一度だけで良いですから
私は目の前に並ぶ色とりどりの酒瓶とその後ろに設置されている鏡を見つめながら言った。
「君はミワとも肉体関係を持っていたね。君のベストエンドとは、奥さんとミワの二人の愛を手にする事だったのだろう? 二人が君を愛しているのを良い事に、君はどちらか一方を選ぶ事をしなかった。二人の気持ちを考えることもせず、身勝手な解釈と、身勝手な欲望のみに突き進んだ。そうだろう!」
本間の目は大きく見開かれ、口までだらしなく開いたまま停止した。
そのまま数分の時が過ぎた。やっとのおもいで目と口を閉じた本間がつぶやく様に言った。その言葉は私の悲しみと怒りを激しく増幅した。
「選ぶ事をしなかったのではなくて、選べなかったんです。自分は、二人共愛していたから……」
美和の帰宅が遅いのを心配して、駅前まで迎えに行った日だった。喫茶店で、母の美幸にプロポーズした事を告げた後だった。
「タダシさん、美和とタダシさんは、父娘にしか成れないんですか? タダシさんは美和の事を、娘としてしか見てくれないんですか?」
美和は涙で潤んだ眼をオレに向けていた。
「美和ちゃん、僕は君のママと結婚したいと思っているんだ。美幸を愛している。高校生の頃から……、いや、中学三年生の時に初めて出会った時から、ずっと愛し続けているんだ。美幸と結婚したら美和ちゃんは娘になる訳だから、娘として見なくてはいけないんだよ。僕だって、美和ちゃんと美幸が母娘で無ければ良かったと思った事は有るよ。でも、美和ちゃんと美幸が母娘で有る事は変えようの無い現実なんだ」
美和は悲しそうな目でオレを見ていた。しかしオレにはどうしようもなかった。
「もし、美和とママが母娘じゃ無かったら、タダシさんはどうするつもりだったんですか?」
「どうもこうも無いよ。実際母娘なんだし……。母娘じゃ無かった時の事なんか考えたことも無いよ。だいたい、母娘じゃ無かったら美幸と再会することも無かったんだから……」
「うそ! もしも母娘じゃ無かったら、両方と付き合っていたでしょう? 出会う事が運命なら、美和とママが母娘じゃ無くったってママとタダシさんは出会ったと思うの。そうしたら、結婚だってこんなに急いだりしなかったと思うし……。美和がママの娘だったから、早く結婚して美和の事をあきらめよう、美和にもタダシさんの事をあきらめさせようと思ったんじゃないですか?」
驚いた。というより、図星だった。オレは美幸を愛している。これは嘘偽りの無い真実だ。しかし、同時に美和の事も同じように愛している。もちろん女として。
しかし、これは人として許される事ではないだろう? だが、許されようが許されまいが、オレの心は二人の女性を同時に愛してしまったのだ。それも母と娘を……。オレは口籠ってしまった。
「やっぱりそうなんですね。美和はタダシさんがママと結婚したって、タダシさんをあきらめたりしません。美和はタダシさんを愛しているのですから。それに、片思いならあきらめる事も出来るでしょうけれど、タダシさんは美和の事を愛してくれているでしょう? それなのにあきらめるなんて出来ません」
「美和ちゃん、困らせないでくれよ。無理なものは無理なんだよ」
「じゃあ、一度だけ。一度だけで良いですから、美和にもタダシさんの彼女としての喜びを与えて下さい。お願いします」
「美和ちゃん、自分が何を言っているのか解っているの? そんなこと出来る訳ないじゃないか。美幸を、君のママを裏切る事になってしまう」
美和が今までに見たことも無い様な鋭い目でオレを見ていた。
「美和はママを裏切ることになってもかまわないです。今のままだって、充分ママを裏切っているんですから。だって、ママの再婚相手を愛しているんですよ。そんな気持ちで居ること自体がママへの裏切りです。タダシさんだって、美和の事を愛してくれているでしょう。いくら娘だからと言って気持ちを抑え込もうとしたって、裏切りは裏切りですよ」
返す言葉が見付からなかった。確かに娘を愛しているなんて裏切り以外の何ものでもない。
