成りたいと思っていましたよ。でも、今の遠藤さんは、状況の把握に感情を加味し過ぎじゃないですか? 自分の憧れていた遠藤さんは、そんな遠藤さんでは無かった」

 本間は何を言っているのだ! 私がいつもの私では無いだと! そんな事は解っている。解っていてもこの感情を抑える術など持ち合わせてはいない!

 私の怒りはこの場を立ち去ると言う選択肢を拒絶した。本間に背を向けたまま、両の拳を力いっぱい握りしめ、その場に立ち尽くしていた。

「今の遠藤さんは美和ちゃんの事を美化し過ぎていると思いませんか? 美和ちゃんは本当に遠藤さんの思っている様な娘でしょうか? 美和ちゃんは元々ファザコンだったんでしょうね。そうでなければ自分のことなんか相手にするはずがない。美和ちゃんは可愛いから同年代の男だって放って置かないでしょうからね。でも、女子高生にとって父親程も歳の離れた男と、そういった関係になるチャンスはそうそう訪れない。そんな時にたまたま自分と出会って、そしてそういう関係に成った。確かに美和ちゃんにとって、自分が初めての男でしたよ。あの日の美和ちゃんは初々しかった。身体を硬くして……。可愛かったなぁ。でもそんな初々しさはその時だけでしたよ。その後の美和ちゃんは凄かった。まるで本能的に男を喜ばせる方法を知っている様だった。遠藤さんだって解っているでしょう? 美和ちゃんは男を喜ばせる為なら何でもする様な娘ですよ。本当のところ、三人の関係を一番楽しんでいたのは美和ちゃんだったのではないですか? そして、その関係にも飽きて家出をした。もっと刺激を求めて……。そうは思えませんか? 自分にはそれが正解に思えるんですよね」


 私は立ち止まった事を後悔していた。まさか本間の口からこの様な言葉が出て来るとは思ってもいなかった。

 怒りに震える私の身体は脳の思考エリアと相談をする事無く行動を起こした。振り返りざまに右手の拳を本間の顔に向けて突き出した。

 しかし、右手の拳は本間の顔に到達しなかった。本間の顔の前に突如現れたマスターの右手が、私の拳を包んでいた。

「遠藤さん、いけませんよ。暴力なんて遠藤さんらしくないですよ。本間さん、今夜はお帰り下さい。そして、今後、当店の利用はご遠慮下さい」

 本間はマスターの言葉にうなづき店を出て行った。本間の背中は、『言いたい事は全て言った。あとは遠藤さんの問題で自分には関係無いことだ』と言っている様だった。


 私はカウンターの酒を飲み干してカラカラに乾いた喉を潤してから、冷静を装ってマスターに話し掛けた。

「マスター、ありがとう。でも、マスターが客の話しに反応したところを初めて見たよ。客の会話には無関心なのかと思っていた」

「時と場合に依りますよ」

「時と場合か……。さて、私もそろそろ帰るかな」

「差し出がましいですが、もう少しゆっくりして行って下さい。駅辺りで本間さんに会ってしまったら気まずいでしょう?」

 もしも店の外で本間に出会ってしまったら、せっかくマスターが静止してくれた感情を自力で制御する自信は無かった。

「確かにそうだな。じゃあもう一杯貰おうかな……」

 一時間程の時間を潰してから店を出た。

 街は既に三月に入っているが、私に吹きつける風は相変わらず冷たい。冷え切った私の身体と心が叫んでいた。

『早く木更津に帰りたい。早くミワに会いたい』と……。



 もう電車もバスも無い時間だったが、タクシーを拾って木更津まで帰った。タクシーの中は暖かくて心地よかった。暗い東京湾を切り裂くように、アクアラインの光が一直線に伸びていた。

 私は少し眠っていた様だ。ミワと本間の織りなす光景が私の心をかき乱していた。

 木更津の駅前でタクシーを降りた。少し歩いて頭と心の冷却が必要だろうと思ったからだ。


 ミワの部屋には電気が点いていた。CPでの仕事を終えて帰宅して居るのだろう。私が玄関の鍵を探すためにポケットの中を探っていると、ドアは中から開かれた。そこにはミワの笑顔が有った。

「お帰りなさい、シュウイチさん。今夜は泊まりかと思っていましたよ。男同士の話は楽しかったですか?」

 まさかあのような話になっているとは思いもしないミワが、笑顔で私を迎えている。今夜の本間との話は、決してミワに知られてはいけない事なのだ。

 私も笑顔で答えた。

「うん、楽しかったよ。でも、ミワに逢いたくなったからタクシーで帰って来た」

 ミワが私に抱きついて来た。私もミワを抱きしめた。

「嬉しい! ミワも今夜はひとりで寝なくてはならないのかと思うと、涙が出そうでした」

 私は決意した。既に余分な生に突入している自分では有るが、残りの時間の全てをミワの為に使おうと。

 私の腕の中に居るミワが、何を引きずっていようと、私はミワの為だけに生きる道を選ぶ。ミワが少しでも幸せを感じてくれるのならば、私はどんな努力も惜しまない。ミワの笑顔を見る為ならば何でもする。

 たとえそれが本間の代役だったとしても、ミワが本間の言う通りの娘だったとしても……。

 ミワが何を思い、何を決断しようとも、私はミワを支持すると決めた。


 私はミワの耳元で囁いた。

「きっと私は、ミワに逢う為に生れてきたんだ。少し早く生まれすぎたし、いろいろと回り道をしてしまったけれども、こうしてミワの元に辿り着く事が出来た。ミワも少しだけ回り道をしたかも知れないけれど、そんな事はどうでも良いんだ。ただ、ミワと巡り合い、ミワと一緒に居る事が私の運命なのだと思う。私にとってのハッピーエンドは、ミワとこうして居られる事なんだよ」

「シュウイチさんにとってミワと一緒に居る事が……、ハッピーエンドで良いんですか?」

 ミワが驚いたように私を見ている。私は黙ったまま頷いた。

「シュウイチさんがハッピーエンドになる事がミワのハッピーエンドですよ」

 ミワが私の耳元でそう囁いた。





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