第5話 星の海
目を閉じたクラロに対し、イルシオンは虚言を渡す。
「月にある森なんてどうかしら。優しく光り輝く木々がさわさわと揺れると、小さな光がこぼれるの。そっとすくい上げると、消えてしまうわ」
彼は光る森に身を委ねる。木々が揺れて光をこぼす。手でそっとすくい上げれば、柔らかく散っていった。
「趣向を変えて、ポップコーンの火山なんてどう? 黄色い空の下、赤と白のパッケージの中に入ったポップコーンが噴火するの。噴火したポップコーンは雨みたいに降り注ぐ。一口食べれば、ほら、おいしい」
脳裏に浮かぶ景色が変わる。黄色い空に、弾ける爆発音。山は赤と白のパッケージでできている。バターの香りが呼び起こされる。口の中には塩気とコーンの風味が広がった気がした。
虚言はめぐるましく変わっていく。山に谷、海に氷河。空の色は色とりどりに変わっていく。世界はお菓子、宝石、花と、様々なものでできている。クラロは問わず語りで紡がれる虚言に、ただひたすら身を委ねていた。
「……ねえ、クラロ。あったかいのと冷たいの、どっちがいい?」
「……あたたかいの……? つめたいの……?」
「そう。どっちでもいいよ」
イルシオンは頷く。クラロは少し考える。……考えても、分からない。
「……どっちを、選べばいい……?」
「クラロの好きな方。なんとなくでいいよ」
「……なんと……なく……」
「うん」
彼女は彼の言葉を待った。
「…………あたたかいの」
小さな声だった。イルシオンはふ、と柔らかく笑う。
「あたたかいのね。じゃあ……」
クラロに渡されるのは、見渡す限りの花畑。空からは温かい太陽の光が降り注ぐ。日を浴びて、体が温まったような気分になった。
(……ああ、心地いい……な……)
虚言は続く。時折質問が挟まれる。ピンクの、黄色の。甘いの、辛いの。鳥のさえずりか、波打ち際の音か。花の香りか、香木の匂いか。
少しずつ、クラロが答えるのにかかる時間が短くなっていく。
「右に行ったら、琥珀の谷。左に行ったら、ケーキの山。どっちに行きたい?」
「右で」
「だと思った」
質問が具体的になる。けれどクラロは、もう『正解』を探さなかった。ただ、自分で選んだ。そして。
「次は……」
「……星の、海がいい」
クラロはそう呟く。……イルシオンは虚言を口にしなかった。
「……イルシオン?」
「ねえ、その海は、何色?」
「……色」
クラロはしばらく黙り込む。そのあと、ゆっくりと口を開いた。
「……深い藍色で、小さな星が浮かんでいる」
「素敵ね。波は?」
「……波……。……ない、な。……小舟が、浮かんでいる」
イルシオンの声に導かれ、クラロは少しずつ世界を組み上げていく。黄色い小舟に乗り、星が瞬く藍の海を漂う。空は深く、月も星もない。すべて水底に沈んでいる。
「……小舟には、誰が乗っているの?」
「……私……と……イル……シオン……」
答えは寝息になっていく。星の海は夢になる。小舟の上で、イルシオンが笑っていた。
イルシオンは使用人に声をかけ、毛布を持ってきてもらう。それをクラロにかけた後、彼女はまた彼の前に座った。
(……やっと、届いた)
声に出さずに呟く。眠る彼の眉間には皺がない。
(……ずっと、満たしたかった)
婚約者としての交流の場で、クラロは上辺だけの言葉を吐き続けた。イルシオンは最初、「クラロはイルのことが嫌いなんだ」と思っていた。だが、違った。
変わらないのだ。誰に対しても。
(ずっと、クラロじゃなかった。王太子だった)
楽しいも、悲しいも、何もなかった。クラロの心は乾いていた。
(だから、楽しいを届けたかった。イルの祝福は、みんなを笑顔にするものだから)
お茶会のたびに嘘をつき続けた。いろんな景色を見せた。綺麗な景色の嘘をつくと、彼の眉間の皺がほんの少し緩むのだ。
そして今日、初めて彼は目を閉じてくれた。
「クラロ、楽しかった?」
返事はない。けれど、こんな穏やかな寝顔を見られたのなら、それで十分だった。
「……また、遊ぼうね」
イルシオンは静かに微笑む。クラロはもぞりと動いて、そして、「ふっ」と笑った。
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