第10話 泣かせないでくださいね
その日の夜。クラロは信頼できる使用人たちに、妃教育の様子を見てくるよう指示を出した。彼らは紅茶を運ぶ、水差しの水を変えるなど、さりげない用事を装って妃教育が行われている部屋に入った。
クラロは毎日何があったか報告させる。
「正妃様が王女様に『みっともない』と叫んでおりました」
「このままではクラロの妃にふさわしくない、と。王女様が涙を流しても、何度も」
「嘘のつけないあなたは出来損ない、だと。何も言わず微笑みなさい、と金切り声で告げておりました。あまりの声に、イルシオン殿下は耳をふさぎ……」
「あなたの価値はプエンテ王国の王女であること、祝福が珍しいこと。この二つしかないと繰り返し言い聞かせていました」
「……そうか。報告、ご苦労だった」
クラロの拳が震える。……正妃は自身の娘でない王女を排除しようと工作し、実の娘を抑圧し支配しようとした苛烈な人だ。イルシオンに対し過度な抑圧を行うなど、想定できた。それなのに、対策をしなかった。
「……妃教育の指導者の変更……いや、最終的な決定権は正妃が持つ。彼女を外しても、彼女の息が掛かったものが教育係になる。……人事権を持っているのが厄介だな」
正妃が城にいる限り、彼女の影響をなくすことは難しい。……正妃が城にいる限り?
「……父の同意が必要だが……。……彼は血族すら『要か、不要か』でしか判断しない。それを逆手に取れば……」
クラロは便箋を取り出す。面会を打診する手紙を書く。宛先は、プエンテ王国の大使だ。
◇
『至急の相談がございます。なるべく早くお会いできませんか』と認めたためか、翌日の昼にアポが取れた。プエンテの大使は初老の男性だ。目は茶色く、丸いがつり目。イルシオンはよく「彼はフクロウさんなのよ。クッキーを作って渡すと、すっごく喜んでくれて。大事に大事に食べてくれるの」と言っていた人だった。
「それで、本日は一体どのようなご要件でしょうか」
彼はまっすぐクラロを見つめる。猛禽類の目だった。クラロはそれから一切逃げない。
「近ごろ、イルシオン姫の元気がないというのは、ご存じですか?」
「……数日前に拝見したときは、浮かない顔をしておりました」
「原因と考えられるのは、教育係による虐待です。毎日、耳をふさぐほどの脅迫を受けています」
クラロはそう言いながら報告書を差し出す。
「拝見しても?」
「どうぞ」
大使は報告書の隅々まで目を通す。
「……まさか、これほどまでとは……。これが事実であれば……。姫を返していただくことも、視野に入れなければ」
「その旨を、一筆書いていただきたいのです」
クラロは大使から視線を一切そらさない。彼はクラロを見据える。
「……殿下。この文は、どの程度の効力を持たせるおつもりで?」
「最低でも、視野に入れる、と」
大使は視線を下げる。
「姫は、あなたとのお茶会のあと、必ずあなたの話をしておりました。……今日はほんのちょっと眉間のシワが緩んだ、いっぱい嘘を言ったのに、呆れもせずに聞いてくれた、と」
彼は一度言葉を切る。
「……手放す、おつもりですか」
「……いいえ。必ず守ります」
沈黙が落ちる。クラロは大使を真っすぐ見つめ続けた。
「……分かりました」
彼はペンを持つ。
「一週間です。一週間以内に状況の改善が見られない場合、本国に報告させていただきます。イルシオン姫は皆に愛されている。世論は婚約破棄に傾くでしょう」
大使はその旨を紙に記載し、サインをした。
「ありがとうございます」
クラロは書面を受け取り、そして頭を下げた。
「それでは、失礼いたします。最後になりましたが、貴国のますますの発展を祈念しております」
「こちらこそありがとうございました。帰国のご健勝をお祈りしております」
彼が退室しようと立ち上がったその時だった。
「……クラロ殿下」
「どうかなさいましたか?」
「イルシオン様はあなたと引き離されると、きっと大泣きされます。……泣かせないでくださいね」
「……必ず」
クラロは静かに頷き、そして退室した。
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