「それに、ママとタダシさんが付き合って居たのはずっと昔の話ですよね。今回はママより美和の方が先に付き合い始めたんですよ。タダシさんは美和と付き合って居ながら、ママと浮気をしている様なものじゃないですか。それなのに、ママは裏切れないなんて、美和に対して失礼だとは思いませんか?」
至極ごもっともな意見だ。確かに美和と知り合った時には、美幸の所在も知らなかった。美幸が美和の母である事を知る前に、オレは美和を愛し始めていたのは事実だ。
ただ、年齢差を考えて先に進む事を躊躇していただけなのだ。
「どうですか? 美和にだってタダシさんと付き合う権利は有ると思いませんか? でも、美和は多くは望みません。美和はタダシさんを愛していますが、ママの事も大好きだからです。だから、一度だけで良いんです。美和はその思い出だけで生きて行けます。美和はタダシさんに愛されていたという実感が欲しいんです」
オレには美和の論理を崩す事が出来なかった。
美和の決意と迫力に押されるままに、ホテルの部屋に来ていた。
オレは卑しい奴だ。それではまるで美和の責任の様ではないか。本当のところは、美和の決意を聞かされて、自分の中の美和への気持ちと欲望を抑えることが出来なかっただけだ。
自分から望んだ事だからだろう、美和はホテルの部屋でも気丈に振舞っていた。しかし、抱き寄せた身体は小刻みに震え、強張っている。重ねた唇からさえ震えを感じた。
こんな事をして良いのか? 良いはずが無い! そんな答えの判り切った質問と回答が頭の中を駆け巡っている中で、美和を抱いた。初めて知る男が母親の婚約者であるという事実の中で、美和の身体と心は何を感じたのだろうか?
荒い息を整えながらオレの胸で涙する美和がいとおしかった。いとおしさのあまり、もう一度抱いてしまった。我ながら酷い男だ。おのれの欲望を抑える事が出来なかった。いや、抑えようとしていなかった。鬼畜としか言いようのない奴だ!
しかし、オレの鬼畜は、それだけで終わらなかった。妻を抱いているときにさえ、美和を思い出す。家で美和を見るたびに、あのホテルでの事を思い出す。最低な男だ!
最低だと思いながら、美和を誘ってしまう。美和にはオレにそうさせる魅力があった。
オレと罪悪感を共有している為に、美和も普通の精神状態では無かったのだろう。一度だけと言っていた美和もオレの求めに応じてしまう日々が続いた。
それから三ヶ月後、オレと美幸は結婚した。その結果、オレと美和は戸籍上の父と娘になったわけだ。
自宅での美和は可愛いが、ちょっと過激な発言をする娘を演じていた。過激な発言はどうも本気の様であった。ただ、どうしてもパパと呼ぶ事は出来無い様だった。
それも無理は無い。外でのオレと美和は、まぎれも無い恋人同士だったのだから。
美幸は、こんな不自然な関係に気付かないほど鈍感な妻では無かった。ただ、そんな不自然な関係を騒ぎ立てる程愚かな妻でも無かった様だ。
ただ、オレへの言葉の端々に『知っていますよ。これ以上美和に辛い思いをさせないで!』と言うメッセージが込められている様に感じられた。
美和は高校の卒業式を明日に控えていた。オレはいつもの様に美和を誘い、ホテルの部屋に居た。そして、いつもの様にお互いの温もりに浸っていた。
「タダシさん……」
「なに?」
「明日は美和の卒業式です」
「どうしたの? そんな事知っているよ。明日はお母さんと一緒に出席するからね。美和ちゃんの制服姿も見納めだからね、シッカリ目に焼き付けておかないと……」
「何だか表現がイヤラシイですよ」
「そうかぁ? 美和ちゃんの制服姿は可愛いからなぁ」
「ほら! ますますイヤラシイ!」
オレは美和の瞳を見つめていた。
「タダシさん、美和は……、そろそろタダシさんからも卒業しなくてはいけないと思うんです」
「えっ、どういうこと?」
美和は笑顔を浮かべていた。
「ナイショです」
「ナイショってなんだよ。言わないとこうだぞ」
私は美和の身体をむさぼった。美和も喜んでいると思っていた。
美和があんな決意をしているなんて思ってもみなかった。
卒業式の後、美和は家を出た。




