その時に永遠の続きをしましょう
桜の季節には前妻との離婚が成立し、美和との関係も不倫では無くなった。
私とミワの新しい生活は、毎日が楽しい事で埋め尽くされて行った。
アパートから徒歩で十分ほどの所に、小高い丘のような公園がある。頂上の広場には桜の花が咲き乱れていた。
手をつないで散歩するふたりを祝福するかの様に、桜の花びらが舞い落ちる。
「まるで結婚式のフラワーシャワーみたいね」
そう言って無邪気に笑うミワの笑顔は妖精そのものだった。私はこの笑顔を見続ける為に生きて行く。この笑顔を曇らせない為に全力で戦うと誓った。
公園には展望台が設置されていて、ここからの眺めも素晴らしい。遠く富士山まで望む事が出来るのだ。しかしその景色の中には、本間夫妻が住む東京と、私たちの住む木更津をつなぐアクアラインが、必要以上に鮮明な姿をさらしている。
その姿は本間との対決を思い出させ、忌まわしき景色となって私を苦しめた。初めてこの公園を訪れた際に昇ったが、それ以降は昇っていない。わだかまりの無い状態で、この展望台を昇る日は来るのだろうか?
青空に鯉のぼりが泳ぐ頃、私とミワは結婚した。結婚と言っても、ふたりで役所に言って婚姻届を提出し、スナックCPに友人達を呼んで披露宴のまねごとをしただけだった。
本来ならばミワの両親、つまり本間夫妻も呼ぶべきであったが、本間との対決からまだ二ヶ月しかたっていない。当然私は心の整理がついていないし、本間も同様だろう。
私とミワは写真館で写真を撮り、それを本間夫妻に送る事にした。
写真館でウエディングドレスを着てはしゃいでいるミワの姿は、まるで天使のようだった。
しかし私の中では、親から祝福されない様な事をミワにさせている。そんな後ろめたさが大きく膨らんでいた。
冬がやって来た。私が自殺旅行に出てから、一年の歳月が流れたのだ。
「雪国へ行ってみたいなぁ」
私を見詰めながら、悪戯っぽい笑顔でミワが言う。
「雪国は雪が積もっていて寒いからなぁ」
「でも、私の所へシュウイチさんを連れて来てくれた雪だよ。会ってお礼を言いたいなぁ」
「雪にお礼?」
「ねえ、連れて行って」
ミワは上目遣いで私を見る。私はこの視線に弱い。
「良いけれど……、上毛高原駅は嫌だなぁ。越後湯沢なら良いかな」
「じゃあ、そこにしましょう。温泉とか有るんでしょう?」
宿は露天風呂付きの部屋を取った。旅館では親子と間違われたが、ミワは胸を張って「夫婦です」と言っていた。仲居さんは申し訳なさそうに謝っていたが、この間違いは仕方のない事だ。仲居さんを責めるわけにはいかない。
以前のミワは親子に間違われる事を嫌がっていたが、最近では親子と間違われた後に夫婦だと宣言する事を楽しんでいる様にも思える。
一年前は死と共に訪れた雪国だったが、今はミワが隣に居る。ミワと一緒に、雪景色を眺めながら露天風呂に浸かっていると、一年前のことが嘘のようだ。あの日、自殺を決行出来無くて本当に良かった。私を追い返してくれた雪に感謝したい気分だった。
また桜の季節がやって来た。
私は小さな喫茶店を始めた。スナックCPのママと常連客の勧めで、高齢の店主が閉店すると言う店舗をそのまま借り受けた店だ。多少の手直しと、わずかばかりの思い入れを追加しただけで、それなりの喫茶店に仕上がった。
これでミワとの生活の基盤が出来あがったわけだが、それなりに忙しい毎日を送る事になった。ミワもスナックを辞め、喫茶店で私と共に働いている。ほとんどの客は常連客で、私たちが夫婦である事を知っている。だが、事情を知らない客には、喫茶店のマスターとバイトの娘に見えているのだろうと思う。中にはミワをデートに誘おうとする客さえいるのだが、そこは客商売と割り切って、作り笑顔で眺めている。
