093 おかえりなさいって言いたいから
――次の日、わたしは魔導士の塔のエリオットの部屋へ、お見舞いに行った。
(成長期の子供を治療士に治してもらうと、身長が伸びなくなる事例があるらしく、自然治癒を望んだとのこと)
エリオットが苦戦したという、ハムスターみたいな、手のひらサイズでふわもこな魔獣の大群は、王城の正門をカリカリ齧って破壊していたらしい。
剣で切ったら数が増えてしまうし、とても可愛い鳴き声で悲鳴をあげるし……と、対処に困っていたところに、二人が駆けつけて殲滅してくれたとか。
「シア姉さまとリオンは、可愛い魔獣たちの姿を見ても、全く動揺していませんでした。
手間取って…足首を捻挫してしまった僕とは大違いです」
エリオットの口から乾いた笑いがこぼれる。
その空虚な声に深い精神的疲労を感じて、わたしは話を逸らした。
「そういえば、どうして“ア”を除いた名前で呼んでるの?
アデリシアさんは愛称だからかなって思ってたけど…」
「ああ、それは、うちの一族には長子…一番最初の子供に“ア”から始まる名前をつける慣習があるので、身内で呼びあう際には外すんです。
名前の最初の音が“ア”の人が大勢いるから、解りやすくするためだと聞いてます。
父のように短い名前の場合は、そのまま呼ばれますけどね」
「…そっか、それでお兄ちゃんは“リオン”って呼ばれてるんだね」
「――ユウナレシア」
「え?」
「リオンがルクレツィアおばあさまに…リオンにとっては祖母ではなく曾祖母ですけど…妹が生まれると言われて、妹のために考えた名前だそうです」
「ユウナレシア……愛称はユーナ?」
「はい」
「そっかぁ」
…じゃあ、あの時の夢は、兄の記憶と繋がっていたのかな。
わたしが思い出してふふっと笑っていると、エリオットが心配そうな顔をしていることに気がついた。
「どうしたの?」
「ユーナは……リオンの…ユートのことを、どう思っているのか気になって」
「お兄ちゃんは、わたしのお兄ちゃんだよ?
名前が違っても、同じお父さんとお母さんの子供じゃなくても、わたしのお兄ちゃんであることに変わりはないから」
うちの仔犬は何を心配してるのかな?
わたしが首を傾げてエリオットの顔を覗き込むと、彼はあわてて顔を伏せた。
「ユウナレシアという名前は、うちの一族の初代様と同じ名前なんです。
はじまりの魔法使いの一番弟子、アルフリードの妹で、兄から教わって魔導士になったそうです。
七聖王家のひとつになっているあちらの家でも、同じ慣習が引き継がれているとか」
「ふぅん?」
「…ユートは、ユーナに、どう思われるのか心配していたので、変わりがないようで良かったです」
「うちのお母さんとアデリシアさんが従姉妹だから、わたしとお兄ちゃんは再従兄妹になるってことかな。
…べつにあんまり違わなくない?」
血族ってことに変わりないし。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだし。
わたしが同意を求めると、エリオットは苦笑した。
「兄妹ではできないけど、再従兄妹ならできることがあるんですが……ユーナが全く気にしていないようなので、この話は終わりにしましょう」
エリオットはベッドから身体を起こして、窓を開けた。
微かに甘い花の匂いとともに、柔らかい風が吹き込んでくる。
「昨日……裁判が終わった辺りから今まで、どんな風に過ごしていたんですか?」
「――ええとね、まず、女王陛下が隠し部屋まで迎えに来てくれたの。
そこで護衛をしてくれてたセイルさんと別れて、別室に移動してから、アーサーおじさんたちに紹介されて……親戚の、分家の家長さんたちに頭を撫でられまくってた」
「…。」
「双黒と顔立ちだけじゃなくて、サラサラの髪質もおばあちゃん譲りみたいなの。
感激して、泣き出す人がたくさんいたよ」
“握手会”ならぬ“撫で撫で会”と化してた状況を思い出すと、ちょっと遠い目になる。
参加者がそれほど多くなくて良かった。
「その後は、女王陛下とディートハルトさんから、今までの経緯とか今の状況とかを簡単に説明してもらって…。
臣下に降ったとはいえ、実の弟を醜聞まみれにした上に、敵対勢力として育てて、本当の敵の情報を探らせていたって、何か貴族ってすごく大変そうだね」
