映画や小説でも許されない展開だよ
数日後の夕方、私は本間と待ち合わせをしていた。私から本間に連絡し、酒でも飲みながら昔話でもしようと言う事になったのだ。
私と本間はサラリーマンで賑わう居酒屋を避け、落ち着いたバーのカウンターに陣取った。二人の前には、水割りのグラスが並んでいた。
この店は私のお気に入りのバーで、本間を連れて来た事も何度かある。カウンター席だけの狭いバーで、経営が成り立つのだろうかと心配になるくらい、いつも客がいない。
バーテンダーは私と同じくらいの年齢だろう、お決まりの白シャツに黒のベストと蝶ネクタイを付けている。
このバーテンダーは客の会話に対して、全く反応をしない特技を持っている様だ。もちろんオーダーや客から話しかけられた時にはきちんとした対応をする。しかし、客同士の会話には決して反応を示さないのだ。
まるでそこに居ないかのように立っている。この店でなら、贈収賄の相談からテロの打ち合わせまで出来るだろう。
今日の本間との会話にはもってこいの店だと思う。ある意味、テロよりも過激な話になるかも知れない。
「遠藤さん、先日はありがとうございました。美和ちゃんの様子はどうですか?」
「ミワはいつも通り元気だよ。今日も一緒に連れて行けと言っていたけれどね。男同士の話が有るからと言ったら、あきらめてくれたよ。残念そうだったけれどね」
「そうですか。美和ちゃんには遠藤さんが一緒に居てくれるので安心です。遠藤さんにお願いして正解ですね」
本間はそう言って、私に笑顔を見せた。だが、私は目の前に並ぶ色とりどりの酒瓶とその後ろに設置されている鏡を見つめていた。
「ミワがね、帰りの高速バスの中で言ったんだ。『これでみんながグッドエンドに成りましたね』って」
「グッドエンドですか……、以前美和ちゃんに話した事が有りました。『ハッピーエンドなんて滅多にお目にかかれない。大概はバッドエンドの埋め合わせの様なグッドエンドで済ませるものだろう』ってね。遠藤さんの受け売りですが、使わせてもらいました」
酒瓶の陰に映る本間の笑顔を見ていると、抑え込んでいた感情がフツフツと沸き上がって来た。五十代半ばに成っても未だに感情を抑え切れないのは、私の精神年齢が実年齢ほど成長出来ていないからなのだろうか? だいたい、グッドエンドの話は意味合いが全く違っていた。
会社員だった頃、後輩たちに良く言っていた言葉だが、本間には真意が伝わっていなかった様だ。あの言葉は仕事上の失敗をした後輩たちへの慰めの言葉だった。
本来ならば全ての人がハッピーエンドを目指さなくてはいけない。そして、ハッピーエンドに成るように努力をしなくてはいけない。しかし、人生は必ずしも努力が結果に結び付くものでは無いのも事実だ。努力をした結果失敗に終わる事も多々ある。
そんな時、失敗を失敗のまま終わらせずに、少しでもハッピーエンドに近づける努力をしろ! その結果、当初の予定まで届かなかったとしても、それは仕方のない事だ。
頑張って、努力をして、そして、ハッピーエンドまでたどり着けなくてもグッドエンドを手に出来れば良いじゃないか。そんな意味合いの話をしたつもりだった。
本間の解釈だと、頑張って努力をして、少しでもハッピーエンドに近づこうとする部分が欠落している様に聞こえる。まるで失敗した事は仕方が無いので、適当なところをグッドエンドとして納得してしまえば良い、みたいに聞こえるではないか。
他の後輩達はどの様に解釈をしているのだろうか? 自分の表現力に問題が有ったのだろうか? それとも本間の理解力に問題が有るだけなのか?