さすがに本間は店に現れなかったが、ミワの母親や私の娘たちは時折やって来る。娘たちは新しい妹が出来たかのようにミワに接していたが、立場的には義母になるわけだ。その風景には違和感があるが、みんなの笑顔は私を幸せな心地にさせてくれる。
この頃になると、私の心の中にくすぶっていた、罪悪感や後ろめたさはすっかり消えていた。只々、今の幸せだけを噛みしめる毎日が続いた。
ミワと結婚してから八年の月日が流れた。私にとってこの上も無く幸せな八年間だった。当然ながら、ミワも三十歳になっていた。
私は時々、ミワと一緒にスナックCPを訪れていた。ダイナミックボディの初音さんは、ミワが辞めて一年ほど後、常連客と結婚してCPを辞めていた。今では二児の母と成って幸せに暮らしているそうだ。CPのホールには二十代前半の娘をふたり採用していて、相変わらずコスプレで接客をしていた。
ミワはCPへ行く度に、従業員と同じコスプレをしたがった。二十代の娘と同じコスチュームを身につけ、従業員のふりをして楽しんでいる。二十代の二人もなかなか可愛らしいふたりであったが、未だにJK制服が一番似合うのは美和だった。いくつになっても制服を着ると女子高生に見えるのが不思議だ。
本当に幸せな日々の中、私は自宅で倒れた。
救急車で運ばれ、病院のベッドの上で人生の終焉を迎えようとしている。私の年齢はまだ六十代前半だから、一般的には早い死となるのだろう。しかし、ヒトとしての寿命は既に越えている筈だ。その点では充分生きたと思うし悔いは無い。しかし、ミワと暮らした日々は、まだ八年しか経っていない。もう少しミワと一緒にいたかったとは思うが、これが私の運命というやつなのだろう。
私は八年前に想像した通り、数本のチューブとコードに依ってベッドに繋がれていた。
意識は有るのだが身体を動かす事が出来ない。左手の指だけが辛うじて動く程度だ。幸いなことに、不自由ながらも言葉を発する事が出来たので、延命行為を拒絶する事が出来た。
八年前に想像した最悪の事態だけは避ける事が出来そうだった。
そんな意識も途絶えがちに成って来た。私は薄らいで行く意識の中で、ミワに話しかけた。
「ミワ、ありがとう。ミワのおかげで最後まで幸せな日々を送る事が出来たよ。ミワを永遠に愛し続けると誓ったけれど、そろそろ永遠にも終わりが来たみたいだ」
ミワは微笑みながら私の手を握った。
「何を言っているんですか? 終わりが無いから永遠って言うんですよ。生まれ変わったらミワはまた、シュウイチさんを探しますからね。今度は別の人と結婚なんかしていたらダメですからね。その時に……、永遠の続きをしましょう。今のミワも幸せだけれど、来世のミワとシュウイチさんは、もっと幸せに成りますからね」
ミワの体温が心に伝わってくる。私はうなずく代りに精いっぱいの力でミワの手を握り返そうとしたが、上手く力が入らない。死はすぐそこまで来ている様だ。
「私の人生はもうすぐ終わるけれども、ミワはまだ若い。ミワの人生はまだまだ続くんだ。だからミワは、ミワの幸せだけを考えて生きてほしい」
「ミワの人生はこれからも、シュウイチさんと一緒に有るんですよ。ミワの幸せはシュウイチさんを想う事なんです。ミワがシュウイチさんの事を想い続ける限り、シュウイチさんの人生も終わらないんですよ。シュウイチさんが死んだって……、ミワが生きている限り……、シュウイチさんの人生も終わらないんですからね。覚悟して下さい」
ミワの涙が私の頬に落ちた。落ちた涙に力をもらったかのように、薄れた視界が一瞬晴れて、ミワの顔がハッキリと見えた。私はニッコリと笑った。成功したかはわからないが、懸命に笑って見せたつもりだ。そして最後の言葉を絞り出した。
「ありがとう。来世での……、ミワとの再会を……楽しみにしているよ」
私の意識は本格的に薄れて来た。もうミワの顔も見えなくなってしまった。その時、唇にミワの体温を感じた。
私の人生は、本当にハッピーエンドだったようだ。