そう話ながら、エリオットに務まるのか心配になってきた。
「アデリシアさんが戻ってきたから、エリオットは次の家長にならなくても大丈夫なの?」
「はい、シア姉さまとライ義兄さまがいてくださるなら、僕はただの魔導士に戻れます」
エリオットが笑顔になったので、わたしも嬉しくなる。
「――そういえば、ディートハルトさんも、貴族にむいてなさそうな人だったよ」
「フォイエルバッハ侯が?」
「うん。
わたしを見た瞬間から泣き出して、その後もずっと泣いてたから。
見た目と違って、情が厚い人みたい」
「…。」
「おばあちゃんが初恋の人で…でも何も手助けすることができなくて…争いを避けて違う世界へ旅立つ姿を見送ることしかできなかったから、ずっと心残りで後悔ばかりだったって」
「…。」
「罪滅ぼしの代わりに、おばあちゃんの姪であるアデリシアさんと、ラインハルトさんの恋の応援をしていたのを、女王陛下が逆の噂を流して“悪”のイメージアップに繋げたらしいよ」
「…それで、姉さまたちは、フォイエルバッハ侯を庇っていたんですね」
「うん、きっとね。
……わたしと会わせると、冷徹で非情な悪役の演技が保てなくなるだろうから、近付けないために“注意しろ”って言ったんだって」
「――そこまでフォイエルバッハ侯を理解しているのに、長年に渡って演技を徹底させるなんて……国内の不穏分子を洗い出すためとはいえ、陛下も厳しい姉上なのですね」
「…?」
陛下もっていうことは、エリオットはアデリシアさんから、無理難題を押し付けられてるのかな?
わたしが怪訝そうに見ているのに気がついたくせに、エリオットは話を逸らした。
「――リオンに…ユートに会わないまま、あちらの世界に帰るのですか?」
「うん。
お兄ちゃんは今すごく忙しくて大変な時で、王位継承者候補って立場もあるし。
こっそりわたしもこっちの世界に来てたことがバレたら、長時間お説教されるから面倒だし。
それと、普段でもあんなに過保護だったのに、わたしがおばあちゃんと同じ加護を持ってるって解ったら、毎日徹夜で警護するとか言い出しそうで嫌」
「それは…確かにそうですが、でも…」
「最後じゃないって、信じてるから」
「え?」
「お兄ちゃんは、きっと、どんな手を使っても、一度は戻ってきてくれると思う。
わたしたち家族や友達に、会いに来てくれる……その時に“おかえりなさい”って言いたいの。
王位継承者候補の…重い責任があるアリオンとしてじゃなくて、普通の人…ただの優人が家に帰ってきたって感じで」
「…。」
「また時間の速さが大きく違って、わたしのほうがお兄ちゃんより年上になってたら、面白いかもね。
…そういえば家業の跡取はどうするんだろう?
廃業か、養子……婿養子?」
父と兄の間では、どんな話になってたのかなぁ?
刀鍛冶としての修行をしているなんて話は聞いたことないけど…。
わたしのつぶやきを聞くと、エリオットから珍しく強い口調で訊かれた。
「ユーナが婿養子を迎えて、家業を継ぐんですか?」
「うーん、わからないけど…可能性はゼロじゃないかな。
すごーく昔は神職…神官だったらしいから、家業を変えること自体は問題ないと思うけど、わたしが決めて自分でやれる仕事となると……」
おぉう、何かいきなり責任が重く感じる。
気楽な末っ子だったのに、いきなりひとりっ子になるなんて。
名家の跡取り娘として、葵ちゃんはずっとこんな重圧を感じてたのかな。
葵ちゃんの場合、一族だけじゃなくて従業員とそのご家族の生活を守らなくてはいけないから……。
幼馴染の心情を想像して遠い目になった後、エリオットが珍しく険しい表情を浮かべていることに気がついた。
「エリオット、どうしたの?」
「……いえ、急がなければならないことに、気がついただけです」
「?」
急がなくちゃいけないって、何を?
そう訊こうと思った時、ドアがノックされる音が響いた。
「?」
誰だろう?
ちょっと警戒しながら扉を開けると、レイフォンさんが居た。
なんかお久しぶりな気がする。
「――ユートが…アリオンが魔導士の塔に向かっているそうです。
会わずに帰るおつもりなら、今すぐ移動しましょう」
■2024.04.10 エリオットの怪我が治ってない理由を追記