本間という男は以前から理解力と状況判断力に多少問題が有るとは思っていた。仕事上でも、指示された事はそつなくこなす癖に、自分で考え、状況を判断して行動する事が苦手な男だった。
仕事の進捗状況をこまめに報告して来るのは良い事では有るのだが、その都度私に助言や指示を求めて来るのだ。そんな男だったので、他の後輩よりも注意して接していた。
そうしているうちに、本間は公私共に私を頼って来るようになった。私の悪いところでも有るのだが、頼られると、何とかしてやりたくなる。そうしているうちに、まるで師弟の様になってしまった。
私がメールで送った遺書の件もそうだ。加藤は、あれが遺書で有る事を感じ取っていた。
ミワもあのメールを読んで、私が自殺をしようとしている事を読みとっている。
多少解りにくいとは言っても、状況と照らし合わせればそれなりの理解が出来るのではないだろうか? それが全く伝わらない本間の理解力に大きな問題が有るはずだ。
ミワと母親と本間の問題は、全て本間の理解力と状況判断力の欠如によって引き起こされているに違いない。
私は本間に対して、甘かったのかも知れないと後悔していた。本間が問題を起こす前に助言や指導をしていた事が本間を甘やかし、その結果、今の様な状況を作りだしたのでは無いだろうか?
私は常に、後輩達にも私と対等に成って欲しいと思っていた。役職はどうあれ、仕事内容はほぼ同じなのだから。彼らが独り立ちした時点で対等に成るはずだった。
しかし、本間は私の事を兄の様な存在と表現して頼っていた。以前から私に依存する傾向が強い男だったが、未だに私を頼ろうとしているのか?
私の中のサディスティックな部分が膨らんできた。これ以上本間を甘やかす訳にはいかない。
「私の妻は、私との離婚に依ってグッドエンドになったんだろうか?」
本間はちょっと困った顔をしていた。
「そうかも知れませんが、遠藤さんだって、美和ちゃんと知り合って、グッドエンドじゃないですか」
私は本間の発言を無視して、美和の母親の事を考えていた。
「君は奥さんのグッドエンドって何だと思う?」
この質問に対して、本間は笑顔で答えた。私の中に沸々と湧きあがっている感情には全く気付いていないのだろう。
「妻の場合は、前の旦那さんと死別したけれど、自分と再会して結婚した事でしょうか? 本来ならば、前の旦那さんが亡くならなければより良い結末に成ったのでしょう。それがいわゆるハッピーエンドってやつですかね?」
「そうかも知れないな。じゃあミワは?」
「美和ちゃんには可哀想な事をしてしまったけれど、初恋の人が母親と結婚するというバッドエンドの後、遠藤さんに出会い、今は幸せに成ったと言うところでしょう?」
本間は沈痛な面持ちで語った。解りやすい男だ。今の私はどんな表情をしているのだろうか? たぶん全くの無表情に成っていると思う。
私は、怒りなどの感情が高まり過ぎると、無表情に成るらしい。以前妻にそう指摘された事が有った。そんな無表情な私はとても怖く見えるらしい。
本間も以前から時折、私を恐れている様な顔をする事が有った。そんな時には、私の感情の動きを読みとっていたのだろうが、今は全く感じて居ないようだ。
私は目の前の酒瓶を見つめたまま、更に本間を追い込む質問をする事にした。
「それで、君の場合のグッドエンドとは何なのかね?」
本間は暫く黙り込んだ後、バーテンダーが作り直したばかりの水割りを飲み干した。
「自分の場合は、初恋の人が別の人と結婚してしまったけれど、再会して結婚する事が出来た事ですかね?」
「それならば、グッドエンドではなくて、ハッピーエンドだよ。ずっと想い続けて来た初恋の女性と結婚出来るなんて、今どき映画や小説でも許されない展開だよ!」
私は本間の顔を見た。本間の表情には、明らかに狼狽の色が浮かんでいる。急に高まった私の感情に驚いている様だ。
しかし、本当に恐れるべきは、これから吐き出される私の言葉である事に、本間は気付いていないのだろう。私は感情を押し殺した無表情な声で続けた。
「君のグッドエンドは他の者とは違って、ハッピーエンドと言うよりも、ベストエンドに成らなかった為のグッドエンドなのじゃ無いのか? ミワの家出によって最も狙っていた結末を逃してしまった。そんなところだろう?」
「…………………」
図星の様だ。本間は言葉を失って、まるで父親に怒られている小学生の様な目で私を見ている。
しかし、私の考えている事が事実だった場合、本間だけでは無く、私の精神にも大きなダメージが与えられる。だからと言って、その話題を避けて通れるほど私の精神は成熟してはいない。
たとえ自分が傷つく事になろうとも、このまま本間を許すわけにはいかない。 私は本間への攻撃を開始した。




